浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
断腸亭料理日記本店
 

野晒し その12


引き続き、断腸亭フィクションシリーズ。


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前回



  十一



 門跡裏の長屋へ戻って、今日の経過を緒方の隠居に話し、明日にでも[難波


屋]へ二人でいってみることに相談がまとまった。柳治一人で行くよりも緒方


のご隠居のような連れがあった方が自然であろう。


 翌日、昼までは柳治は新しい噺の稽古。


 噺家の稽古というのは、師匠などに習う場合は別だが、一人でする場合、実


際には座って、さあ、これから稽古をします、という稽古はそう毎日はしない。


噺家の稽古というのは、誰が始めたのか皆、歩きながらする。まあ、ぶつぶつ


と言いながら歩くわけである。これが歩く調子と話す調子がちょうど合うし、


柳治などは家で座ってしてるとすぐに飽きてしまう。


 従って、このところの向島の行き帰りも、一人ならば必ず、それをしている。


今日は新しい噺のねた下ろし。ねたは『紺屋高尾』。


 真面目一本の紺屋の職人が絵草子屋の店先で吉原の花魁、高尾の一枚絵を見て


一目惚れをしてしまうところから始まる、ちょっとほろっとさせる、現代風にい


えば、純愛物語。


 昼まで座って稽古をし、いつものように[むじなや]で昼飯を食って、東橋亭


に入る。


 今日は中トリの栄枝がこられずかわりに柳治が中トリと決まっていた。それも


あって『高尾』のねた下ろしをすることにしていたのである。


できはどうであったか。初回で筋を追うのが精一杯というのが本音のところで


あった。汗だくで高座を降りてきた。


 師匠も今日はもう楽屋へきており、


「まあ、これからだな」


と一言。お駒ちゃんはこっそり、


「よかったわよ


あたし泣いちゃった」


 ま、今日のところはよしとしようか。


 トリの師匠が終わるまで楽屋に詰め、終わると、一度長屋へ戻る。待っていた


緒方のご隠居とともに羽織姿のまま向島の[難波屋]へ向かう。


 これならばご隠居と芸人という組み合わせに見えるであろう。いや、それに間


違いはないのだが。むろん、目的は様子を探るためである。


 [難波屋]は[大七]からもさほど離れていない。


 門に下がった紺の暖簾には白抜きで、上方料理・なにわや、とある。


主屋の玄関で緒方のご隠居が案内を乞う。今日のご隠居は小刀を腰に手挟(たば


さ)み、上品そうな拵(こしら)え。


 出てきた若い番頭らしき者に


「私は浅草御門跡にお世話になっておる緒方と申す隠居者なのだが、初めてじゃ


が、ちょっと休ませてもらえませんかな」


というと、


「へいへい、どうぞ、どうぞ、かまいまへん。お越しやす。お二人様でござい


ますね」


と、こだわらずに座敷へ案内する。


「お酒と、それから、料理はなにかみつくろっていただいて。こちらの若い人に


はご飯もお願いしますね」


と、頼む。


 障子を開けると庭。池もあり、青々とした楓の木陰に下は杉苔を敷き詰め、と


ころどころに大小の苔むした石や灯篭が配されている。京風というのであろうか


広くはないがさすがに凝った造りである。番頭の言葉も上方風である。


 酒もなかなかよいものを使っているが、これも上方好みなのか、甘口。


 料理が二品ほど出され、女将が挨拶に現れた。


「どうも、緒方のご隠居様。ようこそおいで下さいまして。お初にお目にかかり


ます。私当家の女将を務めさせていただいております菊と申します。お料理はお


口に合いましたでしょうか」


「いやいや、女将さん。おいしいですよ。私もね、若い頃、京に少しばかりおり


ましたのでな。懐かしい」


これは本当のことである。緒方のご隠居は学問のために京にいたことがある。


「女将さんはお言葉の感じから江戸の方のようで」


「はい。私は江戸の生まれ育ちなのですが、主人が大坂の者で、板場も京、大坂


の者でございます」


「なんでまた、大坂の人がこちらへ」


「いえ、主人の家は大坂で料理屋をやっておりますが次男でございまして。店は


長男が継ぎ、私の主人は江戸へ出てやってみようと考えたようで」


「なるほど。江戸にはなにかつてでも、おありなすって」


「はい。実は私の父は、ご存知でございましょうか、御蔵前の[泉屋]で番頭を


しておりまして」


「おおそれは、また、大店中の大店」


蔵前の[泉屋]といえば、知らぬものはない札差(ふださし)であり、かつ、


上方、西国を本拠とする大長者。江戸期四国の別子銅山の開発などで大いに業を


広げ、両替商、江戸の蔵前には札差の店も出している。[泉屋]とは現代まで続


く、かの住友グループの前身である。


「こちらはいつから」


「もう、一昨年のことになります」


「はあ、なるほど」


「またどうぞ、ご贔屓に」


女将は如才なく挨拶をしていく。


「[泉屋]ですか。これは大きい。そんな看板があったら、あんなセコイ真似は


しねえんじゃ」


と、柳治。


「うん。そうじゃのう。ちと、勘が外れたかのう」


二人は、飛んだ無駄足だったかと、落胆の思いで勘定をし[難波屋]を出た。


 が、しかし、これが無駄足ではなかったのである。


 店を出ると柳治は勝手口の前で、思いがけない人物を見つけたのであった。


 それは誰あろう、こやつ、数日前に浅草奥山の生人形の裏で顔を合わせた、


三吉という若い人形師であった。


 三吉は[難波屋]の番頭となにやら立ち話をしていたのだが、話の中身まで


はわからない。しかし、これでやっと話がつながったようである。









つづく