浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浜離宮と、銀座・天ぷら・天國 その2

さて。



引続き、浜離宮





より大きな地図で 断腸亭料理日記・浜離宮 を表示


昨日は、鵜(う)などもいる、汐入の池。
それから、現代の都心でありながら、鴨が群れている、
鴨場のことまで書いた。


この浜離宮、浜御殿は、徳川家斉の頃、ほぼ今の形が
出来上がっているということである。


それこそ、家斉は、先の鴨場での猟もそうとうに
好んだらしい。


この11代将軍家斉の時代はどんな時代だったのか。
まず簡単にいうと、田沼政治の後、松平定信を起用し
寛政の改革を行なった、という頃。
ただし、家斉の将軍就任は弱冠15歳で、実際には
定信の登用は家斉の仕事というよりは、幕閣全体の
動きのようである。


寛政の改革が行なわれたのは、6〜7年の間。
あまりに厳しすぎるということで、結局は、幕閣上層部
から批判が出て、終わりを告げた。
上層部というのは、誰あろう、家斉自身も含まれていた、と。


その後、江戸町人文化が花開いた、文化文政の時代になる。
家斉自身は、どうも、贅沢な生活を好み、
この、浜御殿を整備させたのも、その一連という
ことのようである。


その後、将軍は、家斉の息子の家慶、さらに、篤姫で有名になった、
家定に続き、開国、幕府瓦解、ということになっていく。


奢侈(しゃし)を好んだ、家斉の治世が化政文化の頃と重なるのは、
むろん偶然ではないのだろう。
(この件、ほんとにそうなのか、なんとなく気になるのだが、
詳細見直しておらず、私自身の、課題にさせていただく。)


まあ、そんな、浜離宮=浜御殿、で、ある。


さて、もう一つの、浜離宮での発見。


それは、将軍お上がり場、というところ。


立て札。







これが、お上がり場、なるところの、石段。


なんということもないのだが、
将軍が船で浜御殿に着いたとき、上陸する場所ということ。


むろん、各代の将軍が利用したのであろうが、
最も有名なのは慶喜
上の、立て札にも、そのことが書かれている。


なにかというと、幕末、鳥羽伏見の戦いの後、
幕軍は敗走、大坂城に引いた。
これを見た慶喜が、宵闇に乗じて、幕軍の軍艦に乗って、
部下を見捨ててスタコラサッサと、大坂を後にし、江戸に
帰ってきてしまった。


この時、上陸したのが、ここ。


どの辺までが史実なのか、わからぬが、
この後、敗戦処理をすることになる、勝海舟は、
ここで慶喜を出迎え、なぜお帰りあそばせた!
これは、上様、大失態です、と、非難した、というのが、
子母澤寛先生の、『勝海舟』に確かあった。
(今、原典をあたっていないので、記憶のみ。
ただ、様々なTV時代劇にもこの場面は描かれていたと思う。)


まあ、慶喜は、この鳥羽伏見の戦いで錦の御旗が掲げられ、
朝敵になったことを怖れたから、ということに
なってはいる。


上陸後、最後の将軍慶喜は、騎馬で江戸城へ帰城した、という。
これは、帰城は帰城だが将軍になって初めての江戸城帰城であった。


ご存知の通り、慶喜将軍後見職という身分で
京大坂におり、その間に、大坂城で14代家茂が亡くなり、
そのまま二条城で、15代を継いだからである。


まあ、そんな歴史の一場面がここであったということ。


勝海舟が出迎えて、の、一件は、そんなことがここであった
と思えば、おもしろかろうということで、よい、のかもしれない。


そんなことで、浜離宮を後にし、海岸通りをたどって、
昭和通りも渡り、銀座八丁目の交差点まで戻ってくる。


天國はこの右角。


自動ドアを開けて入る。
2階、3階とあるが、1階の席へ。


実は、私はここに入るのは、初めて。


午後の半端な時間だが、1階のテーブル席は
6〜7割は埋まっている。
(ウイークエンドの昼時は列になっていた。)


中ほどの席に案内され、座る。


天気は曇り、で、あったが、やっぱり、歩いてくると、
汗が噴き出す。
手拭いで、汗を拭きつつ、ビールとかき揚げ天丼を
注文する。



明治18年「天國」開業 「銀座天國」創業の地は、銀座3丁目。
(中略)小さな屋台店として始まった。』
ここのホームページには、歴史としてこのように、
書かれている。


池波先生が通い始めたのは、10代、株屋の小僧時代で、
昭和の10年代から20年代前半、戦争前である。


その頃には、この店は、今と同じこの場所にあったようである。
ただし、この頃は脇に汐留川はまだあり、新橋(旧芝口御門)の
北詰に木造だが、大きな店を構えていたようである。


今もそうだが、銀座の入り口。
一等地といってもよい場所であろう。


(同じく、天國のページ昭和5年の写真があった。)


ともあれ。


天國のかき揚げ丼。





小柱と芝海老。
まさに、江戸前の天丼。


気が付いたが、ほんのり、青海苔の香りがする。
これは他にはないかもしれぬ。


ちょいと、乙。


うまい、天丼である。




食べ終わり、勘定をして、出る。
送り出す言葉も、気持がよい。




2時、3時といったこの時間のこの店、
銀座での買い物の帰り、なのであろう。
ご年配の女性が二人で、お燗のお酒を二人で二本呑まれて、
天丼、というような方々が複数組、いらっしゃった。


浅草の蕎麦や、尾張屋などでも同じような老婦人を
見かけることがある。なんとなく、こういう方々を
見ると、よい心持ちがしてくる。
おそらく、昔から通われているのであろう。
老舗ならでは、の、風景。


また、こよう。








天國