浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



くさや・新島産むろあじ

dancyotei2015-06-01



5月29日(金)夜



金曜。



8時頃、なにか魚を見ようと、御徒町
吉池に寄ってみる。


吉池の魚売り場は8時まではあいているはず。


が、きてみると、対面販売は、ほぼ片付け終わり。


対面販売ではない売り場も、今ひとつ、めぼしい物がない。
で、あれば塩乾物か。


吉池には1階にある鮮魚以外にも、ユニクロが入っているビルの
地下に、干物だのめんたいこだのの売り場があって、特に
塩鮭は充実している。


一通りまわってみる。



ん!。



くさや。



久しぶりに、くさやでいこうか。
新島産むろあじ


それからいくらのしょうゆ漬け。


焼き海苔で巻いて食べよう。


なんだか、料理というより、完全につまみの顔ぶれ。
金曜だし、こんなのもたまにはよいであろう。


帰宅。


くさやというのは、酒呑み諸兄姉であれば
説明の必要はなかろうが、こんなもの。





普通の鯵の干物よりも、水分が飛んで硬い感じ。


新島産のむろあじが、売られているものとしては
一番多い。


干物ではあるのだが、
発酵した内臓の塩漬け水に漬けてから干したもの。


名は体を表すが、袋を開けたとたんに、そうとうに、くさい。


だがこれがクセになるうまさ、なのである。


うちの内儀(かみ)さんなどは、この匂いだけで
だめである。


私の家には、子供の頃、明治生まれの父方の爺さん婆さんが
一緒に住んでいた。


書いている通り父方は代々今の品川区大井町あたり。


爺さんは三男で、定職もあるようなないような、
かなりいい加減な人生を送ったようだが
爺さんの親父、曾爺(ひいじい)さんまでさかのぼると、
江戸時代の生まれで、あのあたりで庄屋をやっている家で
あったようである。


私の親父は一滴も呑まなかったが、爺さんの方は大の酒好き。
(一代おきに、繰り返すのかもしれない。)


それで酒のつまみの類は子供の頃から手近にあったわけである。


鰹の塩辛、いわゆる酒盗。それこそ小学校の低学年の頃、
私は既に好物であった。


このくさやも、しかり。


親父も酒は呑まないが、くさやは好きだったようである。
匂いも別段気にならず、よく食べていたものである。


そんなことで、くさやというのは私は酒のつまみであることは
理解はしていたが、特別な食い物とは思っていなかったのである。


成長に伴って、あまり目にすることもなくなり、
その後に、世の中では酒呑みの好む珍味として
とらえられていると知ったわけであった。


ところで、くさやというのは、落語に出てくる。


私とすれば、江戸落語を昔の江戸・東京の時代考証というのか
生活の考証として使っていると書いたことがあるが、
これもその例である。


マイナーな噺だが、圓生師の「双喋々(ふたつちょうちょう)」。
(歌舞伎で同じ外題のものがあるが、まったく違う話。)


噺の筋とはあまり関係はないのだが、裏長屋に住む担い売りの
八百屋家族三人。
魚やが売りにきて、母親が「くさや(の干物)」を買って
子供の食べるおかずにする。


もう一つ、やはり圓生師で「松葉屋瀬川」。


これはもっと貧乏で裏長屋に住む紙くずや夫婦がおかずに買っている


どちらも六代目圓生師で、他の演者の噺で、くさやが出てくるのは
あまり聞いたことがないので、師がくさやを好きだった可能性は
否定はできないが、違和感のあるものは登場させぬであろう。


貧乏人が(でも)(子供でも)食べるおかずであったことは
間違いはなかろう。


もしかすると、普通の鯵の開きよりも安かった、のかもしれない。
(少し日持ちがするから?。)


家の爺さんがや親父が好きであったのと
これがつながるのである。


江戸・東京の貧乏人のおかず。
むろん、酒の肴にもしたのであろうが、
子供も食べる身近なものであったのだと思われる。


さて、そんなことで、新島産むろあじのくさやを焼く。


一枚全部焼いてしまうのは、少し多いので半身。


もう半身は匂わないように厳重にラップで包装し、
冷蔵庫へ。


焼くのだが、くさやは普通の干物よりも水分が飛ばされているので
同じ感覚で焼いてしまうと、カチカチになってしまうので、
注意が必要である。


焼けた。





海苔も軽く炙って、いくらとともに出す。





今時、くさやなんぞを焼いて食べていると、
なにかこう、人の食べないいけないもの、ご禁制のもの、
反社会的なもの?を食べているような気がしてくる。


今は新島産であるが、その昔はどこのものだったのであろうか。


三浦あたりか、小田原、はたまた伊豆か。


いずれにしても、こういうものも私にとっては
故郷の味覚といってよいと思うのである。