3月15日(金)夜
午後から、大阪出張。
17時半、淀屋橋付近で仕事終了。
さて。
どうしようか。
と、いっても、今日は決めていた。
真っ直ぐとんぼ返りする方が多いのだが、
金曜だし、飯を食っていこう。
どこかというと、昨年12月にいった、淡路町の
[吉野すし]。
この時は、取引先との会食であったのだが
気に入ったところには、身銭を切って
こなければいけなかろう、と思い立った。
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さて。
江戸の地図。
いつもは江戸時代の江戸の地図だが、
今日は大坂の古地図を手に入れてみた。
幕末近い頃の大阪船場である。
北から、土佐堀(大川)、東横堀川(東掘)、長堀川、
西横堀川(西堀)に囲まれているのが船場。
大坂の地図は初めて。
淀屋橋筋と書かれているのを発見できた。
これが御堂筋なのか。
御堂筋の名前は、通沿いに東西の本願寺があるから。
(大阪の方には常識なのであろうが、恥ずかしながら
知らなかった。)
細かく町名を見てみると、現代に残っているものとは
違うものも見えるが[吉野すし]のある淡路町、
その一本北の平野町。南側は、瓦町、備後町、安土町、
本町などなど、今も同じ名前である。
南北の筋は[吉野すし]があるのが心斎橋筋。
これもこの地図に見える。
この他にも堺筋、難波橋筋、中橋筋、
栴檀木橋(せんだんのきばし)筋、丼池(どぶいけ)筋
などなど、基本的に名前は変わっていないよう。
町名も同様。
余談だが、このあたりは、東京と比べてしまう。
東京の中央区、千代田区、港区、台東区その他、
江戸から町であったところで、江戸の町名、地名
通りの名前が残っているところは、ほんのわずか
しかない。
京都などもむろん、昔からの地名を明確な意図をもって
残している。
なぜ東京だけが、と思わずにはおれない。
首都だから、効率だけを追い求められたのか。
そして、反対する者も少なかったのか。
閑話休題。
大阪船場のことであった。
5時半すぎ[吉野すし]に入る。
一階は、持ち帰りのものを売る売り場がある。
そこの白髪の方。刈上げた髪をきっちり七三に分けて、
ご主人であろうか、
「予約してないんですが一人、入れますか」
と聞いてみる。
予約が入っているのであろうか。
ちょっと、考えている様子。
柔らかい物腰で、
「お寿司を召し上がりますか。
お寿司だけなら、どうぞ」と。
夜は懐石というのか、コースの料理を
出すのであろう。
エレベーターで二階へ上がる。
さすがにこの時間、まだお客はいない。
奥に、白木のきれいなカウンター席があり
“予約”の札が置かれている。
テーブル席に座り、ビールをもらう。
頼んだのは、前回食べた大阪すしとにぎりすしのセット。
(3000円ちょい)
大阪すし
下、左が玉子がのっているが、穴子の蒸し寿司。
右が鯖の棒寿司。
うまい上に、彩りもよい。
後からになったが、お通しであったのか、
ほたるいかが出た。
にぎりすし。
ビール一本で、お茶にする。
一人でもあるし、なんとなく、急いで食べてしまった。
ご馳走様でした、と、席を立つ。
預けていたコートをお姐さんにもらい、
エレベーターで一階に降りる。
「ご馳走様でした」
と、ご主人にいうと。
にこっとわらって
「えろう、早うおましたな」
柔らかい大阪弁。
(なんだ、ゆっくり食べてよかったのか。)
船場の旦那、という感じであろうか。
よいもんである。