浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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市川團十郎のこと その1

dancyotei2013-02-07


ご存じの通り、
去る三日、十二代目市川團十郎が亡くなり、
昨日六日葬儀が営まれた。
謹んでご冥福をお祈りする。


最近、歌舞伎を観るようになり、この日記にも
観劇記というのか、素人なりに感想らしきものを
書いている。


が、しかし、亡くなった十二代目團十郎の芝居を観たのは
そう多くはなくまた、歌舞伎の世界では、最も中心にある
いわゆる市川宗家、あるいは、その家の芸である、歌舞伎十八番
についても、あまり語れることもなく、ここに書くべきかどうか
悩んだのではあるが、やはり、なんらかは書くべきと思い直した。


しかし、なにもなしに書く、ということも難しく、
自分の勉強のためにも、買ってあったが、読んでいなかった
市川団十郎』西山松之助/吉川弘文館、を参考書に
團十郎とはなんたるものかを、私なりに書いてみたい。



正直のところ、私の少ない歌舞伎観劇の中でも
もう既に好き嫌いというのか、少なくとも、
好きなものはできてしまっている。


なにかといえば、なん度も書いている通り、黙阿弥作品。


『白波五人男』『天花紛上野初花(河内山と直侍)』などなど。


五七調の台詞、そして江戸至上主義というのか
作品にあふれる江戸美学。


黙阿弥作品でさえまだ、とば口に入ったばかりだが、
好きな作品群になっている。


が、團十郎を頂点とする、市川宗家の芸、
歌舞伎十八番というのは、黙阿弥作品群とは、
まあ、まったく趣を異にしているのである。


これを同列に並べて観ても、素人には
まったく理解ができない。
(むろん、歌舞伎十八番の方がわからない。)


自分のことを考えてみると、
黙阿弥というのは幕末から明治の歌舞伎作者で
現代に最も近く、そういう意味では理解しやすい
ということもあったのであろう。


で、俄か勉強であるが、先の参考書を読んで、
團十郎家の芸が、やっと多少頭に入った次第ではある。


まず、團十郎という役者。
初代は元禄の頃の人。


いわゆる荒事(あらごと)というのを確立した。


市川團十郎家=歌舞伎十八番=荒事、と、いってよい
のであろう。


で、その特徴を先の、参考書に沿って挙げると、
1.隈取(くまどり)、2.誇張した衣装、3.見得(みえ)や
荒々しい足拍子に代表される独特の演技術、4.勇壮なセリフと
雄弁術、と、いうことになるという。


1.の隈取、というのは、いかにも歌舞伎らしいので
誰でもわかるのだが、これは荒事に特徴的なもの。


そして、2.の衣装。
勧進帳』の弁慶なんというのを思い浮かべると
わかりやすいか。(大きな頭のかつらに山伏の格好。)


3.これは、今回この参考書を読んで初めて知ったのだが、
歌舞伎でお約束の見得、というのは、この初代團十郎
始めたものというのである。


じゃあ、この見得というのはそもそもなにか。
明快に説明してくれており、目から鱗であった。


あの恰好、仏像なのである。(知ってました?)


例えば、お寺の仁王様を思い出していただきたい。
あの、全身に力を入れて、片手を上げて、片手を下げて、
下げた方の手は、前に出す。


見得のポーズと同じではないか。


見得というのは、仏や神を舞台に出したものが
起源というのである。


歌舞伎十八番の多くは、
強いスーパーマンの主人公(神や仏の化身)が
悪に立ち向かい、圧倒的な力で懲らしめる、
という構成になっている。


事実、この初代の頃には、神や仏の化身になっている團十郎の演技を観て、
観客はお賽銭を舞台に投げた、というのである。


この頃も、エンターテインメントなのではあろうが、
多分に宗教というのか、呪術というのか、儀式、
というのか、そういった色彩があったのである。


以前に勧進帳でもちょっとへんな勧進帳
『御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)』
というのを観たことああるが、これなぞは、まさに
そんな感じ。


弁慶が雑兵の首を千切っては投げ、千切っては投げ、
最後は首を大きな樽に沢山入れて、里芋を洗うように、
首の芋洗いをするというもの。かなりグロテスク、ではある。


これは、疱瘡除けのおまじないの意味があるといい、
ただのエンターテインメントとは明らかに異なっている。


海老蔵(当代)がTVなどで睨んで見せ、これは厄払いだ、
というようなことをいっていたのを視たことがあるが、
これなぞも、そういうことなのである。


團十郎は、ここでは神や仏の化身なのである。


これがわからないと、さっぱり、わからん、
ということになるのである。


我々、近代、現代の演劇を観る頭では、おまじないや
神や、仏への祈り、と、エンターテインメントとは、
普通は一緒にはしない。


が、しかし、例えば、お神楽(かぐら)。
お祭りのときに、神社の境内で演じられる踊り。


あれならば、神への祈りと踊りが融合したものというのは、
わかると思う。


つまり、黙阿弥作品のようなストーリー性が高く、
エンターテインメントに富んだ作品と同列に興行されているので
これがまた、わからなくなる原因なのである。


ともあれ、まず、そういう世界から出発しているのが、
市川宗家の芸で、歌舞伎十八番、ということ。



長くなった。


もう少しだけ、團十郎のこと、来週につづけたい。