浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



箱根・塔ノ沢・福住楼 その2

dancyotei2011-05-11



5月6日(金)



引続き、箱根塔ノ沢の旅館、福住楼。



毎年暮れに年賀状書きにくる時も、
必ず二泊なのだが、今回も二泊。


お金と時間が許すのであれば、
よい日本旅館には、二泊以上したい。


一泊の場合の朝の慌(あわ)ただしさ。
あれはいけない。


出発をする日にはどうせ、この慌ただしさには
なるののだが、1日くらいは、ゆっくりと起きて、
風呂に入り、朝飯を食べて、、眠かったら、
もう一回ゴロゴロして、、。


それを、この、国登録有形文化財にして、明治大正期の建築、
数寄屋造りの見事な部屋で、できるのが、
なにしろ、よいのである。


いや、そうしないと、もったいない。


夕方きて、翌朝出るのであれば、もう、そこは寝るだけの
空間である。しかし、1日、昼間をはさむことで、
自分の部屋の気分になってくるわけである。


二泊することで、一泊の2倍以上の愉しみが手に入る、
と、いうわけである。


箱根全体でも、よくは知らぬが、
老舗旅館はいくらもあるのであろう。
箱根湯本から一つ上がったこの塔ノ沢にも
福住楼以外に、もう一軒、環翠楼(かんすいろう)という
名のあるところがある。


環翠楼は、もっとすごい。
定宿にしていたのは、伊藤博文であり、天璋院篤姫であり、
なんと、幕末、その篤姫とも縁浅からぬ、公武合体の使命を帯びて、
江戸に下り、14代将軍家茂の正室となった、かの、皇女和宮様は
環翠楼で身罷られている。
とんでもない歴史を持っている旅館である。


そこへいくと、福住楼の方は、もっと気楽。
一番偉いのは、福沢諭吉先生、で、あろうか。
しかし、なかなかの顔ぶれを揃えてはいる。
夏目漱石島崎藤村大仏次郎川合玉堂、バンツマこと
坂東妻三郎、あるいは、もう少し、おりてくる(?)と、、
戦後の元祖爆笑王、三遊亭歌笑、漫談の大辻司郎
などなど。


文筆、芸能、演芸系。


私には、やはり、こちらの方が居心地がよい、
ではある。


そういえば。


今回、少しこの福住楼にも変化があった。


昨日着いたときに、出迎えに出ていたが、
ここの若旦那、なんでも、ブログによれば、5代目というが、
は、この2月に修行から戻って、福住楼を継がれたという。
若干、料金体系が変わったのはそのせいという。


まあ、こういう立派な老舗でも、
現代において、こと、旅館経営ということになると
たいへんであろうことは、十二分に想像できる。


福住楼は、これからどんなふうになっていくのか。
私達など、年に一度しか行かぬ客であるが、
ちょいと、心配ではある。


と、まあ、そんなことで、2日目の朝。


8時頃起きて、布団を片付けにくるので、
一っ風呂、浴びにいき、戻って、朝飯。





冬くると、湯豆腐、なのだが、今日は、奴。



今朝などは、ちょいと、肌寒いので、
やっぱり、私は湯豆腐の方がよかった。
(温泉旅館の朝の湯豆腐、というのはよいもの、
で、ある。)



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


朝飯を食べ終わり、ちょっと、バタバタと
しなくてはならなかった。


5日夜に配信、更新するはずだったメルマガが金曜になり、
Webの更新が土曜になったのは、実は、この、箱根にきていた
からなのではあった。
くどくどは、書かぬが、更新のために、PCは持ってきていたのだが、
できるはずのダイアルアップ接続がちょいとしたトラブルで、
うまくいかなかった、のであった。


そのフォローのために、朝飯を終えると、
内儀(かみ)さんを残して、小田原の街に出たり、
バタバタとしなくてはならなくなったのである。
(が、結局、だめで、Webの更新は帰宅後の
ことになってしまった。)


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そんなこんなで、12時すぎ、戻ってくる。


で、昼飯。



少し前に、TV東京のアド街で、湯本をやっていたのを
思い出したので、調べてみる。


目にとまったのは、暁亭(庵)という蕎麦や。


場所は、塔ノ沢のある谷筋とは反対の旧東海道側。
箱根湯本ホテルの中にあり、なんでも、山形有朋
縁(ゆかり)の建物の中で食べられる、という。


へ〜。


知らなかった。


箱根湯本で知っている蕎麦やといえば、はつ花、ぐらい。


さほど、遠くはないが、歩けばそこそこありそうなので、
車でいってみる。


湯本の滝通りをずぅ〜、っと上がって行って、左側。
看板が出ており、その駐車場へ車を入れる。


目の前の木造平屋の、ちょっとプレハブのような建物。
暁庵と出ている。これだろうか。


山形有朋縁の?


まさか、このプレハブが?


入ってみると、わかった。


この隣に、その、有形文化財の建物はあり、そちらは、
予約制で豆腐と懐石料理の店。名前は暁亭。


蕎麦は、こちらで、店の名前は暁庵。
そういうことのようである。
(ちなみに、暁庵は、日本橋三越にも入っているらしい。
これも知らなった。)


暁庵は、お客でにぎわっている。


食べたのは、つけとろ蕎麦。





食べ終わり、隣の山形有朋縁の、を見に出てみる。





門があり、芝生の庭。


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なるほど。



平屋の比較的大きなもの、で、ある。



なんでも、明治40年、山形有朋晩年であろう、
小田原にあった別荘の、夫人用の離れ、であったもの、という。
(さらに元は、日本橋の商家から移築したものという。)


ちょっと見ても、窓ガラスは、ぶ厚く、歪んでいる。


福住楼にもあるが、古いガラスはこうなのである。
なぜかというと、昔はガラスを薄くきれいに作る
技術がなかったからなのである。


建物自体は、やはり、数寄屋造りといってよいのだろう。



なるほど。





と、いったところで、今日はここまで。



また明日。









暁庵



福住楼