8月10日(金)
さて。
引き続き、断腸亭の夏休み。
ローマ二日目。
ローマで観光のできるのは二日間のみ。
今日と明日。
明後日は、シシリアへ移動日。
二日間でローマでなにを見るか。
こうなると、もうある程度、決まってきてしまう。
で、重大なことが1点。
なにを隠そう、私、カトリック教徒、なのである。
が、まあ、実際は、両親がカトリックだった関係で、
幼児洗礼(生まれてすぐの洗礼)を受けたもので、
教会にはこのなん年もご無沙汰、という、信者とすれば、
まったくの不熱心なもの。
しかし、兎にも角にも、いくら不熱心とはいえ、
ローマにきたからには、パパ様(ローマ教皇)のおられる
バチカンには真っ先に参らねばならないのは、いうまでもなかろう。
そこで、今日一日は、バチカンへ、と決まった。
さらに明日は、お決まりのコロッセオ周辺。
まあ、これが順当なところ。
地図を広げ、予定を立てる。
バチカンは今いるテルミニ駅から地下鉄で四つ五つほど。
その途中、内儀(かみ)さんがどうしてもいきたいという、
最近頻繁にCMに登場する、トレビの泉へ。
ローマには地下鉄は2本だけ。
東西線と南北線、という感じであろうか。
地下鉄には1日乗車券もあり、4回以上乗るのであれば、
これがお得のよう。
二駅乗って(実は、乗る線を間違え、戻ってきて、
また乗り直したりしている。)、降りる。
どうでもよいのだが、初めてのイタリアの街で、
それも地下鉄、当初、↓このuscita、の表示が
わからないかった。
スペイン広場の名前の由来は、このスペイン大使館があるから
ということ。
この階段の上が教会で、ここも、映画ローマの休日にも出てくる、 有名なところ。 この階段の完成は、1725年(享保10年)でやはり先のトレビの泉と 同じような年代。 ついつい、日本だとどのくらいの年代かと、 計算してしまう。 私のタイムスケールはやはり、そうできているようである。 それで、なんとなく、このくらいの時期か、というのが、 体感的に理解できてくる、ので、ある。 さて。 スペイン広場には先ほどの地下鉄の駅があり、 そこから再び乗ってバチカンへ向かう。 三つほど乗って、バチカン最寄駅で降りる。 最寄といっても、15分程度であろうか、 少し歩く。 しばらく歩くと、城壁が見えてくる。 暑いので、脇にあったself service と英語で書かれた、 カフェというのか、バール(Bar)というのか、へ、入って一休み。 不熱心とはいえ、自分でもカトリック教徒である、という 意識はあり、バチカンの近くにくると、さすがに、 緊張というのか、厳粛な気持ちになる。 私自身、教会へ行っていたのは、親と一緒に、であったので、 中学生の頃までではあろうか。 なぜ行かなくなったのか、というのは、 誰でも憶えがあろうが、思春期になり、親離れを始めた頃、 ということが一つ。 もう一つは、ある意味、カトリックの教えに 疑問を持ったから、ということ。 この疑問、というのは思春期、ということともある程度 重なっているのだが、難しくいえば、自己の確立とともに 教条的なものへのある種の自然な反発ということであったのだと思う。 今のカトリックは比較的、緩くなっている、と、 思われるが、当時はまだまだ、それこそ中世以来の 天動説を信じていたような教義というのか、規範を 維持していた部分が多かったのである。 身近なところでは、中絶、離婚、自殺、安楽死はダメ。 (これらは今でもそうかな。) 進化論なども、それこそ、アダムとイブから始まり、 人間は神が創りたもうたもので、教義には反する。 まあ、これらは一例だが、明らかにおかしいだろ、 そんなものを一方的に信じられるか、といった心境であったと 思われる。 今となっては、カトリック教会自体も変化しているだろうし 大人になった私であれば、それはそれとして、 と、カトリックというものを理解することはできるようには なっている。 バールを出て、城門をくぐり、ちょうど、向かって右手から かの、サン・ピエトロ(日本語のカトリック式にいうと、 聖ペトロ)広場へ入り、正面にまわる。 カトリックの信者の端くれとして、長年の不信心のせいか、 なにかやはり、巨大なものに圧倒され、打ちのめされるような 気分である。 (本当は、カメラを構える気分でもなかったのではある。) 長くなった、明日に続く。