浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



丼もの考察 その5

dancyotei2012-02-15



そろそろ、終盤に近付いてきた、
丼もの考察。


昨日は、大正10年の将軍様の鰻丼まで。


大正というのは15年までなので、わずかで、ある。
その中で、大正12年には関東大震災が起きている。


1923年、もう今から90年近く前になる。


ともあれ、どんどん記事を紹介しよう。


大正13年
(つまり、震災の翌年になる。)


見出しは『三十銭の親子丼で日米親善』というもの。


これは日本人として初めて米国の南カリフォルニア大で
教鞭をとっていた博士が帰国し、日本に来ていた米人を
交えて講演会と会食を行なったのだが、そこで出たのは
三十銭の親子丼であったというもの。


背景は、震災直後の東京で、建物はバラックで粗末なもの。
それで会食で出たものも、親子丼、だったということ。


三十銭が今のいくらか。
当時、米の値段でみると、この震災をはさんで上がっているようで
大正6年に10kgあたり1円32銭だったものが、11年が2円34銭、
12年が2円18銭、13年が2円57銭、14年が3円11銭、、。


経済史的に見ると、一次大戦後の好景気、その後、
大震災、昭和の金融恐慌に入っていく。


大正13年あたりは、その好景気の終わり頃で
インフレ傾向だったのか。
(経済は専門外でちょいと、苦手だが。)


米10kgで今、3000円ぐらい、で、あろうか。
それで計算すると、親子丼の30銭は、350円、くらいになるのか。


明治に鰻丼の値段を計算してみて、750円だったが
やはり今の感覚だと、親子で350円は少し安い感じはする。
(相対的に現代の米の価格が人件費などサービスの価格に比べ
安いのかもしれぬ。)


ともあれ。


次。


これも大正13年
丼ものではないが、トンカツ。


前にもあったが、劇評。
歌劇。
浅草あたりのものであろうか。


セリフにトンカツ、が出てくる、という。


「さあ、トンカツでも食べに行こう」


「ちょうど、トンカツが適当だ」


というもの。


とんかつという言葉の初登場、で、ある。


なにかひとしきりストーリーが展開し、そのシメのセリフ、
の、ようである。なんとなく、ニュアンスはわかるような気もする。
(この頃の歌劇がどんなものだったのか、よくわからないが、
歌劇にとんかつが出てくる、というのも、この頃ならでは
なのであろう。)


トンカツというものは、現代に残っている老舗の創業年から、
明治の終わり頃から大正にかけて、それ以前の洋食やの
カツレツが独立して、専門のトンカツや、というものが
できてきた、と、私は考えている。


この大正の終わり頃には、こうした舞台のセリフにも
出てくるくらい、トンカツというメニューが流行していた
ということもあるのだろうし、また、同時に
あまねく知られているものになっている、
ということであろう。


次、大正15年、大正最後の年。
ちょっとした囲み記事。


静岡の陸軍の連帯で兵士の体力向上のため、
食物の嗜好を調査した、というもの。つまり兵隊さんの人気メニュー。
その第一位が、カツレツで次が天ぷら、以下、
肉うどん、焼き魚、お萩など。1位のカツレツだが、
特に豚カツ、と、答えているものが多かったという。


大正に入ってトンカツは、急激に一般化し、
人気のメニューになっていったのがこれでも裏付けられよう。
(お萩、というのが、人気メニューに入っているのは
おもしろい。)
ただし、ここではかつ丼はまだ見えていない。


ここから、丼もの関連の登場は、
一気に昭和の14年まで登場しない。
次に登場してくるのは、なんと初登場のカツ丼。


昭和14年(1939年)10月12日。
そろそろ、戦時色が強まってきたころ。
日本は中国東北部満州国を建てて、日中戦争中は
継続中。


この年、5月にソ連との間の国境をめぐっての武力衝突
ノモンハン事件が起きている。
9月にナチスドイツがポーランド侵攻。第二次大戦が
始まっている。


記事の見出しは『しんみりカツ丼でさよなら会食
〜外務事務官総退陣の日』。


細かいことはこの記事だけからではわからないのだが、
どうも11月がお役人の移動の時期で、その前に事務官は揃って、
辞表を出すということのようである。


その昼飯に皆でかつ丼を食った、という記事。
しんみりカツ丼、というので、なんとなく、
雰囲気は伝わってくる。


霞ヶ関の外務省の役人であるが、外から取ったのか、
役所の食堂のものか、よくわからぬが、こうした場面で
出てきて、こういう扱いをされているのだから、
やはり、この頃かつ丼は既にそうとう一般化していた
のであろう。


明治末から大正初期、とんかつが独立、流行ともいえるような
急速に人気メニューになり、とんかつ独立から、さらに
10〜20年程度で、かつ丼が、生まれ、昭和14年には
一般化していた。


では明確に、かつ丼誕生はいつか、は、これだけでは
やはり、わからない。
推測でしかないが、昭和14年で一般化しているのであるから、
昭和ヒトケタか、あるいは、大正の末ということも、
あるかもしれない。


が、少なくとも、戦後ではない、というのは
私とすれば、はっきりしたことではある。


とにもかくにも、大正の15年間と昭和の15年まで、
都合30年くらいの間に、とんかつの独立、
かつ丼の誕生ということが起こっていた、
ということである。



以上、



こんなところで、今回の、丼もの周辺の、明治から戦前までの
新聞調査のレビューは終了、で、ある。





明日、まとめを。