浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



湯豆腐

dancyotei2014-02-10


2月8日(土)夜

引き続き、土曜日。

雪の一日。


ベランダからの雪景色。

ビルの街は雪が降ってもたいしてきれいでもない。


(これは2008年)

これに対して、雷門なんぞが雪化粧をすると
趣があるだろう。

これはなぜであろうか。

もともと趣があるものだから雪が積もっても
きれいなのか。
そういう側面もなくはなかろう。

では、ビルなどの近代・現代の建築でも美しいものは
雪化粧をすると、よりよく見えるのか。

私は、多くはそうではないように思う。

日本の伝統的な建物は、近・現代建築よりも雪化粧に似合う
と、いってよいのではなかろうか。

雷門のような有名なものでなくとも、
例えば、田舎の藁葺き屋根の農家なども
雪化粧をすればまた、別の趣が出るように思う。

つまり、意識的か、無意識なのかはわからぬが、
より自然に溶け込むようにデザインされてきた。
日本の伝統的な建築は、そういってよいように
思われる。

またこれはデザイン(意匠)もそうなのだが、
使われている材料にも因るようにも思われる。

木や紙を多く使った我が国の建築は、やはり
より自然に近く、自然物である雪との相性がよく見える
のではなかろうか。

これは、自然を征服する対象としてとらえてきた
欧米の思想が生んだ近・現代建築と、
自然と長く共生する思想を持ってきた我が国の
伝統的な建築という違いなのではなかろうか。

そう。日本には雪見という習慣もあった。
(他の国にこういう習慣はあろうか。古い時代の中国などには
ありそうな気もするが、欧米ではないのではなかろうか。)

特に、私の住む浅草を流れる隅田川は春の花見もさることながら
冬は江戸でも名高い雪見の名所でもあったのをご存知であろうか。

数寄(すき)者は寒い雪の日に屋根船を仕立てて大川(隅田川)に出た。


いざさらば 雪見にころぶ所まで 芭蕉

この句碑は桜餅で名代の向島長命寺の境内にある。


コンクリートの護岸に覆われた今の浅草付近の隅田川
雪が積もっても別段美しくもない、つまらぬ川に
なってしまっている。

これらも、私たちが明治以降失ってしまったものの一つ、
であろう。

そんなことを考えながら、
ローストビーフでスパークリングワインを呑んで、
暖かい部屋でぬくぬくと寝てしまった。

夕方、雪の中、外出していた内儀(かみ)さんが
上野松坂屋に寄って帰ってきた。

湯豆腐にする、と、いう。

雪の降る寒い夜に湯豆腐というのは、なにより、で、ある。

カセットコンロではなく、
寒いので火鉢に火もはいっているので、火鉢でやろう。

拙亭でいつも使っている火鉢は青い陶器のもので
鉄瓶をかけて湯を沸かしたり、酒の燗をつけるくらいで、
主として暖房用。

暖房と鉄瓶を熱くするくらいの火力で、
放っておいても消えないくらいだが、煮炊きができる
ほどの火力ではない。

煮炊きをするには炭の量をそうとうに多くしなければ難しい。

例えば、湯豆腐でも池波レシピだが、蛤(はまぐり)を入れるものがある。

貝の殻を開けさせるには煮立てればよく、ガスの火力ならば
わけもないことなのだが、炭火でこれをするのは、実はたいへん。
いつもの暖房用の2〜3倍の炭を熾さないとなければ、
とても開かない。

湯豆腐は温まればOKなので、暖房用よりも多少強く
炭が熾きればよいだろう。

二つほど新たな炭を加え、ふうふうと吹いて炭を熾す。

水を張った小鍋に昆布を入れ、ガスであらかじめ熱くし、
火鉢へ。




豆腐は松坂屋の食品売り場にあった、多少よいものらしい。


私の湯豆腐は、鰹節削り節とねぎのみじん切りをパラパラとかけ、
出汁で割ったりせずに、しょうゆを直にかけて、食べる。

なぜだか今日の湯豆腐は妙にうまい。
他のおかず(肴)もあるのだが、湯豆腐だけで十分。

そういえば、池波作品「仕掛人藤枝梅安」シリーズに出てくる、
梅安の親友である、彦さん。

この人は、豆腐が大好きで、夏は冷奴、冬は湯豆腐一本槍で
他のものはなにもなくとも、文句はいわないで豆腐だけで
呑んでいるというキャラクターであった。

実のところ私は最近まで、特に奴や、湯豆腐といったしょうゆだけをかけた豆腐など
たいしてうまいものではない、と、思っていた。しかしどうしたわけか、この頃、
段々にうまく感じるようになってきた。(年齢せいか?!)

しかし、なんにしても、今の浅草で隅田川の雪見はとてもできないが、
拙亭ではこうして火鉢の炭火で湯豆腐はできる。

寒い雪の晩の愉しみとしてこれができるのは幸せなことである。