浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草寿町・とんかつ・すぎ田

dancyotei2014-03-05



今日は通常バージョン。

3月1日(土)夜

土曜日。

今日は、毎度のことだが、内儀(かみ)さんの希望で、ご近所、
浅草寿町のとんかつや[すぎ田]へ行くことになった。

内儀さんのこの店でのお目当てはとんかつではなく、ロースソテー。

とんかつでもむろんよいのだろうが、多少はカロリーのことを
考えているのであろう。

さて。

今、東京のとんかつや事情というのは、最近はどういうことになっている
のであろうか。

いろいろと、新しい話題の店もあるのだろうが、
とんかつやのその手の情報にはとんと疎(うと)くなってしまった。

私の住む、上野浅草界隈には、有名店、老舗、その他無名店含め、
実に多くのとんかつやがある。
それで別段、新しいとんかつやを開拓しなくても、幸か不幸か
すんでいる。

特に、上野というのは、毎度書いているが東京でも
とんかつ発祥の地、と、いわれている。

明治期、洋食やのメニューとしてあった豚のカツレツが
独立して一個の業態になったのがとんかつや。
その時期が明治終わりから大正の頃。

上野にはこの頃創業のとんかつやが、[井泉][蓬莱屋][ぽん多]と
三軒あって、それでとんかつ発祥の地、などと呼ばれている。

実際のところは、新宿の老舗[王ろじ]などもこの頃の創業といっており、
おそらく同時発生的に屋台だったりカツレツ一本でやる店が
東京に現れたのだと考えている。

以前、明治からの新聞記事に出てくるとんかつを調べてみたことがある。

読売新聞ではカツレツという言葉が初めて登場するのは大正4年で、
これは短い家庭用の主婦向けのレシピであった。

この頃が、とんかつやが洋食やから独立下のと同時に、
カツレツ〜とんかつというメニューが広く、家庭などにも、一般化した時期、
と、いってもよいように思われる。

さて、そんなことで浅草寿町の[すぎ田]。

ここは拙亭から歩いても10分とかからない、
最も近所にある、有名なとんかつやである。

数年前に代替わりをして、今は若い二代目になっている。

先代は、髭を生やして、背の高いコック帽をかぶり、ガタイもよく、
この人自身が名物であった。

寿町というのは、観音や、雷門、仲見世よりもずっと南で
いわゆる浅草の中心部ではない。

最寄駅とすれば大江戸線の蔵前である。

国際通り沿いで春日通りの交差点から北へ上がってすぐの右(東)側。

元浅草の拙亭からは真っ直ぐ東へ歩けばよい。

店に入ると、真っ直ぐに奥に白木のカウンターが伸びている。

入ったところにはいつも大きな花瓶に活けられた花。

店の内装は黒を基調にして落ち着いた雰囲気。

カウンターの中は二代目の主人と先代のお内儀さんともう一人。
二代目のお内儀さんが店に出ていることもたまにあるが、
まだお子さんが小さいので、あまり見かけない。

一応、予約のTELは入れてあり、名前をいって、内儀さんとともに、
カウンター、揚げ鍋の正面に座る。

まずはビール。

ここにはアサヒのプレミアムが置いてあるが、今日はキリンラガー。

注文は決まっている。
ロースのとんかつと、内儀さんのロースソテー、それから
特大の海老フライ。

お通しが出て、ビールを呑みながら、待つ。

今日、気が付いた。

先代が健在だった頃からだが、店主の立つちょうど揚げ鍋の背中の壁に
テレビがあったのだが、それが今日きたら、なくなっていた。

私自身は別に気にしないが、
そこそこ高い値段の料理を出す店なのだから、
一般的にはテレビはない方がよいとは思われる。

こうやって、少しずつ二代目らしい店に変わっていくのであろう。

さて、そうこうするうちに、とんかつがきた。



ロース。

油温の違う二種類の油で揚げた分厚いロース。
先代よりも気持ち、薄めに切ってあると思われる。

味は、むろん十二分にうまい。

特大の海老フライ。



ほかほかでぷりぷり。

たっぷりとタルタルソースをつけて食べると、たまらない。

内儀さんのロースソテー。




バターをたっぷり使って、ウイスキーでフランベしたもの。

一切れだけご相伴。

ちょっと時間差で、豚汁とご飯をもらう。



実は薄く切った大根とごぼう
つゆの味は濃厚。
東京の豚汁は、これでなければいけない。

うまかった、うまかった。
大満足。

ご馳走様でした。

毎回ほんの少しずつだが、段々に二代目らしい店になっていくのを見るのは
たのしみなものである。

すぎ田
TEL 03-3844-5529
台東区寿3丁目8−3