浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



池波正太郎と下町歩き1月 その8

dancyotei2011-01-25

池波正太郎と下町歩き1月 その8




引き続きいて『講座』の1月。





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江戸の地図








さて


神田青果市場の江戸時代をみてきたが、明治以降。


多町の青物市場は明治以降も継続し、当時(明治初期)の記録では、
北は連雀町、西は雉子町、東は、中央通り沿いに、須田町、通新石町、
南は多町一丁目、新白銀町まで問屋が軒を連ね、
このあたりの大きな区画を占めていた。


そして、市場には組合が設けられ、組・須田町が果物、
西組・多町が青物であった。


大正期、正月の初荷の写真などをみると、
品物の箱を高々と積み上げ、その高さは、問屋の木造の
二階家の遥か上まで達し、大層な景気であったことが
わかる。


また、ここも、神田明神江戸神社)の氏子にあたるが、
市場の神輿は千貫神輿で、その心意気を示していた。
大田市場に移転をした今も、神田市場で、神輿は出ている。)


前にも書いたが、セリ制度は一部品目で江戸期からあったが、
基本は、文字通り袖の下で交渉をする相対取引で、
神田市場全体とすれば昭和10年の市場法成立、
秋葉原移転後のことになる。


基本的な取引形態、品物の流れは、江戸から変わらなかった。
どんなものかといえば、産地があり、そこから運んでくる業者がある。
運んできた業者は、問屋に品物を納入する。
この問屋に、小売りの八百屋が買い出しにくる、
といったものであった。


この生産者から始まる取引関係は、代々固定しており
“親戚同様の関係”であったという。


市場の組合では、問屋の数なども決められており、
各々の、固定した取引関係に加えて、まあ、そういう意味では、
自由競争ではなく、様々な利権があったようである。


震災後、当時火除け地として空いていた、秋葉原へ移転し、
その後、現在は、ご存知のように、大田市場へ移転している。


さて。


一八通り。


多町二丁目の交差点。
この界隈も、戦災で焼け残った区域。


この角もそうだが、銅貼りで緑青(ろくしょう)を吹いた、
青い看板建築の商店が、その数はだいぶ減ったが、
今も多少は残っている。


多町二丁目の交差点をすぎて、一本目のほんの細い路地を
右、北へ入る。


この路地の行き止まりに、小さなお稲荷さんがある。


名前は、松尾神社
多町のお稲荷さんである。
現在は緑青を吹いているが銅貼りの賽銭箱が置いてある。
この賽銭箱には、大きく、神田市場とレリーフされており、
こんなものも、当時の、青物市場の繁栄を想像される。


お稲荷さんの前を右に折れ、多町の表通りに出てくる。
この出た右側に、古い日本建築がある。


松本家住宅。


元青物問屋の店舗兼住宅で、昭和6年の建築。
切妻造り、平入で、正面は出桁造り。
北妻面は窓が少なく防火に備えた造り。国登録有形文化財


だ、そうな。


だいたいが、震災後の東京下町の木造建築は、梁が太いが
これはまた、べら棒に太い。


いかにも、豪気、な、ヤッチャバの問屋の貫録を感じさせる。


青果市場、華やかなりし頃には、この店の土間にも、店先にも、
所狭しと、青物の荷が並べられ、積まれていた、でのあろう。


ここに、江戸から神田青物市場があったことの
証(あか)し、として、文化財として残されているのであろう。


さて。


この多町の通りを北へ上がる。


左側に、やはり、看板建築の、
栄屋ミルクホール。
ラーメンなどを出す食堂であるが、ここも、界隈では
名物。


次の路地の角に、庄之助最中。
相撲の木村庄之助、縁(ゆかり)の、和菓子店である。


靖国通りに出る左角に、コンビニがある。
その前に、今、神田青果市場跡の碑。


靖国通りを右に。


と、すぐに、須田町交差点。
中央通りと、靖国通りの交差点、で、ある。


これを、向こうへ渡る。


向こうは、言わずと知れた、万惣フルーツパーラー。


1846年(弘化3年)創業。
もとは、果物の問屋、で、ある。


創業時は、やはり、このあたり、中央通り沿いだが、もう少し
南の方の、通新石町にあったようである。
先に、須田町は果物市場であったと書いたが、その名残。


万惣というのは、萬屋よろずや)惣兵衛、だか、惣右衛門だか、
の、略であるわけだが、この機会に、本当の屋号がなんであったのか、
神田市場史で、調べてみた。


すると、萬屋惣太郎という名前が明治初期にはあったようである。
他には、萬屋には、惣、の付く屋号はなく、おそらく、
これであろうと、思われる。


萬屋惣太郎、略して、万惣
そういうことであった。


そうそう、忘れてはいけない。


ここも池波レシピ。
ホットケーキ、で、ある。




といったところで、今日はここまで。


またあした。