浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



ラーメン・天神下・大喜

12月9日(木)夜



7時半前、湯島で仕事終了。



ここからだと、久しぶりに、大喜にでも
いってみようか。


「らーめん・天神下・大喜」が店の正式名称か。
一時は、ラーメンマスコミにも多数取り上げられていたところ。


私が行き付けにしている、ラーメンや、の、中では、
やはり、1、2を争う店であろう。
(もう一軒はどこかといえば、市谷左内坂の、庄の
で、ある。)


ここ、5、6年の傾向であろうか。
新しいメニューをどんどんと出してくる店が
東京には現れている。
大喜も、庄のも、その例、で、ある。
なんでもいいから、新しいものを出すのなら、
簡単であるが、この2軒、どれもレベルが高い。


新しいものをどんどん出す、というのは、
どういうことであろうか。
普通のラーメンやであれば、一度定番のものができ、
有名になれば、基本は、そのメニューを出し続けるもの、
で、あろう。
研究熱心である、ということか?。
あるいは、いわゆる、販売促進のためか?。
(新しいメニューを出せば、客はそれを楽しみに、
くるようになる。)
両方かもしれない。


また、こういう店が、私が知っているだけでも、2軒ある、
というのは、どういうことであろうか。
誰か指導でもしているのだろうか。
あるいは、ただの流行り?。


どちらにしても、ある意味、私もその一人かもしれぬが、
東京にはラーメンマニアなる者が少なからずおり、
そういう人間にとっては、新しいメニューをどんどん出す、
という店の取組みは、マニア心をくすぐられる、うれしいこと、
であるのは間違いない。


そしてまた、これは、東京という街の味覚文化の高さを
物語るもの、と、いってよいのではあるまいか。
そういって然るべき味を実際にこれらの店は、出している、と、
私は思っている。


ともあれ。
湯島の切り通しを降りる。


このカーブをした坂道は、薄暗く、寂しい雰囲気。
薄暗いのは、店舗などが少ないからであるが、湯島の駅も近いからか
寂しい割には、この時間であれば、人通りは少なくない。


前にも書いたような気がするが、
坂、というものに、日本人は昔から、ある種の
心象的な意味を見出している。
民俗学では、境界、と、解釈している。
(例えば、自分の住んでいる場所と、
外界との境界などに、坂がなっている、という。)


この、湯島の切り通しは、以前にはそうとうに急な
坂であったようである。落語などにも登場するのは、
籠に乗った人は、駕籠かきを気遣い、降りて歩いて
登ってやる、というような場面である。
古い都(市)電の写真などでも、急な坂を降りてくる
ところなどがよく撮られている。


坂下へ向かって、右側の崖の上は、湯島の天神様。
これも、この切り通し坂に“意味”を付け加えているように
感じさせられる。そう。寂しい坂で、曲がってもおり、
先が見えない。なぁ〜んとなく、ここだけ別の世界のような、
いわば異界、の、ような感じもしなくはない。


大喜は、その異界を降りた左側。
街並みが明るくなったところにある。


並んでいる人はいない。


券売機前。
なににしようか、考える。


いつもそうだが、久しぶりのため、メニューがかわっている。
その都度、新規に考えなくてはならない。
(気に入っても、同じものを食べるには、せめて、
一月に一度はこなければだめであろう。)


決めたのは、とりわんたんめん。
それから、ビールも。


どうも、わんたん麺というと、魅かれてしまう。
入ると、空席もある。


ビールが先にきて、マカロニサラダのお通し。


ビールを呑み終わる頃、きた。





具だくさんで、盛りだくさんで、ある。
わんたんだけでなく、焼いた鶏肉ものっている。


盛付けがきれいな店は、うまい、のか、
きれいだとうまく感じるのか、わからぬが、
ここも盛付けがきれいである。


スープから飲む。
塩味で、ガラであろうか、いずれにしても、鶏ベース。
だが、比較的濃厚。


ここの主人はもともと和食の料理人で、
どちらかといえば、さっぱり系、であったと思うが、
少し変わってきたのであろうか。


ともあれ、うまい。



スープも飲み干し、まんぞく、まんぞく。



やはり大喜、安定して、うまいラーメンや、
で、ある。





大喜




文京区湯島3-47-2 白木ビル 1F
03-3834-0348