浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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2014年・隅田川花火大会 その1 落語「たがや」の件

dancyotei2014-07-29

7月26日(土)夜

さて。

今日は、吉例、第37回隅田川花火大会、で、ある。

昨年は、ご記憶の方もおられようが
開始すぐの、大雨で途中中止になっていた。

浴衣などを着て、見にこられた方はまったく
災難であったろう。

毎年、隅田川の花火大会というと、同じようなことを
書いている。

昨年の日記でも歴史のことに触れている。

そして、隅田川花火大会というと、私の場合、どうしても
落語「たがや」の話題になってくる。

同じようなことばかりでは芸がないので、
今日はマニアックな内容ではあるが、ちょっと
落語「だがや」を掘り下げてみたい。

以前は、今の浅草あたりではなく、少し南の両国橋付近で
行われていた隅田川の川開きの花火大会であった。
(これは戦後、交通事情や隅田川の汚染によって
中止になるまで両国であったわけである。)

「たがや」はこの両国の花火そのものが舞台の噺である。
落語も噺の数は多いが、ズバリ両国の花火そのものを
扱ったものはこれだけであろう。

江戸人にとって、特に隅田川両岸=下町、に住んでいる者に
とっては、自慢の花火大会であったわけである。
それで寄席ではこの季節には必ず演じられてきた。

「たがや」という噺は比較的単純なものである。
落語ファンの方は先刻ご承知であろうが、
あらすじを書いてみる。

川開きの花火見物で雑踏を極める両国橋の上。
桶の修理を生業(なりわい)とする“たがや”が
馬に乗った武士に、はからずも無礼をはたらき、成敗されようという
ところ、火事場の馬鹿力で武士から刀を奪って“たがや”が逆に
武士の首を飛ばしてしまう。首は空高く上がり、
見ていた群衆が、「たぁ〜〜がやぁ〜〜〜」。
これで下げ。

さて、落語で現代、普通に演じられている噺は300席程度あり、
レアなものも入れると500席くらいはある。

これら、数多い噺がいったい、いつ頃考えられて
演じられ始めたのか、実際のところわかっていない。

最近、私が歌舞伎を観るようになって驚くのは
歌舞伎の方は、公演の記録が実にきちんと文字に残っている、
ということなのである。
私も、観劇記を書くときに掲載させてもらっているが、
ご存知のように芝居の浮世絵、役者絵というものがあるが、
なん年のなん月、演目はなにで、上演劇場はどこで、
役者は誰がなんの役をしたというのがきちんと書かれている。
また、芝居自体の今でいうパンフレット、宣伝物なども
印刷されて配られたものが残っているので、脚本家などもわかる。
(さらに江戸期の台本も残っていると思われる。)

これに対して、落語の方はこうした記録にあたるものが
ほとんどない、ということ。

まあ、それだけ歌舞伎に比べれば、落語は軽い存在であった
ということなのであろう。

落語の噺というものが、脚本のような形で、
きちんとした文章に残されるようになったのは、
明治になってからなのである。
『速記』という言い方をされているが、どこまで演じられた内容なのか
怪しい部分はあるが、今も文字に残っているものが多数ある。

噺家・演者からいえば、今も原則そうだが、落語は口伝、口伝えで
師匠から弟子に伝えるものであり、文字には起こさないのが普通であった
のもその原因の一つかもしれぬ。

普通に考えると、先の「たがや」も武士が出てくるのだから
噺ができたのは江戸時代であろう、ということになる。

おそらく噺の8〜9割は、舞台設定が江戸なので、
江戸の頃の作なのであろうということは想像はできる。
(記録があったり、明解に明治の風物を扱っているなど、
明治以降の作と断定できるものはごくわずかである。)

ただ、これもあくまで想像にすぎない。エビデンス
ほとんどないのである。(学術的に掘り起こされていない
だけなのかもしれぬが。)

立川談志家元は「たがや」で、武士の首を飛ばすのはおかしい、
といって“たがや”の首を飛ばしていた。
江戸にできた噺であれば、当時の支配者である
武士の首を飛ばす、なんという噺が演(や)れるはずがない。
できたのは江戸でも、これは明治以降の改作であろうと。

しかし、こうなると、逆に、明治以降に江戸を舞台に作った、
という可能性も否定できなくなってくるのである。

また、江戸でも具体的にいつ頃なのか、私などはこれも
知りたくなってくるのである。

寄席の始まりが初代三笑亭可楽による寛政10年(1798年)と
いわれているが、その後、御一新の慶応3年(1867年)まで
70年ほどある。
たかだか70年ほどの間に、落語というのは大きな発展をしている。

そのどのあたりの作なのか、文化文政の頃か、天保か、はたまた幕末か、
これがまったく特定できない、のである。
さらに、誰の作で誰がよく演じていたのか。
そして、その頃は、おそらく現代の形ではなかったと思われるのだが、
どんな噺であったのか、、などなど。
わからないことは山ほどある。

噺一つ一つの歴史が知りたい、というのが、
このところの私の課題なのではある。

長くなってしまったのだが、ここまでは前置き。

で、落語「たがや」で推理したこと。(やっぱり、あくまで推理
なのである。)


これが本題だが、長くなったので、今日はここまで、明日につづく。


〜〜〜〜〜〜〜〜

おまけ。今年の花火の写真も出しておこう。



前の通りから見ている。