勢いあまって、金曜にも配信してしまったが、
間違いなく、休みボケ。
さて。気を取り直して、『め組の喧嘩』のつづき。
前回書いたような実話なのだが、
これが芝居に仕立てられている。
町火消のめ組。町火消は、落語などにも登場するが、
一般には、鳶(とび)と呼ばれていた。
芝居の話の前に、鳶について少し説明をしたい。
現代において、鳶という職業はご存知のように全国に存在する。
今回のスカイツリーの建築でも高い現場で活躍していた。
江戸、東京でいう鳶は、江戸の町火消、俗にいろは四十八組、
と呼ばれていたものに起源を持つ。そして、今でも江戸からの組の名前、
例えば、め組だったり、い組だったり、を名乗り、祭の仕切りや、
裏方作業、暮の門松その他、いわゆる建築に
携わる鳶とも違う、町内での役割を今でも持っている。
私の住む、元浅草七軒町でも、鳥越祭りでは、毎年、わ組の衆が
働いている。
むろん、め組も今でも芝界隈にある。
この芝居の初演は明治23年ということなので
鳶は既に町火消ではなくなっている。
(むろん、火消しの仕事は明治になり、公けの消防の
仕事になっている。)
落語に登場する鳶、というのが、火消しをしなくなった
鳶の姿に近いのかもしれない。
その鳶のリーダーは、文字では“鳶頭”と書かれるが、
言葉ではカシラ、という。
町内の大店に出入りをし、その家の雑用、あるいは町内の
よろずもめごとを引き受けたり。
年嵩(としかさ)でもあり、人が練れている。
時には若旦那の遊びの指南をしたりする。
そして、ちょっと三枚目にも描かれる。
火消しをしていた頃の鳶とはやはり、若干違った
姿なのかもしれない。
火消の頃は、場合によっては一つの組で
数百人の人足を抱え、その頭(かしら)となれば
その貫禄はそうとうなものであったろう。
勇(いさみ)、鉄火(てっか)、などといわれるが、
荒くれ男達を捌き、実際に火事場で働き、その指揮を執った
わけである。
「芝で生まれて、神田で育ち、今じゃ火消の纏持ち」
なんという言葉があったくらいで、ある種
江戸っ子の憧れの存在であったものである。
落語でもそうだが、早口の江戸弁で威勢よく
啖呵(たんか)を切る、というのが紋切型ではあるが、
江戸っ子の、姿となっていた。
多くは、鳶頭(かしら)か、大工の棟梁がこのキャラになる。
(私も落語を自分で演りたいと思ったことの一つが、
この江戸弁の啖呵を切ってみたい、ということではあった。)
従って、その江戸っ子の代表たる鳶と相撲取りの喧嘩は
相撲取りも人気はあるにはあったが、比べれば、
圧倒的に、観客は鳶の味方になる。
そして、鳶頭の啖呵を聴きにきていた、のである。
(この感覚は、現代ではもう、わからなくなっていようが。)
(落語との関係では、ほとんど知られていないと思うが、
談志家元が落語用に書き直した台本で、演ったことがある。)
芝居は、四幕九場。
手元に、台本があるのだが、これによれば、元々は
四幕八場で、最後大詰の幕にもう一場増やしている。
これは、今回の工夫、なのか。
通し狂言などというが、現代において台本通りに
頭から全部演るのはそう多くはない。
その上、今回は、伸ばしてさえいる。
作は竹柴其水。だが、序幕は三世河竹新七、
三幕目はなんと、あの、黙阿弥が助筆。
ちなみに、河竹新七も竹柴其水も黙阿弥の弟子。
黙阿弥翁はこの初演の三年後に亡くなっているので
最晩年といってよいのだろう。
さて。
今回、主役である、め組の頭、辰五郎が、
平成中村座座長、勘三郎。
昨年の病開けの勘三郎が、辰五郎の流れるような
気持ちのよい江戸弁の啖呵がちゃんと切れるのか。
どう見せてくれるのか。
例によって、筋は書かない。
結果、どうであったか。
私は初めてみたが、歌舞伎には珍しい、
スタンディングオベーション。
観客総立ち、拍手鳴りやまず、〆た幕を再び開けて、
既に役を終えて浴衣に着替えている役者もいる中で、
勘三郎座長の挨拶にもなった。
前に観た法界坊でもそうであったが、中村座の芝居の
フィナーレに向けての盛り上げ方というのは尋常ではない。
今回も流石にツボを心得ている。
先に、一場増やした、と書いたが、最後の相撲取りとの
喧嘩の場面、これを増やしているのである。
伝統的な歌舞伎の立ち回り、というのは“お約束”の
動きばかりで、私などが観ると、正直のところ、
退屈なことが多い。
そうしたお約束の動きだけではなく、手を使わずに
梯子を駆け上がるなど、本気で息を切らせて、
これでもか、と、舞台を飛び回る役者達の姿は、
理屈なく、観客に迫ってくるものがある。
勘三郎はむろん、頭(かしら)でもあるし、飛び回りはしない。
肝心の啖呵。
これは、まあ、好みの問題でもあろうが、
もう少し、ドスが効いてもよかったのでは、と、
思わなくもない。
しかし、これ、落語の啖呵でもそうなのだが、
観客を怖がらせるほどの本気の啖呵はだめ、ともいう。
魅せるためのもの、だから。(特に現代においては。)
また、どちらかといえば、三の線の勘三郎のキャラクター
ということもあるかもしれない。
例えば、鬼平の吉右衛門先生であれば、どんなふうになるのか、
観てみたいような気もする。
だが、流石に芝居の構成上、きめるべき啖呵はきちんときめていた、
勘三郎先生。
そんなことで、完全燃焼の平成中村座、
五月大歌舞伎、め組の喧嘩、で、あった。
「よ!、中村屋!」