浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



BLTサンドイッチ

dancyotei2015-03-10



3月8日(日)第一食



なにか、やっぱり定期的に、年に一度くらいは
食べたくなる。


BLTサントイッチ。


むろん、ベーコン・レタス・トマトを
トーストした食パンにはさんだサンドイッチ。
いかにもアメリカンは食い物である。


ウィキベディアを読んでいたら、やっぱり
アメリカ生まれの食い物のようである。


文献に出てくるのは、さほど古いことではなく、
1903年だそうな。


明治36年


まあ、古いことは古いか。


ベーコンもレタス、トマトもむろん食パンもそれ以前から
食べられており、一般的ではなかったのが不思議なくらいである、と。


ただ普及したのは第二次大戦後と書いてある。


アメリカでも、流通が発達し、スーパーマーケットができてから
ということらしい。


なるほど。


だが、BLTよりもスーパーマーケットが戦後である、
ということの方が、私は意外であった。


いや、ほんとうにそうか?。


我々日本が彼らとの戦争に負けたのは、彼らの物量によるもの
であったはずである。


結局、物量というものの代表的なものは、
T型フォードによるモータリゼーションなのであろう。


これは1920年代、第一次大戦後。


スーパーマーケットが生まれたのも
1916年といい、おおかたこの頃のようである。


その後、世界恐慌で停滞があるが、第二次大戦までには
既に、日本人が戦後知ることになるアメリカな生活が
既にある程度できていた。


フランク・キャプラだったり、ビリー・ワイルダーだったり、
戦中のアメリカ映画をみても、これが戦争をしている相手国
であるというのは驚きであった。


ちょっと調べると、自動車も冷蔵庫も普及率は
1940年で50%を越えていた。


欲しがりません勝つまでは、などと我国でいっていた頃である。


まあ、そうはいっても大戦中は自動車も新規開発などは
していなかったようで、落ち着いて成長を再開したのは
戦後、ということであったろう。


BLTサンドイッチの本格的な普及が戦後であったのかどうか、
まあ、大した問題ではないのだろうが、第二次大戦というのが
契機であったのは確かなことではなかろうか。


なにかというと軍隊食である。
こういうところでは、基本同じ食い物を皆が食べる。
それで同じメニューが普及する。


日本でも、戦前の海軍のカレーライス、ライスカレー
は有名であった。


米軍でいえば、進駐軍として日本へきて、
スパゲティーナポリタンを広めた。
(ついでに、タバスコとペルメザンチーズも?)


ご存知のように、日本のナポリタンの発祥は横浜のホテルグランドで
あるといわれており、占領下、あの老舗ホテルは
占領軍に接収されマッカーサーも泊まった記録がある。
この時、彼らのリクエストで作るようになったわけである。


さてさて。


毎度、英米の食い物は不味い不味いと私は書いている。


じゃあ、ハンバーガーは不味いのか、ナポリタンは
不味いのか、BLEサンドイッチは不味いのか、
といえば、答えはむろん否である。


ただハンバーガーでいえば、不味いハンバーガーはある。
うまいものもある。
マックなどのものとは雲泥の差の、本格というのか、
凝ったものが東京にもあって、最近も人気である。


ナポリタン、BLTはかなりシンプルなものなので
誰がどう作っても、ほぼ同じ味で、うまい。
これはいわゆるB級グルメのような、ジャンクな
うまさ、と、いってよいのであろう。


ベーコンは買い置きがあったので、レタスとトマトを
買ってくる。


レタスはちぎって水に浸しておく。


1時間ほど浸してシャッキリしたら水をよく切っておく。
トマトは切る。


ベーコンは1/2カットを4枚、焼いておく。
最近のものは脂が少なくなった。
脂の多いものをカリカリに焼いたものが
最も好みではあるが。


食パン二枚をトーストし、バターをたっぷり塗る。
今、バターは高騰、入手も困難な状態だが、やっぱり
BLTにはマーガリンではなくバターがよい。


マヨネーズを塗るというレシピもあるようだが、
くどくなるのでやめておき、かわりにマイルドなマスタード


レタス、トマト、ベーコンをのせ、上からパン。
竹串を刺し、ぐっと押しつけて、包丁で切る。


皿へ。


ピクルスも添える。





コーヒーを淹れて、食べる。



なんということはないが、


やっぱり、うまいもんである。