浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
断腸亭料理日記本店
 

野晒し その1

さて。


毎度、断腸亭料理日記ご愛読ありがとうございます。



唐突なようではありますが、今日から小説というのか、
まあ、フィクションを少し配信しようと決めました。
一先ず、数回分。




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   野晒し



  一



「ご隠居さん、おはようございます」


「おお、柳治(りゅうじ)さん、おはよう」


「今日もいい塩梅に、天気のようで」


「そうじゃのぅ」



 弘化二年(1845年)、ここは江戸、浅草門跡(もんぜき)裏、長屋の井戸端。


 浅草門跡というのは、浅草本願寺の通称。その裏手の長屋。朝、顔を洗いに出てきた二人である。


 ご隠居は、名を緒方清十郎といってもとはお武家。この長屋で気軽な一人暮らしをしている。


 柳治というのは、年は今年で二六歳。噺家の二つ目。麗々亭柳治。師匠は大看板の麗々亭柳橋


まだ独り身。この長屋へ越してきてまだ間がない。


二人は薄い壁を隔てた隣同士。



「へ、へ。ご隠居さん。夕んべはおたのしみでしたね」


「え?なんだい。おたのしみ、って」


「とぼけねえで下さいよ。ちゃんとねたはあ


がってるんだから。お年の割にはあちらの方は随分お若い」


「え?」


「年は取っても浮気は止まぬ、止まぬはずだよ先がない、ってね」


「なんだい?」


「はは。いやね、ご隠居、あっしゃぁ、ちゃんと聞いてたんですぜ。随分遅くまで、

若い女の声がしてたじゃねえですか。


 長屋の壁は薄いんだから」


「え、女?


 あー。お前さんは知らなかったかな。


はっは。ありゃ、わしの姪だ。


 そうか。いや、すまなかった、すまなかった。夕べはな、ちと夜なべ仕事があってな。


 ほら、表の伊勢屋の帳簿の整理を頼まれて。手が足りんのでな。向島の[大七]へ嫁にいった姪のお玉に

手伝いを頼んできてもらっていたんじゃよ。


それに、ありゃあ、若くはない。今年で三〇じゃ」


 緒方のご隠居は、今でいう経営コンサルタントのようなもので商家の経営に助言をする仕事をしている。

そして、向島の[大七]というのは、江戸でも名高い料理屋。生簀(いけす)に放した鯉の料理を売り物に

お客を集めている。


と、そこへ、大きな欠伸をしながらお玉が出てきた。


「あ〜。叔父さんおはよう」


「おお、お玉。大きな口だなぁ。


 ああ、こちらはお隣の柳治さん。噺家さんじゃ」


「おはようございます」


 と、柳治。


「あれまあ。とんだところを…。


 玉と申します。


 柳治さんは、噺家さんなんですか」


「ええ、麗々亭柳治と申します」


「麗々亭っていうと、柳橋師匠のお弟子さんですか」


「ええ。ちょっと寄り道をしたんで、年は少し食ってますが、まだ二つ目で」


「そうですかぁ。柳橋師匠ならうちにもお見えになったことあるんですよ」


「どうも、お世話になっております」


「そうそう。噺家さんだったら、ちょっと聞いていただきたい話がありましてね。


 あの、『野晒し』、って噺がありますでしょ」


「はい。向島へ釣りをしに行って、野晒しの人骨を釣ってくるって噺」


「そう。それと同(おんな)じようなことがあったんですよ」


「え?、骨が」


「そうなんですよ。


 うちには大川(隅田川)から舟が着けるように堀が引いてありましてね。

その舟着きのそばの葦(よし)中にお骨があったんですよ」


「お骨が?」


「そうなんですよ。もう十日ほど前になりますか。うちの若い者が、手の空いた時に舟着きのところで、

釣りをしてて見つけたんです」


 [大七]の舟着きにあった人骨は、髑髏(どくろ)。頭の骨が一つであった。ちょうど[大七]の主人、

忠兵衛もおり、役人にも届けた。


 役人の方も、初めは土左衛門、古い水死体であれば、頭の骨だけでなく一体そのままの骨がありそうなものだが、

髑髏だけ、というのは多少へんであるとは思ったようではある。


 だが、大雨など、大川の水嵩(みずかさ)が増した時に古い水死体のうちの、頭の骨だけが流されてきて、

たまたま[大七]の若い者が見つけた、ということもないとはいえなかろう。また、古い骨で大人の骨のようであることは

わかるが、いつ頃の水死体なのかもわからない。そんなことで、あまり力を入れて調べをする気もなかったようであった。


 一応のところは型通り調べられたが、目立った傷のようなものもなく、すぐに調べは終わり身元不明者として処理された。


 [大七]の主人忠兵衛は、自分の家の舟着きに流れ着いた人骨である、役人に申し出て、供養を引き受けることにした。


 忠兵衛とは同年配で、碁敵(ごがたき)でもある、近くの小梅村にある東光寺の住職、淨善。

忠兵衛は淨善に頼み、忠兵衛、お玉の夫婦、店の者も参列して、東光寺で供養をしてもらった。

そして、その髑髏は今も東光寺にそのまま預けてある。


「でもね、柳治さん」


「はい」


「それからちょっと不思議なことがあったんですよ。


 野晒し、ってお噺しならば、仏様が幽霊になってお礼にくるでしょ」


「ええ。なんか礼にきたんですか」


「いえね、お礼というのではないんですが、不思議な旅のご出家様が私共をお訪ねになったんですよ。

私はお会いしてはいないんですが」


 東光寺で供養をしてもらった二、三日後の昼下がり、[大七]に年老いた一人の旅の僧が訪れたという。

笠をかぶり身なりは粗末ではあるが清げなもので、坊主だか乞食だかわからぬ、俗にいう願人坊主の類(たぐい)で

はないように見えたという。ちょうどその時、主人の忠兵衛もお玉もおらず、応対に出た女中にこういったという。


「お宅はよいことをなされた。きっと仏もこれで浮かぶことができるでしょう。

これからお宅にもよいことが訪れるでしょう。ただ、これはまだ始まったばかり。これを入れて三度あるでしょう」


 これだけ言うと、すぐに立ち去ったという。


 これが一昨日のことだった。





つづく。