浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭の夏休み イタリア その9

dancyotei2012-08-29



8月11日(土)



さて。


イタリア二日目。
(まだ二日目!)


一日目は、バチカンであったが、今日は、ローマの
古代系。
有名な闘技場、コロッセオなど。


二日間でローマ観光を終えるとすると、
こんなことになるのであろう。


昨日も書いたが、ローマには、道を歩けば
中世の建物に出くわすので、丹念に観るのであれば、
時間がいくらあっても、足らない。





より大きな地図で 断腸亭料理日記・ローマ を表示



ホテルの朝飯は、まあ、書くほどのものはない。


お決まりのバッフェでスクランブルエッグやら、
クロワッサン。生野菜が少ないのはヨーロッパの特徴か。
また、クロワッサンは甘いものが多いのだが、
これはイタリアの特徴なのか。





さて、ローマの古代地区。
これは、ベネチア広場、Piazza Venezia からスタート。


今泊まっているテルミニ駅付近からもさほど離れてはいないが、
歩けば30分以上か。バスで向かう。


ベネチア広場でバスを降りると
もう広場の正面に、こんな建造物がある。





モニュメントのようにも見えるが、
ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂。


イタリア統一を果たしたエマヌエーレ二世を
記念して1911年(明治44年)完成という。


ちなみにそのイタリア統一は1861年文久元年)。
日本でいえば、幕末、大政奉還まであと6年。
(浅草のうなぎや、色川が創業したりもしている頃。)



書いている通り、私はイタリア史はおろか、西洋史には
まったく疎いのだが、イタリアはこんな最近になって、
統一、ということになっていた。


イタリアという地域は、それこそ古代ローマに始まり、
カトリック教会、ローマ帝国と、ヨーロッパでも
早くから開けていたところ、と、いってよいのだろう。


先進地域であったからこその、多発する外部からの侵略、
小国の乱立、ということになった。


それで、統一が遅れた。


結果、近代国家への生まれ変わりが、日本と同時期、
ということになった、ということであろう。
そして、日独伊三国同盟、二次大戦での敗戦になったのか。
(あっていようか。)


ともあれ。


エマヌエーレ二世記念堂はちょうど丘
(カンピトーリオの丘)上にかけて造られており、
この向こう側が古代ローマの遺跡群、となる。


エマヌエーレ二世記念堂の右側に並んで、
アラコエリのサンタ・マリア聖堂、さらに、カンピドーリオ広場
カピトリーニ美術館とある。


エマヌエーレ二世記念堂にはあがらず、向かって右隣の
アラコエリのサンタ・マリア聖堂の石段をあがる。


これがけっこう急な、石段。





昇るとこんな景色。
教会のドームが二つ見えるが、右側奥がサン・ピエトロ。


ローマというのは、南北に蛇行しながらテヴェレ川が流れ
西がバチカン、東が古代ローマに遺跡群を含む
旧市街。ここに七つの丘があり、その丘と谷に
またがって街が広がっている。


で、ここはその丘の内の一つでかつ、
最も高いというカンピトーリオの丘。


聖堂内に入る。
やはり、祭壇に向かって祈っている人もいるでの
私も祭壇前までいき、十字を切って手を合わせ、型通り礼拝。


この聖堂は中世以前にまで歴史をさかのぼるよう。
ここに建っている柱は、隣の古代ローマの遺跡のものを
流用している、と、いう。


聖堂の内部。





あまりにすばらしいので今日は一枚撮らせていただいた。


大理石の見事な柱。
やはり、石の文化、で、ある。


祭壇に向かって左奥に聖幼子(おさなご)と呼ばれる、
幼いキリスト像がある。
ここにも礼拝。


この聖幼子は霊験あらたかで、重病を治す、
死者を蘇らせるといった数々の奇跡を起こしている、
と伝えられているもの。


まだまだ、先は長い。
教会を出て、隣のカンピトーリオ広場へ。





きれいなシンメトリー。
日本や中国の寺社では、完全なシンメトリーの境内というのは
意外に少ないようにも思うのだが、どうだったであろうか。


正面はローマ市庁舎。
おそらく、この建物だけで行政は行なえないのであろうが、
文字通り、このカンピトーリオの丘は古代からローマの中心
と、いうことで、今はここが市庁舎として使われているという。


両側が美術館、この広場もミケランジェロ
設計らしい。


美術館には入らず、この向こうの古代遺跡群へ向かう。





裏へまわると、急に視界が開け、遠くのコロッセオまで
古代ローマの遺跡群が続いている。
さすがに、この眺めは壮観、で、ある。
まるで、絵に描いたようではないか。


一度丘を降りて、遺跡を縦断(横断?)している通りに出る。
両側の地面よりも下が遺跡。


カエサル、英語読みシーザーの像。





古代ローマの歴史など、もっとわからぬが、
まあ、ある時代のこの遺跡群の主であった人、なのであろう。)



さて、この後、入場料を払って、実際に、この古代遺跡群を
観てまわるのだが、きりがよいので、今日はここまで。



またあした。