浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



箱根塔之澤・福住楼 その2

dancyotei2013-12-26

12月21日(土)

引き続き、箱根塔之澤の福住楼。

部屋。

主室があって、次の間。

出入口はむろん次の間の方からでダイレクトに
主室の方に入れないようになっているのである。



この飾り窓というのであろうか。

なんの形なのか。

お椀? じゃないだろうし、、、。

でも、なんだか、よいではないか。



衣桁(いこう)掛けも塗りの黒はよく見るが、白木が枯れた色なのか、
よい色。

衣桁掛けの前に置かれているお盆には、浴衣と丹前、羽織もある。
それから、大小のタオル。

次の間の額。



これも方南先生。
文字は「河鹿鳴処」。

河鹿は、かじか。
よい声で鳴く、という清流に棲む蛙のこと。

この前の早川にいるというのだが、夏に泊まったことがないので
わからない。
河鹿自体の鳴き声も意識して聞いたことがないので
ピンとこないのだが。


しかし、「河鹿鳴処」とは、そのままではないか。
これも方南先生の作風か。

次の間の押入れ。



押入れ一つでもこの意匠がよいではないか。
下は板で、上は真っ白な唐紙(襖)。
このコントラストが美しい。

引手というのか、襖に付いた金具がまた凝っている。
アップ。



「長命 富貴」と読める。
ちょっと中国っぽいような。
ひょっとすると、これ、もともと骨董だったのではなかろうか。

ちょいと一杯やって、風呂、風呂。
風呂へ行こうか。

ここには岩風呂と丸い風呂と二種類あり、
時刻によって、女湯と男湯が入れ替わる。

今は、男が丸風呂。

浴衣と丹前に着替えて、出る。

長い廊下を歩いて、また大広間を横切って、さらに廊下を歩いて、
階段を降りて、風呂に到着。

先客はなく、一人占め。


これが[福住楼]自慢の丸風呂。

まわりは銅なのであろう。
ピカピカに磨きこまれている。

明日は冬至

柚子が浮いている。

ザブンと湯につかって、上を見る。



湯殿の欄間。

波に千鳥か。
こんなところまで、細工がしてあるのである。
湿気が多い場所なので手入れがたいへんではなかろうか。
いつもきれいにしている。

私の場合、あまり長湯はしないので、さっと入って、
あったまったら、さっとあがる。

これが途中にある、大広間。



立派な舞台である。

実際に立ってみたのだが、この舞台、意外に奥行きがある。

映画「社長シリーズ」で三木のり平師匠が芸を披露していた
会社の宴会がちょうどこんな広間の舞台でやっていたのを
思い出す。

この舞台の対面は二部屋分遥か離れて大きな床の間。
なんとなく、宴会の場合、舞台のそばが上座のような感覚におちいってしまうが
むろん反対側が上座で、床の間はこちらにある。

森繁社長はその床柱を背に座る。
お膳が二列、または四列にずらっと並び、社員はそこに座る。
むろん芸者さんも入る。

二部屋分で六十六畳になるという。

宴会として座れば100人、いやもっと入るのではなかろうか。

今となって一般にはそんな座敷の宴会はもうあり得なかろう。

我々の会社でも100人規模ならホテルで立食ということになるか。
ああいう座敷の宴会はもうやくざやさんもやらないか。
滅んでしまったということであろう。

こんな舞台で落語を一席なんて、演れたら、よいだろうなぁ、、、。

返す返すも、なんで私たちはこんなものを
失って、いや、置いてきてしまったのか、と。
でも、やはり、仕方がないのか、、、。
(一度、断腸亭でここを借り切って、なんて、考えたりしてね。)
こういう座敷での宴会というのも無形文化財といってよいのかもしれない。

大広間の廊下。



大広間から部屋へ向かう通路のような、小部屋にあった
またまた、方南先生の短冊。



「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ人情宿」

方南先生、ちょっと[福住楼]によいしょ、か。

ただ“箱根八里は馬でも越すが”は箱根の馬子が唄ったという
ご存知「箱根馬子唄」であるが、今ではもうあまり耳にすることがなくなった
唄かもしれない。

部屋のそばにある洗面所。



こんなところも凝った造り。


この角を曲がって突き当りが今回の“瀬せらぎ”という部屋。


つづく

福住楼