浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



大阪出張〜ニューハマヤ北浜店〜

dancyotei2011-06-06



6月2日(木)昼



ここのところ、少しなかったが、出張。
行先は、大阪。


大阪市内、淀屋橋とか、北浜といったあたり。


9時半の、のぞみに乗って、12時すぎ、新大阪着。


昼飯は、どこかよいところはないかと、
ちょっと、界隈を調べてみた。


すると、見つかったのが
ニューハマヤ、というところ。
やはり、この界隈になん軒かあるようだが、
いわゆるチェーンという感じでもないのか。


レストランというのか、洋食やというのか、
ちょっと、よさそう。


私は、実のところ、大阪市内でも、この淀屋橋とか、
北浜、といった界隈を歩くのは初めてである。


いわゆる、キタと、ミナミ。
北が梅田で、南が、難波。


その間。


旧淀川堂島川と、土佐堀川が流れ、その間に
中之島がある。


中之島には日銀の大阪支店だの、大阪市役所だのあり、
古くから大阪市の中心部ともいってよいところ。


その南側。


北浜は、私も名前くらいは聞いていたが、
東京でいえば、兜町茅場町
証券取引所がある、株やさんの街、か。


淀屋橋の駅を降りて、地上に出る。


淀屋橋が土佐堀に架かる南北の通が、御堂筋。
(今日は、関西式に、通(とおり)に、『り』
を送らないで、書いてみる。)


淀屋橋南詰の交差点。
土佐堀に沿った、東西の通が、土佐堀通


一つ目の信号、北浜二丁目の信号。
左側、土佐堀の橋の向こう、古そうな洋館が見える。


土佐堀通を渡る。


この路地を入ると、左側は大きな新しいビルだが、
右側、倉造り、というのか、古そうな商家の建物が
残っている。





いつ頃のもの、なのであろうか。
まず、戦前であろう。
(空襲で、焼けていないのであろうか。)


東京下町にも、戦災に生き残った、商家などは
残っているところがあるにはあるが、基本は木造。


むろんこれも、木造ではあろうが、
漆喰で塗り固めた、倉のような造。


へ〜、大阪も、こんなものが残っているところが
あったか〜、で、ある。


その、ニューハマヤ、というのは、
次の路地を右に入って1軒目。


ちっちゃな店。


入ると、すぐにカウンターで、向こうは厨房。
狭いが、二階もあるよう。


あ〜、これも、東京下町、いや、昔の大手町だったり、
神田だったりに、あった、、、。
いや、今でも多少は残っている。


キッチン南海、カロリー、などが系統かもしれない。


メニューは定食が、二つ三つしかない。
そして、こういう店には、謎の符丁がある。


ダブル、そして、ダブダブ?。


意味はわからない。
まあ、なにかが、ダブルで、ダブダブは、
なにかとなにかが、ダブル、ダブル、なのであろう。


わからないので、一番ノーマルそうな
定食、700円、をもらう。(連れがあったのだが、連れは
もう1品のハヤシライス。)


厨房で料理をしている、おっちゃんも、
おねえさんも、威勢がいい。


こういう店は、この雰囲気の中にいるだけで、
楽しくなってくる。


と、すぐに、ご飯。


これは、お櫃に入れられて前に、置かれる。
自分で飯椀によそって。





焼肉と、上に載っているのは、玉子焼き、とい、いうのか、
オムレツというのか、スクランブルエッグというのか、
わからぬが、見た通りもの。


隠れてしまっているが、下には、キャベツ千切りと、
マカロニサラダ。


これこそ、正しいサラリーマンの昼飯、で、あろう。
大阪にも、あったか、で、ある。


お客さんも、皆、オーダーだけいって、出てきたら、
黙々と食べて、食べ終わると、勘定をして、
おっちゃんは、おおきに〜、とだけいって、送り出す。


食べ終わり、出て、このすぐ近所の訪問先へ。


仕事を終え、連れとともに、ちょいとだけ、
この界隈を歩いてみる。


この北浜から、南へ下がると、
道修町という製薬会社が並んでいる通りがある。
武田薬品、塩野義、大日本住友、、日本の大手
製薬会社の本社ビルが、並んでいる。


名だたる企業のはずだが、ビルは皆大きな看板もなく、
つつましやか。


と、そこに、こんな商家も残っていた。





この道修町(どしょうまち、と、読む。)は、
それこそ、秀吉のころからの、生薬屋の
集まっていた町。


上の建物は、登録有形文化財のようである。
薬の問屋さん、会社であったのか。
向こうのビルが見えなければ、完全に、江戸時代、
で、ある。


紺の前掛けをした、丁稚どんが、
店先を掃除でもしていそう。


先に挙げた以外にも、最近まで、藤沢製薬
(今のアステラス製薬)などもここにあったが、
今は、引き払って、東京に移っている。
また、武田にしても、実際の本社機能は、東京日本橋
移っているとも聞き、往年の薬の町の面影は
薄れつつあるのか。
(東京日本橋の製薬会社密集地帯は、日本橋本町である。
こちらも、江戸からの薬やの町、で、あった。
製薬会社というのは、意外に古いものが好きなのか。)


ともあれ。



♪『水の都に捨てた恋、泣いて別れた淀屋橋〜』



仕事にきたのに、鼻歌も出てつつ、
なんとなく、大阪もいいなぁ〜
と、思いながら、淀屋橋に戻り、地下鉄に乗る。







ニューハマヤ北浜店
大阪市中央区北浜3-3-11