浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



2014年隅田川の桜

dancyotei2014-03-31

さて、土曜日。

3月も終わり、来週からは4月である。

今週は、この時期にきて、風邪を引いてしまい、
二日間休み、散々であった。

風邪を引いている間に、東京では25日火曜、桜が咲いた。

咲いてからも少し寒い日などあり、今週末はまだ
満開にはならなそうである。

第一食は、スパゲティーナポリタン。


なんということはないナポリタンであるが、
今日は、以前に覚えた、ケチャップを煮詰める
と、いうのを意識して作ってみた。
どれだけ違うのかわからぬが、まあ、普通のナポリタン
ではある。

さて。

今日は床屋のついでに、吾妻橋方面へいってみることにする。

天気がよいので、徒歩。
シャツにセーターである。

久しぶりに落語をさらいながら歩く。
落語は「大工調べ」。
どうも、これ、ものにならず、延々とやっている。

拙亭のある元浅草から真っ直ぐ東へ行って、新堀通り
国際通りを渡って、駒形[どぜう]のあたりで、蔵前(江戸)通りに出る。

駒形橋西詰めの交差点。
ここからの対岸、墨田区側の眺めは、遮るものがなく、
スカイツリーがくっきりと見えて、よい。

このあたりももうだいぶ人が出ている。

そばにある[前川]のものであろう、
蒲焼を焼く香ばしい香りが漂っている。

人も出ているが、隅田川上の船の往来も多い。
水上バスだけでなく、屋形船も複数見える。
船に書いてある名前を見ると、品川などの名前もあり、
地元のものだけではなさそうである。

やはりもう、遠くから船で花見にきている人もいるのであろう。

駒形橋を渡って、隅田川のテラスに降りてテラス沿いに
吾妻橋へ。

冬の隅田川は見るからに寒々しいかったが、今日は
散歩をしている人もみかけられ、長閑である。

「春のうららの すぅみぃだがわ〜」

ご存知、滝廉太郎作曲の「花」である。

明治33年のものだが、当時レガッタなどの漕艇が隅田川で盛んに
行なわれ始めた頃のもの。
むろん、今のようにコンクリートの護岸などはなかったであろうし、
水ももっと澄んでいたのだろう。

ちなみにこの「花」は今、銀座線浅草駅の発車音になっている。

吾妻橋の東詰めにあがり、アサヒビール墨田区役所が
入っている、リバーピア吾妻橋のビル群に入る。

ここにもだいぶ人が出ている。

リバーピアの[QB]に入り髪を切る。

髪を切って、再び上に上がってくる。

日陰になっている桜花は、まだ2〜3分の開花であろうか。

 

勝先生の銅像付近もまだ2〜3分。

こちら、本所、向島側からみると、浅草側の方が開花は早いように
みえる。
しかし、それにしても、この頭を押さえられたような
首都高速はまったくもって邪魔な存在である。

日本橋の上と同様に、ここもいつの日か、取り払いたいものである。




来週末にはもう散り始めているのか、わからぬが、
今週は花見にはまだちょいと、早そう。

ここから、東武の鉄橋、言問橋を経て桜橋まで、墨堤には
ずっと桜が植わっている。

向島の桜は、歴史をさかのぼると、四代将軍家綱の頃から植え始めたようで、
吉宗の時代以降に、本格的な桜の名所になってきたようである。

江戸では上野の山、王子の飛鳥山と並んで桜の名所であった。

吾妻橋を渡って、浅草に戻る。

吾妻橋西詰め、水上バスの桟橋付近は、ごった返すような人。
日本人だけでなく、インドネシアの人であろうか、
カラフルなベールを被った女性なども見える。

なんにしても、浅草にたくさんの人がきてくれるのは
ありがたいことではある。

浅草側の隅田公園
こちらの土手下の公園にも桜木はたくさん植わっている。

桜と春霞のような空とスカイツリー

まったくこれも長閑な風景である。

やっと春がきた。
そんなことが実感させられる。

さて。

戻ってきた理由は、松屋の地下に入っている鮨や[すし栄]に
寄ろうと思っていたからであった。


つづく。