さて。
昨日は途中になってしまったが、
庭が名代の清水寺の成就院、一般公開。
比較的狭い庭なのだが、向かい側の山を借景にしている
というもの。
借景というのは、庭では、なにも日本の庭だけでなく、
中国などでもその例はある、と、聞いたことがある。
(むしろ、起源としては、そちらから入ってきたもの、
なのかもしれない。)
この成就院の借景の効果というのは、どうなのか。
見た目、手前の庭と灯篭までわざわざ置いてある、
向かい側の山。
むろん100m程度向こうにあるものなので、
遠近感が違うので、同じものには、見えない。
今、ビルの屋上などに庭園を造ってあるものが
あったりする。空中庭園、と、いうのであろうか。
ちょっと、あれを髣髴とさせる。
つまり、この庭のある位置も山の上なので、
ちょっと、空中に浮いているような、そんな錯覚も
できる、のかもしれない。
遊び、あるいは、洒落、ということなのかもしれない。
また、いまは緑青々としているが、
これが秋であれば、向かい側の山の紅葉も含めて、
手前の庭の紅葉とともに、また違った印象に映(うつ)ることは
想像ができる。
借景はこの庭の大きな特徴なのであるが、
もう一つ、印象深いものがある。
手前の庭の正面から左は崖なのだが、右手側は
山の斜面になっている。
むろんここなどにも木が植えられているのだが、
この形がおもしろい。
立方体であったり、球、だったり。
どちらかといえば、幾何学的な西洋の庭園の木の造り方、
なのである。
どういう意図なのか。他にも例があるものなのか。
わからぬが、印象とすれば、落ち着いた、というよりは
主張している、というのか、跳ねている、というのか、、。
先の借景の遊びとともに、かぶいている?。
かぶく、は、傾く。
歌舞伎の語源にもなった、かぶき者。
戦国、安土桃山の頃の風俗のこと。
この庭は秀吉から贈られた、という手水鉢などもあり、
その頃から、最終的には、三代将軍家光の寄進によって
完成された、と、いう。
この時代、建築では日光東照宮に代表される、
豪華絢爛な権現造り、というのがある。
わび、さび、よりは、派手。
観る者を驚かそうという意図のもの、なので、あろう。
そんなふうに、感じられる庭、で、ある。
大きな縁側に座って、ガイドの男性の説明をお聞きしながら
観ていたのだが、、、、
先の雨が上がって、、、
今度は、そうとうな蒸し暑さ、に、なっている。
扇子でパタパタ扇いでも、とても追いつかない暑さ。
まあ、京都の夏は、こんなものと、この暑さも
含めて、楽しまなければならない、のであろう。
立ち上がり、太閤様の贈った手水鉢から
柄杓(ひしゃく)で水を取り、手を洗う。
冷たい水が気持ちよい。
縁側づたいに左手側の庭へ。
二種類の音が聞こえる、水琴窟。
三角形の灯篭があり、もう片付けを始めていた
玄関から出る。
成就院正面。
成就院前には、池。
ここまできたからには、清水寺本堂、かの有名な
舞台へも行かねば嘘であろう。
拝観料300円也を払って、修学旅行生や、中国人に混じって
入る。
重要文化財轟門を潜り、国宝本堂。
ご本尊は十一面千手観音。
お参りをし、舞台へ。
さすがに、よい眺め。これは京都駅の方であろう。
京都タワーも見える。
左手側に回り込み、長い石段を降りて、音羽の滝。
涼しげ、だが、観光客が集っているので、素通り。
暑さのため、すべての建物を観るのはあきらめる。
音羽の滝から道なりに降りてくる。
ここで、おもしろいものを見つけた。
阿弖流為・母禮の碑。
阿弖流為はアテルイ、母禮はモレ、と読む。
人の名前、で、ある。
この二人、ご存知であろうか。
平安時代初期、征夷大将軍に任命された
坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐に今の東北地方へ
遠征したのは、皆様ご存知であろう。
この時の蝦夷の頭が、このアテルイとモレ。
負けた彼らは、畿内へ連れてこられ、処刑された。
なぜ、ここ清水寺にあるのか、というと、
坂上田村麻呂はもともと清水寺と縁があり、蝦夷征討帰還後、
勝利を感謝し、本堂などの大改修を行なった、という。
そしてこの碑は平安遷都1200年に際して、1994年(平成6年)
この清水寺の境内に建てられた、と、いう。
二人が処刑されたのが、802年(延暦21年)。
関係はないが、昨年の東日本大震災の前の東北地方を襲った
同規模の地震津波といわれる貞観地震が、70年後の869年(貞観11年)。
そんな、東北地方が日本でなかった頃の話。
さすが京都の歴史は、1000年を超えるスケール、で、ある。
ともあれ。
このまま、観光客のあふれている産寧坂へは戻らず、
真っ直ぐ東へ向かい、茶碗坂。
こちらはまったく人通りがない。
人のいない冷えたカフェで、一休み。
さて。
この界隈、六波羅密寺、あるいは三十三間堂、などもあるが、
もうだめ。
暑さでこれ以上歩けない。
五条坂を降りて、大谷本廟前でタクシーを拾い、
京都駅まで戻る。
5時半発の新幹線で、帰京。
まったくもって暑かった、が、有意義な時間であった。
地図