浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神田須田町・洋食・松栄亭

丼の考察をしているうちに、
時間が経ってしまった。


ちょっと前になるが、書いておきたい店を。


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2月10日(金)昼


午前中、神田。


昼前、終わって、お茶の水までいくという
連れに付き合って、須田町まできた。


淡路町の交差点で別れる。


さて、昼飯。


市谷に戻るよりも、もちろん、この辺で食べよう。


外濠通りと中央線と靖国通りに囲まれた、
須田町の三角地帯。
連雀町


この三角地帯には、正月にいった、
あんこう鍋のいせ源

鳥すきのぼたん


蕎麦のまつやに、神田藪蕎麦その他、
老舗がいろいろ。


ここ10年程度で、このあたりの街並みは
だいぶ変わった。


この三角地帯はご存知の方もあるかもしれぬが、
万世橋駅という駅の駅前であった。


その昔、中央線はこの万世橋駅が始発で
橋のこちら側に、ちょうど東京駅の駅舎を
小さくしたようなものが建っていたのである。


万世橋の中央線の高架付近は煉瓦の壁が今でも
残っているが、これが駅の名残、で、ある。


中央線は東京駅までつながり、万世橋駅
廃止され、その後駅跡は、長く交通博物館であった。
その交通博物館も大宮へ移り、今は
JRがその跡地にビルを建てている。


その、万世橋駅があった頃、の絵葉書。





駅前は広場になっており、右側に市電(都電)
なども見える。


真ん中に銅像が見える。
これは当時は、小学生でも知っている有名人。


日露戦争の旅順口閉塞作戦で戦死をした広瀬中佐。
戦前は軍国主義教育のために、教科書にも
載っている人であった。


万世橋駅がなくなってもこの旧駅前は
都電のターミナル須田町駅で、大いに
にぎわう場所であった。
銅像自体は、戦中もあったが敗戦で、戦犯銅像
ということになり、GHQによって撤去されたという。)


そんなわけで、この須田町界隈は飲食店や
寄席などもあったのだが、今まで、このように
老舗が残っている大きな理由は、戦争で
この界隈が、焼けなかったということである。


それで、いせ源をはじめ、関東大震災後の建物を
今でもそのまま使っているところはある。


少し前までは飲食店以外にも
まだまだ昭和の東京の街並みがこの界隈には
残ってもいたのを記憶されている方もあろう。


まあ、そんな神田須田町界隈。


蕎麦のまつやの前までくると、12時まで
まだ10分くらいはあるが、もう店前に
列をなしている。
この店も池波先生が、有名にしたといって
よかろう。


藪よりも庶民的といってよかろう。
建物もここも古いもの。


じゃあ、どこにしようか。


ん!。


久しぶりに、洋食の松栄亭へいってみようか。


ここは池波先生も書いているが、
もっと前、明治の文豪、漱石先生の逸話が残っている
店としてご記憶の方も多いかもしれぬ。


洋風かき揚げという名前で、漱石が食べた、
というメニューが今でも出されている。


(このあたり、漱石との関係、以前にちょっと調べてみた。)


洋風かき揚げ、意外にうまいもの、で、ある。


ともあれ。


松栄亭はまつやの手前の道を入り、斜め左に入り、
右側。ここは昔の建物ではないが、小さな店である。


店前には、ランチの案内も出ている。


ドアを開けて入ると、あいている席もあった。


窓側の奥の席に座る。


ランチのヒレカツとコロッケをもらう。


さすがに昼時、すぐに出てくる。





値段も普通だし、別段びっくりするものではないが、
まっとうな、カツと、コロッケ。うまいもんである。


ここは、明治の30年創業で当代で
三代目、と、いう。


昼飯にこういうところで食べると、値段以上に
寛いだよい時間をすごせるというものである。



ご馳走様でした。


うまかった。





住所:千代田区神田淡路町2-8-6
電話:03-3251-5511