浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



白魚と豆腐の小鍋だて その1

3月31日(月)夜

月曜日。

桜花も咲いて、いよいよ、本格的な春、で、ある。

今日思い付いたのは、白魚の小鍋だて。

これは池波レシピ。

池波レシピ、なのだが、作ったことはなかったのである。

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 このとき利右衛門が手料理の白魚と豆腐の小鍋だてと酒をはこんできた。
「や、これはよい」
「春のにおいが湯気にたちのぼっているなあ、左馬」
「うむ、うむ」

「暗剣白梅香」鬼平犯科帳(一): 池波正太郎 文春文庫


新装版 鬼平犯科帳 (1) (文春文庫)


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鬼平も一巻でまだ書き始めの頃である。
後に小房の粂八が営むことになる深川の舟宿[鶴や]が初めて登場する回である。
季節はあまり明確にか描かれていないが、章の書き始めに「星もない
空のどこかで、春雷が鳴った。」とあるので春であることが
わかる。
「白魚と豆腐の小鍋だて」が登場するのは事件が解決して
[鶴や]の主人が長谷川平蔵と岸井左馬之助に出す。


白魚というのは、その昔、江戸では将軍家所縁の魚として、珍重され
江戸前のものは、許された佃の漁師だけが獲って、誇らしく
本丸御用の幟を立てて、将軍家の台所に献上していた。

時期は春先。
夜、篝火(かがりび)を焚いて四つ手網で獲っていた。



(廣重 江戸土産 佃白魚網夜景−下)

『月もおぼろに白魚の 篝もかすむ春の空

 冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと・・

 ・・こいつぁ春から 縁起がいいわえ』

これも有名な、黙阿弥の歌舞伎「三人吉三巴白波(さんにんきっさ
ともえのしらなみ)」「大川端庚申塚の場」のお嬢吉三の台詞。

と、いうわけで、やはりこれも春。

俳句でもよく詠まれ

あけぼのや白魚白きこと一寸 芭蕉

もっともこれは「のざらし紀行」で江戸湾ではなく、伊勢湾のよう。

また

白魚や椀の中にも角田川 子規

子規は明治の人であるから、明治期にも隅田川東京湾
白魚は少なからず獲れていた。

むろん白魚は春の季語で、絵や文学文芸しやすい題材で
盛んに扱われた。

白魚漁は、春といっても、旧暦の一二月から一月、
二月あたりで、初春が中心で今の二月頃か。

いずれにしても、江戸の春の風物詩であった。

むろん今の東京湾佃島あたりでは獲れるわけもないが、
調べてみると、戦後すぐまでは獲れていた、という記録もあり
驚きではある。

戦争中は東京湾周辺の産業も不活発であったのであろう、
海もきれいで資源が守られたともいう。
また、東京湾東京港の埋め立てが進んだのは、戦後のことで
戦後すぐにはまだまだ、江戸の頃の海岸線が残っていた
のである。

そもそも江戸前の白魚が珍重されたのは、家康が好んだからともいう。

小さいがこれでも成魚のようで、淡泊な味。

今、白魚の料理として一般的なのは、天ぷら、であろうか。
かき揚げにしてみたことがある



それから、鮨。

江戸前の魚として名物であったから、
今はあまり使われないが、鮨ねたとしても一般的であったと
思われる。



鮨の場合、今は生のものを軍艦巻にすることが多いが、
以前は火を通したものを、数匹でにぎって、海苔で
止めたものが多かったようである。


食べてよりうまいのは、生の方であろう。

ただ、白魚というのは、淡泊なものなので、
どう料理しても、べら棒にうまいというものではないだろう。
年に一度の初春の季節感を味わうというものか。

また、今、白魚というものはスーパーに出回るような
ものでもないし「小鍋だて」は池波レシピではあるが、
あえて作ってみたことはなかったのである。

で、今日は、桜が咲いて、ふと思い立ったわけである。

帰り道、御徒町で降りて吉池に寄ってみると、
やっぱり季節のもの、生食用の大きなパックがあった。

それから、目についた、生の芝海老、なまこなんぞも酒の肴に。
小鍋だてには豆腐も忘れずに買う。

帰宅。

こんな感じ。




この量だが、安くはない。

茨城産。

霞ヶ浦あたりで獲れるのか。


長くなった。明日につづく。