2月25日(土)夜
土曜日。
第一食は、冷飯でチャーハン。
これはちょっと、進展があった。
ちょいと、ご報告。
先日の、温かい飯(レンジ加熱した)で炒める、という方法。
これが、やはりだいぶよいことがわかってきた。
そうとうに、パラパラ感には役に立っているようだ、と。
高温(短時間)で、炒めることによって、米粒の表面の水分を飛ばし、
パラパラになる。
このためには、冷たい飯よりは、温かい飯の方が
速く高温になる、ということではないか、という仮説、
で、ある。
一方で、パラパラチャーハンの作り方には、調べてみると
プロでもいろいろとあることも、わかってきた。
必ずしも、温かい飯を使わない人も少なくなさそう。
この場合は、プロの火力であれば、冷飯でも
すぐに高温にすることができるのではないか、という
推測が成り立つ。
また、結局のところ、表面をコーティングする、ということが、
パラパラの本体である。
表面のコーティングには高温で飯粒を短時間に固める、以外にも、
方法がある。
少し前まで私は、冷飯をあらかじめボールでよくほぐし、
さらに油を全体にまぶし、これををコーティングとする、
というもの。
油が多目になってしまうが、これでも、プロの火力でなくとも、
パラパラには役に立つ。
ともあれ。
チャーハンのメカニズム、だんだんと、わかってきた、
という報告であった。
しかし、それにしても、で、ある。
料理というのは、プロといえども、あるいは、
料理研究家というような人々、料理マスコミ、その他でも
ロジカルに、あるいは、サイエンティフィックに
考える人というのは、そう多くはないということである。
なぜそうするのかが、あまり追求されていないことが
料理の世界には、少なからずある。
また、チャーハンや先日のチキンライスでもそうだが、
結局、パラパラ、が、そんなに大事なのか?ということにも
行き当たってしまう。
パラパラを有難がるのは、どこから生まれてきたのか。
日本人には、パラパラでなくとも十分に食えるし、うまい。
いや、逆にパラパラすぎる飯は、うまいとは
感じないのが日本人の味覚である。
パラパラは中国、東南アジア方面の人々の好む食感であろう。
彼らの長粒米や中間種では、白いご飯からしてパラパラ、
だからではなかろうか。
日本人のチャーハンは(ベチャベチャでなければ)
パラパラでなくともよい!。
この方が、ロジカルで、リーズナブルであろう。
毎度のことだが、理屈っぽくなってしまった。
さて、夜。
今日は、前から内儀(かみ)さんが行きたい、
といっていた、両国のももんじや。
猪鍋、ぼたん鍋の老舗、で、ある。
この店、ご存知の方はそう多くはないのではなかろうか。
創業は享保3年(1718年)。
享保というのは、享保の改革で、暴れん坊将軍、
七代吉宗の治世。
江戸時代243年間のちょうど半分くらいのところ。
現在の東京に残っている江戸創業の飲食店とすれば、
かなりの古株の方である。
かの江戸料理八百善が、享保2年。
創業から、今年で294年。
ちゃんと営業をしているというのは、稀有な存在と
いってよかろう。
場所もほぼ変わっておらず、両国橋を渡った東詰、南側の旧尾上町。
こんな浮世絵が残っている。
これは、この店のマッチ箱から撮ったものである。
広重、江戸名所、東両国豊田屋、とある。
(これは、有名な、初代歌川広重の「名所江戸百景」シリーズとは
別のもののようである。宣伝用に書かせたのであろうか。)
豊田屋というのは、昔のこの店の屋号。
東両国、というのはなにか。
今は両国といえば、両国橋の東側の地名だが、以前は、
橋の両側が両国で、東を東両国、西を西両国といっていた。
どちらも、橋の袂は、火除地という目的で、広場であった。
この広場のおかけで、露店、見世物小屋、小屋掛けの芝居などが
集まる盛り場で、どちらかといえば、西両国の方が、栄えていたという。
そんな背景もあり、今は、あのあたりは繁華街でもなんでもないだが、
この両国橋を渡ったところには、明治以降も料亭、食い物やというのが、
集まっているところであったのである。
ちなみに、文化文政期、にぎり鮨というものを最初に出した、と
いわれている、華屋も、この、ももんじやの近所であった。
猪鍋、というのが、江戸の頃から、江戸市中でも
食べられていた、というのは、どういうことか。
ご案内の通り、江戸期、というのは、獣食は禁忌で、基本的には
食べてはいけない、普通は食べないものであった。
が、実際は、食べる人は食べていた。
落語にも出てくる。
二番煎じ、という噺だが、冬、町内会の夜回りで、寒いので、
みんなで、番小屋で寒さしのぎに猪鍋を食べる、というようなシーンに
出てくる。(昔、末広亭であったか、初席の夜、在りし日の志ん朝師で
聞いた記憶がある。実によかった。)
絵にもある『山くじら』とは猪の別称、で、ある。
獣ではない、山のくじらだ、という言い訳。
(くじらもむろん動物だが、江戸期には、魚、であった。
蛙は虫だったし、、。おもしろいものである。)
しかしまあ、鶏に比べれば、圧倒的に食べる人も機会も
少なかったのではあろう。
ももんじや、という店名のももんじは、なにも猪だけを指したものではなく、
獣一般をももんじ、と、いったようである。
実際、ももんじやでは、猪以外にも鹿、熊、なども出す。
これも落語などに出てくるが、ももんじ、ももんが、なんという
言葉があり、子供を怖がらせる時などにも、言ったりしていたようである。
ももんが、は、木から滑空するモモンガ、と同じ音だが、
関連があるのであろう。
長くなった。
今日はこの辺で。
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