さて。
【談志がシンダ】シリーズから、落語とはなにかを
考えてきた。
いろいろ、横道にそれてしまったが、
落語は江戸後期、文化文政時代に生まれたもので
そこに流れる、人生観はそうとうに成熟しているものである、
ということ。
これは、談志家元が亡くなっても、いや、だからこそ、
多大な影響を受けた私は、やはり、それを言い続けたい、
ということ。
そして、昨日は、明治から現代に至ったこの国のたどってきた道。
(それがほんとうに、よかったことなのか。)
その道に対して、落語なり、江戸後期の人生観や哲学が
なにかいうべきことがあるのか。
(これこそ、これが現代において落語が果たす役割かもしれぬが。)
こんなことであった。
昨日のこの話は、そもそも業の肯定とか、落語の了見、と
いっているものを、なん度も書いている通り
きちんと定義し直さねばならぬし、明治から現代に至る道、
というのも、もっと掘り下げて考えてみなければならない。
これをやるとなると、まだまだ長くかかりそう。
それでこのシリーズは、一先ず、今日で一息入れ、
断腸亭料理日記ノーマルバージョンに戻るとしよう。
その代わり、といってはなんだが、その展望に
もならないのだが、中〆にあたって、もう少しだけ、
考えたことを書いてみたい。
一つは、日本文化の閉鎖性ということ。
誰かもいっていたような気がする、
江戸後期というのは、ご存知の通り、鎖国時代で
身分も固定化され、いわば閉じた社会。
そこで、できた人生観というのは、閉じているからこその
ものであるのでは、と考えられる。
基本的に、日本の文化とか、哲学のようなものは、
平安期の国風文化、などもそうだが、外界に閉じていた時代に
高いクオリティーのものを生み出してきたように思われる。
(禅などは、仏教であり、我国オリジナルのものではないと
考え、除くとして。)
最近のオタク文化も、世界で評価されている、というのか、
まあ、受けているが、オタクというくらいで、
基本的には、閉じている。
日本人の閉鎖性というのか、島国根性というのか、
そんなものにもつながっているのか、、。
閉じたものでも、絵画とか、浮世絵とか、コミック、
アニメのような目で見てわかるものはまだよいのだが、
文字になったり、さらには、話芸のようなものは、
なかなか簡単に、世界に発信できるものではない。
事実、落語などは、結局、百数十年で、
国内にあってさえ、明治以降の文化に
駆逐されてしまったではないか、と。
これを皆にわかりやすく広めるのは、一筋縄では
行かない作業である。
(じゃあ、落語をアニメにしたらどうか、なんという
単純なアイデアも出てくる。まあ、それもやってみたらよかろうが、
そう簡単ではなかろう。落語を映画にしているものも
今までいくつもあるが、やはり別物。映像にしたとたんに、
違うものになっている。一人の人間が、座布団に座って喋る
というあの落語の形式そのものに、意味がある。
これは、背景がない分、聞いている、見ている人間の想像力で
埋めている部分が多く存在し、ある特定に映像にした場合、
それとのギャップが皆に出てきてしまうからなのであろう。
俳句などは、代表例かも知れぬが、空白や行間、をあけ、
観ている者に委ねるというのは、日本の芸術の特徴であろう。
このため、できればそのままの状態で理解してほしいのである。)
さて。
最後にもう一つだけ。
池波先生が江戸人・東京人の特徴として挙げた“真摯である”
というのと、落語の“業の肯定”の関係について。
これ、実は、同じことを言っているのでは、
と、思ったのである。
“業の肯定”というのは、私なりに解釈すると、
お互い様、ということなのでは、と、思っているのである。
人間お互いにエゴ(=業)、というものがある。
人に対するときに、エゴをむき出しにすれば、喧嘩になる。
お互いに同じエゴ(=業)があることはわかって(肯定して)いる
のだから喧嘩にならぬように、譲り合う。
(あるいは、喧嘩になっても、大事にはならない。)
こういうことではないかと思うのである。
平易な言葉でいえば、お互い様。
もう少しいうと“真摯”と、いうことになるのではないか、と。
(これは、一例だが、この場合、双方が江戸人・東京人でなければ
成立しないことかもしれない。)
説明抜きなので、わからない方の方が
多いかも知れぬ。が、しかし、直感的に、なのだが、
私はこう思っている。
(このあたり、以前に中沢新一氏の『アースダイバー』を読んで
少し、考えていたことでもあった。)
東京下町人の心持にもこういう了見は今も
流れているように思うのである。
この項一先ず、了。