浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



博多長浜屋台その2

dancyotei2010-04-12



今日は昨日のつづき。



福岡出張で、博多長浜の屋台へいったのだが、
『屋台』とはなにか、少し考えてみた。




さて。



タクシーで長浜の屋台街へ着くと、
昼間の暖かさとは打って変わって、
風も強く、気温も随分と下がっている。
屋台というには、そうとう寒い。


まだ時間も早いのか、店を開けているところも
少ない。(店の開店前は、歩道にはなにもない
状態、で、ある。)


それでも、準備のできていそうなところに入り込む。


店のお兄ちゃんに、聞いてみると、水曜日は、
ここ、長浜で有名な店が休みで、
閉めているところが多い、という。


さすがに、吹きっさらし、ではなく、屋台を囲って、
ビニールの透明なシートがある。
(が、風が強いので、隙間風が吹き込み、やっぱり寒い。)


屋台は、歩道の上にある。
屋台の背後は、塀。
ここに、電気の設備は一応引いてある。
水道は、近くのビルなどから許可をもらって
やはり引いているらしい。
リヤカーなのかは確認しなかったが、文字通りの
屋台が真ん中にあり、屋根もあり、その回りをビニールシートで
囲っている。(下の写真参照)


お客はまだ誰もいない。


二人で長椅子に座り、ビールをもらって、
早くできるもの、というので、餃子、から。





こちらの餃子は、小さいもの。


焼き物で、豚バラの串。





塩味で、うまい。
下には、キャベツ。
キャベツには塩のたれがかかっている。


牛のさがり。





さがり、とは、東日本では、ハラミ、
といっているところのよう。
やっぱり塩で、下にはキャベツ。
これも先の豚バラ串同様、こちらでは定番のメニューのよう。





博多の屋台は、観光用ということもある程度あり、
種々の条件付きのようだが、公にも認められてもいるよう。
先に書いたように、ガスはプロパンだが、電気、水道もある。
屋台の奥には焼き物用の炭、揚げもの用の油、
ラーメン用の大きなズンドウが数個並ぶガス台などなど、
屋台とはいえないくらいの“設備”がある。
お客側から見ると、カウンターがあり、
鮨やのような冷蔵ケース(これは下に氷を入れていた。)
が目の前にあり、ここに焼き物などが並べられている。






ビールから焼酎お湯割りにかえて、2〜3杯。
寒いので、どんどんと呑む、という状態。


あたりも暗くなってきた。


やっぱり博多屋台の〆は、ラーメン。


東京人の感覚だと、これはやはり、素直に驚き、
で、ある。餃子から串の焼き物、今日は食べなかったが
揚げもの、その上、ラーメンまで。
大体において、ラーメンなどはラーメンやのもので、
居酒屋でさえ、ラーメンはない。
狭い仮設の場所で、これほどのバラエティーを持ったものを
提供しているのは、驚愕以外のなに物でもない。
(しかし、これも、東京ではこういう屋台は存在しないが、
昨日書いた、横浜やら、静岡おでんも、おでんに、
揚げものや、焼きものは揃えている。むしろ、全国的には
定番の業態といってもよいのかもしれない。)





本場長浜のとんこつラーメン。


久しぶりだが、最近の東京のとんこつ系に食べ慣れていると、
博多のとんこつは、こんなにさっぱりしていたか、
という印象である。


むろん、うまい。


勘定は、一人3000円程度。
一般には安いと思うが、博多屋台とすれば、
観光客向けに値が上がっているという。





店の外に出て、目の前にある公衆トイレへ。
これも屋台とワンセット、で、あろう。


寒い、寒い、といいながら、
タクシーをつかまえて、福岡空港まで。


そうとうに、酔っぱらって、帰京。




博多の屋台は、おもしろい。


昨日、少し考えたが『屋台』とはなにか。
この問題である。


結局、一般には、ある種、非合法に道路上で安く酒食を提供する、
法制度の枠組み、あるいは都市をきれいにしたいという
行政政策からは、明らかにはみ出ている存在、なのだろう。


じゃあ、法律に合うように、一時流行った屋台村のように、
一つの屋根の下に入れてしまえばよい、のかといえば、
それはそれで、違うような気がする。
(事実、屋台村は、今はもうあまり話題には登らなく
なっている。)


露店であり、道路上であることが、よいのか?。


なぜよいのか。よくわからぬが、
そこがよいことは間違いないような気はする。


なんであろうか、これは。


外であること、がよい。
狭いこと、がよい。
肩を寄せ合って、呑んでいる、という感覚、がよい?。


考えてみるに、これは、
どうも『屋台』は、その街の人々の生活感というのか、
街の雑多なライブ感、そういうものに
あふれているということ、ではなかろうか。


これは『屋台』というものが、営業している人、
お客、そして、街が、むき出しの分、一体化している
ことから起こっているように思うのである。


そのあたりが、我々の琴線に触れる。
(そういう意味では『屋台』はある程度の規模以上の都市にしか
成立し得ない、いたって都市的なものといえそうである。)


ともあれ。


愛すべき『屋台』。


東京などは、ほとんどなくなっている。
全国的にも、もはや、消滅の方向は間違いないのか。


ロッコマラケシュのジャマエルフナ広場ではないが、
ライブ感のある『屋台』は都市民の根源的な『場』のように思う。
豊かになり、きれいになっても、そういうものは、
やはり街には必要だと思うのである。


まあ、新宿ゴールデン街、私のご近所では、アメ横
浅草の場外馬券場周辺の煮込みの居酒屋群などは、
街のライブ感の中にあり、そうとうに『屋台』に近い。
こういうところも、いずれ、もっときれいになるのか?。
いや、あれはあれであろう。
ああいう形も屋台の生き残り方の一つなのか。