2月16日(月)夜
6時すぎ、人形町で仕事終了。
今日は、課題であったビーフカツレツの
[そよいち]へ行ってみることにした。
以前、人形町のビーフカツレツというと[キラク]
という、人形町交差点にある小さな家が有名であった。
ここは創業が昭和21年(1946年)。戦後すぐ。
人形町は、戦災で焼け残ったところが多く、
当時のこのあたりは戦前の花街がまだ残っていたのだと思われる。
戦前の人形町周辺は、1922年(大正11年)の数字では
料理屋25軒、待合253軒、芸妓屋296軒(「花街」加藤正洋氏)で
これは当時、東京でも指折りの規模といえる。
(が、まあ例によって、荷風先生なども書かれているが
先日の根岸ところで書いたように、上から下まで
“いろんな”女の子がいたようではある。)
詳しくはこちら。
人形町には、高級料亭や老舗の鮨や、すき焼や、など
に加えて、うまい老舗洋食やがたくさんあるが、
これもここが花街であったからといえるだろう。
ともあれ。
このビーフかつれつが名物であった[キラク]は創業されたご主人が
亡くなり、代替わりし、私も行ってみたが
今も同じ場所で続いている。
なんだかこの代替わりの時に揉め事があったようで
[キラク]から分かれて、新しい店が開店している。
それが今日の[そよいち]。
場所は甘酒横丁の通りを人形町通りを突っ切って
しばらくいった左側の裏通り。
[そよいち]は今年のミシュランの、ピブグルマンに
新しく掲載されている。
裏通りでちょっとわかりずらいが、発見。
6時すぎ、ドアを開ける。
中は新しく明るい内装。
入ったところに[キラク]の外観を描いた絵が
掛けられている。
奥に向かって、白木のカウンター。
先客も数人。
[キラク]よりも席数は多いだろう。
カウンターの向こうはここのホームページにも
登場している、眼鏡をかけて白い上っ張りを着た年配の女性。
手前があいていたので、コートを脱いで
スツールに腰掛ける。
確かにこの方、以前の[キラク]で見かけたことが
あるような気がする。
瓶ビールをもらう。
キリンのラガー。
メニューをみると[キラク]の看板のビーフカツレツ
以外にも、メンチカツ、カツカレー、その他、今の季節は
カキフライなどもある。
だがやはり、ビーフカツレツを頼まねば。
ビーフカツレツは1800円也。
全品豚汁付き、ライスお替り自由。
頼むときに、ご飯と豚汁は後にしますかと
聞いてくれる。私は一緒に食べるので、一緒に、と頼む。
細かいことだが、こういうことを聞いてくれるのは
有難いし“心得ている”店ということができよう。
こういうことが客商売。東京の食いものやが
昔からしてきたことである。お客の気持ちをおもんぱかる、
今流行の“お・も・て・な・し”なのであろう。
東京の新しい店でこういうことを聞いてくれるところは
そう多くはないのではなかろうか。
“こだわりの素材”もよいのだが、それもこれも
客商売であるのが大前提である。新しく食いものやを
始める方も多少とも頭に留めていただきたいと思うのである。
閑話休題。
私の後にも、どんどんとお客が入ってくる。
また[キラク]もやっていたがここも出前もやっているようで
料理の載った皿の上に白いプラスチックの輪っかを
載せたものも見える。
きた。
ビーフカツレツ。
薄いビーフカツレツに、マカロニサラダ
キャベツの千切り。
ソースを掛けまわし、辛子をつけて、食べる。
うまいもんである。
マカロニサラダも濃い味で、うまい。
小さめのお椀で出される豚汁も丁寧に作られているのが
よくわかる。
ご馳走様でした。
この店も[キラク]の先代がやっていた頃の雰囲気とは
やはり別なものなのであろう。
この店のショルダーコピーには“下町の洋食や”とある。
(むろん値段もそれなりだが)ただの下町の洋食やではなく、
人形町という町の歴史、においを受け継いでいる厚み
のようなものを持っていることは間違いない。
さらにこれから、この店はどんな歴史を
重ねていくのであろうかいくのであろうか。