浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



瀬戸内寂聴先生のこと〜業、、肉を喰おう。

dancyotei2015-11-24



11月23日(月)夜

肉が食いたくなった。

きっかけは、なにかというと
NHKスペシャ「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」という番組。

日曜の夜やっていた。
ご覧になった方もおられるかもしれぬ。

番組はその名の通り、密着500日。

93歳。がんを患われて、そこから再起される日々の記録、
で、ある。

番組の中でなん回か寂聴先生のご自宅の食事のシーンが
出てきていたのだが、それがほぼすべて、肉、それも牛肉。
霜降りの高そうな牛肉ですき焼きだったり、ステーキだったり。
そして、飲むのは決まってシャンパン。

これを見ていて肉が食いたくなったのであるが、
寂聴先生には少なからず、驚いた。

先年亡くなった、森光子氏の例も思い浮かぶが、
最近は、高齢でも肉は食べなければいけないと
いわれるようになっている。

寂聴先生の高そうな牛肉は、撮影用に特別に用意していたのか?。
その可能性もあるが、そうだとしても密着撮影で撮る
食事風景の多くが牛肉というのは、頻度は高いはずである。

肉、肉、肉、シャンパン、シャンパン、シャンパン。

どうも、金ならあるぜ(実際にあるのであろうが)
という匂いもしてくる。

寂聴先生に残す人々がおられるのかどうかわからぬが、
むろん、自分で稼いだ金である、どう使おうが
とやかくいわれる筋合いはまったくない。

出家された尼さんであっても、肉に酒、食べたいものは食べる。
飲みたいものは呑む。よいではないか、と、私は思う。
(でもやっぱり、ビックリ。)

今年、安保法反対で国会のまわりに人々が集まったときにも
寂聴先生は車椅子に乗って現われ、平和を訴えている姿が
ニュースにも出ていたのが記憶に新しい。

私自身、不勉強にも寂聴先生の作品はまったく読んでいない。
従って、作家としての先生に対してまったくコメントできる
立場にない。
だが今回、この番組を視て、遅まきではあるが、
読んでみたくなったのは事実である。

ともあれ。
この番組を視てまず思ったことは、やはり女性というのは
強いものである、という実感であった。

男の作家であれば、ここまで長生きをする人も
そう多くはなく、平均的な日本人男性同様、
60代、70代で病気で亡くなる。
または、アルツハイマーになったり、自殺をする例もある。
90すぎて精力的に文筆活動を続けている例は
やっぱり少ないだろう。

女性の作家でも有吉佐和子先生などは、50代で亡くなっている。
皆が皆、寂聴先生のようなことにはなっていないのであろう。

女性も強いのであろうが、特に寂聴先生が強い。

これを業(ごう)というのであろう。

寂聴先生は番組の中で自ら語っていたが、
50歳で出家をしたのは“男(セックス)”を断つため
であったと。
つまり、それ以外は捨てていない。
食も、酒も。(その他にもいろいろあるのであろうが。)

普段たまにTVに出てくる姿からはここまでのことは
わからないので、驚きとともに、新鮮であった。

私の人生観として、落語というのが一つある。
これは、談志家元がいっていた「落語とは人間の業の肯定である」
ということ。

そういう見地で寂聴先生を見れば、はなはだ羨むべき、
理想的な人生ととらえるべきである。

男、文学、名声、おそらくお金。

そういえば、男性作家で珍しく近い人がいた。

誰あろう、元祖断腸亭、永井荷風先生である。

この人の女性遍歴もそうとうなものであることは
有名であるし、晩年は作品数は少ないが、なにかと
話題を提供し、79歳まで生きている。
稀代の変人。奔放に生きたとはいえよう。
じゃあ、業は強かったといえるのか、、、
寂聴先生とは趣は違うがやっぱり、強かったと
いってよいのかもしれぬ。

作家ではないが、映画監督新藤兼人

この人は、先年、百歳で亡くなっている。
死の直前までメガホンをとっていた。
映画監督として、実にあっぱれな人生である。
(遺作の「一枚のハガキ」をはじめ、晩年の作品も
私も多く観ているが、佳作であるし、評価も高い。
また、荷風先生の「墨東綺譚」を映画化したのも新藤監督であった。)
新藤監督の私生活というのは、あまり知らない。
女性遍歴というよりは、妻子を捨てて乙羽信子に走った。
これは一途な愛、なのか。
ただ、やっぱり新藤監督は、奔放とか、業といった、
どちらかといえば、我欲に近いものではなく、
社会派とも呼ばれていた通りに、公に対しての
表現欲求のようなものを最後まできれいに果たし尽くした、
最期は高僧のような、まさにあっぱれな死にざまだった
のではなかろうか。

ともあれ。

業、あるいは欲。

私は決して、汚いものでもなく、悪でもなく、
忌むべきものでもないと、思っている。

寂聴先生はこれを隠したりせずに、
むしろ自分の表現スタイルにしてきたのであろう。
(やっぱり作品を読まねば。)

稀代の怪女?、快女?。

やはり、それが多くの人に支持されている所以なのであろう。


さて。

肉だ、肉を喰おう。