浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草千束・おでんお多福(おたふく)

dancyotei2013-04-04

3月30日(土)夜

さて。

浅草観音裏の見番で、雲助師匠の『品川心中』と『山崎屋』を
聞いて、出る。

友人の希望で、六区にある、先日の[水口食堂]へ。

ここで軽く一杯やって、もう一軒。

寒いし、千束のおでんや[お多福]に決まった。

[お多福]というのは大正4年創業で、浅草では老舗おでんや
と、いってよいのだが、味は東京風の濃いしょうゆ味、ではなく、
透明な関西風、で、ある。

いつもは江戸の地図だが、今日は明治の地図を出してみる。



現代


より大きな地図で 断腸亭料理日記・浅草2013 を表示

江戸の頃の浅草寺の北側というのは、基本は田んぼで、その先に、
吉原があった。

見番のある観音裏の西が千束町という町名になる。
(ちなみに、吉原も今は千束町の内にある。)

ひらけてきたのは明治になってから。
今日は、それで明治の地図を出したのである。

明治の地図に入れた表示は、現代のものと昔のものが混在している。
ビューホテルや言問通りは現代のもの。
浅草千束町一丁目、二丁目は当時のもの。

明治大正のこの界隈といえば、浅草十二階こと、凌雲閣。



((東京名勝)浅草公園十二階(凌雲閣)と仁丹看板
1890年-1923年 絵葉書 Wikipediaより)

関東大震災で倒壊したが、この当時の一大ランドマーク。

言問橋は震災後にできているので、言問通りの名前は
明治の頃にはまだないと思われるが、千束通りはこの頃と
現代と変わってはいない。

この千束通りから脇に入る横丁に歌舞伎役者の初代の市川猿之助
住まいがあったことから、猿之助横丁と呼ばれていたところがある。

猿之助はむろん、先年、三代目から四代目に代替わりをした
市川猿之助。この初代という人は江戸末、立師(たてし)の子に生まれ、
明治期、一代で名代(なだい)まで上り詰め、猿之助の名を作り上げた
立志伝中の人物である。(ちなみに初代のお内儀(かみ)さんは吉原の
妓楼の娘で、女主(おんなあるじ)として腕を振るった時期もあった。)

そして、この地図には入っていないが、千束通りを北へ上がって、
西北側の奥が、その吉原、で、ある。

さて。

国際通りを北上すると、左にビューホテル、があって
言問通りの交差点。

これを渡って次の信号が千束五叉路だが言問通り
左に曲がる。

[お多福]は少し行って言問通り沿いの右側。

店名入りの大きな提灯があり、店の玄関まで
緑の植え込みがある。
この入口部分が幅二間ほどであろうか。

玄関を入ると二間幅の右側に奥に向かってカウンター。
このスペースはうなぎの寝床のよう。

寝床の奥へ行くと左へ折れ、店は広くなり、さらに座敷があるという
不思議な造りになっている。

奥の座敷に上がって、ビールとおでんを頼む。

それぞれ好みのたねを頼むと、お膳の上のカセットコンロの
おでん鍋の中へつゆとともに、入れてくれる。



毎度書いているが、本来の東京のおでんとは、しょうゆで
真っ黒に煮〆たもの。

代表は、日本橋のお多幸やら、池之端多古久で、私はおでんといえば、こちらではある。

澄んだつゆの関西風のおでんというのは、やはり、別物。
だがむろん、別の料理としてうまいもの、で、ある。

大正期の創業のこの店が、なぜ澄んだつゆなのか。
まあ、簡単にいえば、その頃、大阪から進出してきたから。

この大正期というのは、東京の和食界は大きく変わっていった
時期であったようである。

例えば[八百善]のような江戸からの老舗料理屋というのは
明治に入っても、しばらくは東京の料理屋として、繁盛を続けていたのだが、
明治末から大正にかけ、おでんに限らず関西風の割烹料理が
東京へ進出し始め、震災前後に掛けて、江戸料理を完全に駆逐して
いったのである。

それで今は、ほぼ、江戸料理は東京には残っていない。
(なぜ江戸料理は滅んだのか、その理由は一言でいえば、関西料理が
安くてうまかったから。詳細は長くなるのでまたの機会にしよう。)

まあ、そんなことで、本来東京発祥のおでんは、一度大阪へ行って、
“関東炊き”という澄んだつゆになって、大正時代には既に東京に
戻ってきていたわけである。

おでんや、というのは、ある程度どこでもそうだが、
おでんだけ食べていれば、べら棒に高くはならない。
しかし、他のメニューには要注意。特にここは、刺身など他のメニューの
値段帯がちょいとお高目。

おでんを食べ、下地も入っていたの、随分と酔っぱらって、
帰りは、タクシーで帰宅。
倒れるように、コートを着たまま、寝てしまっていた。


ただなにも知らずにこの界隈を歩くと気が付かないかもしれない。
しかし、浅草というところ、歴史にしても食い物にしても、
奥の深い物語が残されているところ、なのである。

お多福

住所:東京都台東区千束1-6-2
電話:03-3871-2521