浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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2012年をふり返って。 その1歌舞伎

dancyotei2012-12-30

2012年をふり返って。 その1歌舞伎
さて。



いよいよ、2012年、平成24年も押し詰まってきた。


皆様のこの1年はいかがであったろうか。


世間的には、昨年の東日本大震災から2年目。


私のまわりにもご家族を含め、仮設暮らしを
されている方々が数多くおり、復興にはまだまだ。
ことに福島県原発被害に遭われた地域は、
いったい復興ということ自体が目指されているのかどうかすら、
わからないような状態に見える。


政治では、民主党野田政権において、
消費税増税は決まったが、暮の総選挙で大敗。
自民党へ政権が戻った。


安倍新首相は経済再建を第一に掲げ、
ここへきて、円安、株高とマーケットは好感触。
これは、今のところ、パナソニック、シャープなど
先が見えない国内電機業界を含めた、国内経済には
よい兆候、なのか。


安倍政権、及び日本経済については、
もう少し、来春くらいまではどんなことになるのか、
様子見なのであろう。


ただ、根本的に、日本はどこを目指すのか、
という問題は、依然、解決されておらず、
悩める我国はまだまだ続くと、思われる。


さて。


個人的には、今年はやはり、歌舞伎をよく観た年であった。


もともと、私のバックグラウンドは
江戸落語で、歌舞伎というのは、ほとんど、
いや、まったく観てこなかった。


これ自体は、談志家元の影響なのだが、
やはり、江戸を語ろうというのであれば、
歌舞伎を知らなければ、まあ、知識的には
そうとうな欠落である、ということ。
一重に勉強のために観るようにした。


1月、初芝居。国立で「三人吉三巴白波」黙阿弥作。
これは通し。


2、3、4月はなしで、5月に地元浅草で
ロングラン公演を続けていた、平成中村座


昼夜、両方で、昼が「弥生の花浅草祭」と
「め組の喧嘩」など。
夜が「髪結新三」など。


これは、ご存知の通り、中村勘三郎
最期の舞台ということになってしまった。


夏は休みで、9月、新橋演舞場で秀山祭で、
「菅原伝授手習鑑」寺子屋
「天衣紛上野初花」河内山。


10月、国立で「塩原多助一代記」通し。


11月、同じく国立で「浮世柄比翼稲妻」通し。


6回分というのであろうか。


歌舞伎トウシロウとしてはよく観たもんである。


中でも、勘三郎先生の最期の舞台を観られたことは、
やはり幸せなことであった。


しかし、返す返すも、勘三郎の早すぎる死
悔やんでも悔やみ切れぬ。


個人的には勉強のために観始めた歌舞伎であるが、
正直にいって、歌舞伎トウシロウには、今、
新橋演舞場で行われている興行は、はっきりいって、
おもしろくない。


だが、勘三郎先生が作ってきた、平成中村座
歌舞伎トウシロウにも、ただ一言、おもしろいかった。


この違い、で、ある。


今年、なん本もの歌舞伎の舞台を観てきて、
今、どんなふうに考えているかといえば、
観れば観るほど、歌舞伎がわからなくなっている。


それは、あたり前である。


歌舞伎というのは、安土桃山の
発祥から数えれば、落語の倍以上、歴史がある。


そう簡単に、理解できるはずもなかろう。


しかし、もう一方で、先に書いた、新橋演舞場
芝居興行そのものが、歌舞伎トウシロウには、
わかりにくく、つまらなく、しているように思う。


なにかといえば、人気のある芝居の特定の幕だけを演る。


知っている人にはよいかもしれぬが、
トウシロウにはなんのことやら、さっぱりわからない。


違う芝居がどんどん出てきて、調べようという気にも
ならなくなってくる。


まあ、それで個人的には、今年は通しを
国立で集中的に観てみた。
(まあ、それで、さらに歌舞伎というものの深さと
幅、というのか、が、わかり、全体像はさらに
闇に包まれていったのだが。)


それにつけても、平成中村座、なのである。


「法界坊」にしても「髪結新三」にしても、
「め組の喧嘩」も通しに近い形で演っていた。


こうしなければ、トウシロウにはわからないのである。
あたり前の話ではないか。
作者が演者が伝えたかったものの一部だみせて
作品のおもしろさが伝わると思っているのであろうか。


新橋演舞場の興行は素人を排除しているとしか
思えないではないか。


落語について昨年亡くなった談志家元は
伝統を現代にと若い頃から叫んでいた。
能や狂言文楽のように博物館のものにしてはいけない、と。


勘三郎先生の平成中村座もそれを目指していたし、
十二分に成功を納めていた。


私自身は、私達はどこからきて、どこへ行くのか。
これを見定めるためにも、自分の故郷である、
江戸・東京とはなにか、というのを掘り起こそうと
もがいている。


落語も歌舞伎も主として江戸で、それも庶民の間で、
育った芸能、芸術といってよかろう。
やはり、昔のように皆が観るものであってほしい、
と、思うのである。


そして私は、これらを読み解くことによって、
なにかわかるのではないか、との思いで
勉強中ということである。


まあ、まだまだ、結論など出ないが、
来年も続けていきたいとは、思っている。