浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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平成中村座 五月大歌舞伎夜の部 その3

dancyotei2012-05-10



引き続き、平成中村座五月、夜の部。



『梅雨小袖昔八丈』別名『髪結新三』の本編。



例によって、筋は書かない。
ご参考


結論からいうと、この芝居は、現代でも
十二分におもしろい話ではなかろうか。


現代でも、というのは、歌舞伎を特に知らない、
興味もない若い人が観ても、という意味である。


昨日書いた、実話が講談などで人々に知られている、
という背景があり、幕末になり、落語(人情噺)になり、
明治になって書かれた黙阿弥先生脚本の芝居は、
これを元にしている。
今上演されているのは、これである。


で、現代、落語の『髪結新三』


〜もっとも、今の生きている落語家でこの噺を
出来る人がいるのか、または、演る機会がどれだけあるか
わからないが。〜


は、圓生師匠のテープが残っている。



実のところ、この音を聴いてから、中村座に出かけたのであった。


幕末の頃の落語の『髪結新三』と圓生師のものが
どれだけ変わっているのか、おそらく大幅には違わなかろうと考える。


そこから考えると、落語と黙阿弥先生の『梅雨小袖昔八丈』は
そうとうに近いものになっている。
(細かい小道具、例えば下駄といった、まで同じだったりする。)


落語の『髪結新三』があり、それを皆知っていて
それを前提に、芝居が書かれた、と考えてよいのかもしれない。


つまり、落語にないものをプラスする必要があったはず、
と、考える。


もちろん、舞台で人が演じるのであるから、落語とは
違ったリアリティーは出てくるのだが、黙阿弥先生が
ここに加えたのは、季節感、である。


『梅雨小袖』というくらいで、梅雨。
実は、日付まで決まっていて、5月5日、
端午の節句
もちろん、旧暦なので、梅雨の頃。


大事な小道具として登場するのが、鰹。
初鰹、で、ある。


ただし、これは、落語にも登場するのだが、
舞台では、魚やがきて、買う場面もあり、
より印象的な登場の仕方。


そして、もう黙阿弥先生となると、
七五調の名台詞(ゼリフ)、ということになる。



「不断は帳場を回りの髪結、いわば得意のことだから、


うぬのような間抜け野郎にも、ヤレ忠七さんとか番頭さんとか


上手をつかって出入りをするも、一銭職と昔から下がった稼業の世渡りに、


にこにこ笑った大黒の口をつぼめた傘(からかさ)も、並んでさして来たからは、


相合傘(あいあいがさ)の五分と五分、轆轤(ろくろ)のような首をして


お熊が待っていようと思い、雨の由縁(ゆかり)にしっぽりと濡るる心で帰るのを、


そっちが娘に振りつけられ弾きにされた悔しんぼに、柄のねえところへ


柄をすえて、油紙へ火のつくようにべらべら御託をぬかしゃアがると、


こっちも男の意地づくに覚えはねえと白張りのしらをきったる番傘で、


うぬがか細いそのからだへ、べったり印を付けてやらあ」



これは、傘尽(づ)くしといわれているもの。


(毎度のことだが、こういう台詞は、是非、声に出して
読んでいただきたい。)


悪党の新三が番頭の忠八を脅す場面。
この長い台詞の中に、傘に縁のある言葉が散りばめられている。


落語の圓生師匠版でも、同じような場面はあるのだが、
ここでは、圓生師は、細かく説明をしながら、噺を進めている。


〜例えば、大黒、なんというのは、大黒傘という
安い傘があった、という。元は、大坂から来た大黒屋という店があり、
そこの傘であったのだが、その店がなくなっても、安い
白い紙を張っただけの傘は、大黒傘と呼ばれていた、という。〜


が、残念なことに、現代ではほぼ、わからなくなっている。


黙阿弥先生では、同じようなものでは、
私は『天衣紛上野初花』(くもにまごううえののはつはな)を
思い出す。


舞台は雪が降る、入谷田圃の寮。
男女の別れの場面。


台詞ではなく、清元で、語られる。


清元の「忍逢春雪解」(しのびあうはるのゆきどけ)。



「冴えかえる春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、


上野の鐘の音も氷る、細き流れの幾曲り、末は田川へ入谷村・・・」



どうだい、きれいではないか。
これが黙阿弥先生の世界。


やはり、キーワードは江戸、なのである。


『髪結新三』は明治6年の初演だが、
この『天衣紛上野初花』も明治、それも14年の作品なのである。


どちらにも共通するのは季節感。


かたや梅雨に傘、かたや初春の雪。


明治に入って、黙阿弥先生は、意識的に
このようなものを書くようになっている、という。
文明開化に浮かれる、明治の世に対する、痛烈な反論、
とも解されている。


さて。肝心の舞台のことを書かねば。


勘三郎(新三)は当たり役といってよいようで、
手馴れたもの。


おもしろかったのは、新三の子分というのか、
下剃りといって、髪結の助手の勝(奴)が勘九郎


この二人が、同じ部屋にいて、台詞のやり取りのある場面。
同じ盲縞(めくらじま、紺無地)の着物を鉄火に着て
同じように、手ぬぐいを持って、おなじ格好をして、
で、あの二人の顔。
まったくもって、二人の親子コントを観ているようで、
とてもたのしかった。(橋之助の大家もよかった。)


さて。


幕前。


舞台が明るくなって


『まずこんにちは、これ切り』と座頭(勘三郎)の台詞。


これは、今ではあまりやらないが、歌舞伎の伝統的な幕の閉め方。


すると、ぱっと、後ろの背景が開いて、外が見える。
正面の黒い夜空に、実物のまん丸の大きなお月様。


で、幕。


この日は、総立ちのスタンディングオベーションには
ならなかったが、やはり拍手鳴りやまず、再び開いて、
勘三郎の一言。


「これ、いつもは開けないんですが、今日は、お月様がきれいなんで、、」


と。



勘三郎先生、粋なもんである。