引き続き、断腸亭フィクションシリーズ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
十
さて。
嫌がらせをした料理屋と、なると向島の目明し、九蔵だ。九蔵にあたってみる
のが最も適切であろう。
柳治はまだ日のあるうちにと、その足で吾妻橋を渡り九蔵の住む小梅瓦町へ向
かった。
ここは現代の東京スカイツリーのすぐ下の町である。当時のこの界隈はまだ、
町名通り瓦を焼く家がある。
九蔵の家は、近所で聞くとすぐにわかった。場所柄、小さな茶店を内儀(かみ)
さんにやらせている。
店にはちょうど客はいない。九蔵のお内儀(かみ)さんが流しで洗い物をし
ており、奥を覗くと折よく、九蔵も家にいた。
「親分、ごめん下せえやし」
声を掛ける。
「お前さん、お客さんだよ」
「お、お前さんは、柳治さんっていったっけ」
「はい」
手下の十吉は見えないようである。九蔵も柳治の実の兄が北町の与力である
という素性を聞いており、顔を見ると、ちょいとした愛想笑いのようなものを
浮かべながら、
「まあ、まあ、こっちあがって」
「はい、それじゃあ、ごめんなすって」
九蔵のお内儀さんに会釈をして、茶店の奥へ上がる。
「[大七]のこってすかい」
「はい。あっしもまあ、関わり合ったなりゆきで、なんといっても、ところの
こってすから、親分にご挨拶、と存じましてね」
「いやいや、柳治さんにそんな風にいわれると困っちまうが、まあ、縄張り内
のこったからね」
「はい。
で、さっそくですが、これ、商売敵が[大七]さんの評判を落とそうって嫌
がらせじゃねえかって」
「ああ、同業の嫌がらせね。
俺もね、老舗じゃあなくて、このあたりじゃ新顔の[小がわ]と[難波屋]
ってのは頭にあってね。
まず[小がわ]の方だが、こっちは白だね」
「ほう、またなんで」
「あすこの主人はね、俺も昔からよく知ってるんだ。東両国の料理屋[青柳]
な、お前さんも知ってるだろ」
「はい。有名どころですね」
「ああ。[小がわ]の主人は[青柳]の板前を若い時分からやってたんだよ。
で、[青柳]の旦那に見込まれて、名前は違うが、暖簾分けしてもらったのが
[小がわ]なんだ。親の看板に泥を塗るような、まさか、そんなことはしねえ
だろう。
確かに、ここんところ少し客は少なくなっていたようだがね。
だけどもよう、この春は花見客を当て込んで“花見弁当”って手頃な折(おり)
を出してな、売れてたようだ」
「なるほど。“花見弁当”ですか。そりゃあ、思い付きだ。
じゃあ、親分は[難波屋]の方が」
「そう。あすこはどうも、くせえ。
難波屋ってくれえで、主人も板前も向こうからきた者(もん)で、あっちの
料理を出す。江戸もんには珍しいんで、最初は客もきたが、薄味だからね、
江戸の客相手にはそうそう続かねえ。
でもよう、同業の付き合いなんかは形通りしてるようだし、俺んとこへも、
挨拶はまあ、それなりにしにくるが、どうも底が知れねえと思ってはいたんだ。
だがまあ、それだけだ。俺もこの件があってから、[難波屋]はそれとなく
は見てはいるんだが、今んとこ、これってもんがあるわけじゃあ、ねえ。
なんにもねえのに、踏み込むわけにもいくめえ」
「そうですねぇ」
「あ、そうだ。それから、三度目の骨のことだ。
[大七]の忠兵衛さんとも話してたんだが、最初の骨から二度目の骨まで十五
日。もう一つあるってえと、十五日後じゃあねえかってね。
へんな坊主を使っていわせてるくれえだから、きっちり守ってまた十五日後
に、骨を置きにくるんじゃねえかって」
「それを張っておく」
「うん。今んとこ、それだけだなぁ」
柳治は[難波屋]とはどんな家なのか。いってみよう、と考えた。
「親分、ありがとうござんした。
[難波屋]は客のふりでもしてあっしも覗いてみましょう」
「そうかい。お。お前さん腹は減ってねえかい。
商売もんだがそばでも一杯食ってくかい」
「ありがとうございます。さっき、ご贔屓にご馳走になって」
「そうかい、芸人はいいなぁ」
「じゃあ、親分また。お内儀さんもごめんなすって」
「おかまいもしませんで」
「おお、またな」
つづく