浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



両国・山くじらすき焼き・ももんじや その1

dancyotei2013-12-18


12月15日(日)夜

さて。

日曜日。

長らく続いた風邪。やっと全快が見えてきた。
金曜に病院へいき、抗生物質をもらい、昨日土曜日は酒もほどほどにし、
ゆっくりしていたおかげか。

今日は先週からの内義(かみ)さんのリクエストの、
両国の猪鍋[ももんじや]にいく。

先週も発熱であきらめたのであった。

なぜ内義さんが、[ももんじや]へいきたいと言い出したのかは
わからぬが、寒くなって猪鍋はよい。

猪鍋は、ぼたん鍋ともいうが、
東京では名実ともに、この店以外にはないだろう。

江戸は享保の創業で300年にならんとしている。
当代で九代目。東京でも食い物やとすれば、屈指である。



廣重 江戸名所 東両国豊田屋

雪の降る両国橋。
大きな看板に「山くじら」。

山くじらとは、猪のこと。
江戸の頃は獣肉は禁忌であったため
山のくじらです、といって食べていたのである。



毎度書いているが、以前は、両国橋をはさんで東詰、西詰ともに
両国といわれ、ここは火事が燃え広がるのを食い止めるための
火避け地で、広小路という名前の、いわば広場になっていた。

パリでもローマでも欧州の街には伝統的に、街中(まちなか)に広場が
たくさんあるが、なぜだか我が国ではあまり聞かない。

江戸でかろうじてこうした広小路がその例になると
いってよかろう。

両国の他には、上野寛永寺門前の上野(下谷)広小路などがある。

上野の広小路も東西両国もともに、この広場には
なにかあれば取り払うことを条件に、小屋掛けの芝居や
見世物、その他、いわゆる屋台店が許され、一大盛り場に
なっていたのである。

欧州でも移動式のサーカスやら遊園地、露店やらが広場には出るが、
まあ、似たようなものかもしれない。

ただ、欧州はむろん最初から広場として作ってあるので
噴水があったり、彫刻やら、戦勝記念のモニュメントだったりがあり
景観として配慮され、市民が憩える場所であるが、江戸の広小路は
本来の目的が火災を延焼を止めるためのものなのでそういうものは
むろん一切ない。

東西両国ともにそういった小屋掛けの屋台店の向こうには
常設の水茶屋、料理屋などが軒を連ね、特に西両国は橋の袂から
さらに北側、神田川を渡ったところに料理屋が広がり、後に
神田川に架かる橋の名前から柳橋と呼ばれる花柳界が生まれている。

また東両国ではにぎりの鮨の元祖といわれる[与兵衛鮨]があったのも
有名である。

明治に入り、広小路での芝居興行やらは禁止され
こうした盛り場としての両国は次第に衰退していったと
思われる。(ただ、落語でも『両国風景』なんという題名で
夜店の様子を語るものが残っているので、明確には私自身
情報は持っていないが、明治、大正、昭和の初期あたりまでであろうか
名残はあったのだと思われる。)

上野広小路はともかく、両国などは今からはとても
想像ができない。
東西ともに広場はなくなっているし、商店や食い物やもわずかで
夜になれば、人通りもほとんどない淋しいところである。

[ももんじや]もそういうわけで両国橋の東の袂の今の場所
(旧尾上町)に店があったのであろう。今となってはポツンと残された
といった趣である。

さて。

普通[ももんじや]は日曜は休み、なのだが、12月は営業をしている。

18時に予約を入れ、18時半すぎ元浅草の家を出る。

春日通りでタクシーを拾い、厩橋西詰めを右折。
蔵前(江戸)通りも南下し浅草橋を渡って、靖国通りを左折。
両国橋を渡り一つ目の信号で降りる。

通りを渡って、店前。



出た!。

この姿。
ダミー(剥製)という情報もあるが、どちらにしても
あまり気持ちのよいものではない。



玄関を入ってすぐに帳場がある。

女将さんらしき人に名前を言って、お二階へ。

ここは大部屋の入れ込みではなく、基本は個室。
(少人数だと相部屋の場合もあるが。)

一番奥。

隣の部屋では宴会でもしているのか、
にぎやかな声が聞こえる。

お膳にガスのコンロ。



箸袋には「猪料理 山くじら 両国橋畔 登録商標 ももんじや
(電話番号)」としてある。

余談だが、この箸袋というもの、今、こうして店名などを
印刷しているものはそう多くはないのではなかろうか。

ここのものは、店名だけでなく、色々なことが書いてある。
古風なタイプといってもよいかもしれない。

書かれている内容に加えて、文字の配置、
ロゴタイプを使っているかいないのか、など、
長らく印刷業に携わっていたからか、妙に気になったりする。

先日の、南千住のうなぎや[尾花]

は「千住名代 御蒲焼 尾花」。

これもよいが、確か、この店の正月の配りものが包んであった
店の包装紙に単色だが満月に見立てた正円が背景にあって
「江戸名物 鰻 小塚原 尾花」としてあった。
私の好みとすれば、この方がよかった。

こうして文字に書いてしまうとよさはそうとうに減じてしまうが、
デザインとコピーライティングの妙というのであろうか。
狭いところに、実に江戸らしく粋に書かれていた。
(正円は、尾花→すすき→月見の満月であろう。)

また、日本橋[吉野鮨]だったり、同[吉野鮨]
だったり、裏に店主のメッセージが書かれていたりするのものある。

最近は杉の美しい木目の割り箸で、箸袋なし、なんとというのもあって、
それはそれでよいのだが、こういう箸袋の言葉や文字、そして
デザインというのは、祭半纏などと同様、やはり江戸のそれも
庶民の意匠の香りを残しているものであろう。
私には、残してもらいたいものの一つである。


猪鍋にたどり着かなかった。明日につづく。


墨田区両国1-10-2
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