浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



押上、東京スカイツリー、、界隈のこと。その2

dancyotei2010-03-28

3月20日(土)



さてさて。



先週からの引続き。



土曜、新東京タワー東京スカイツリー
建設中の業平、押上界隈。


もう一度、江戸の地図。






より大きな地図で 断腸亭料理日記/押上・業平橋 を表示



現在は、北十間川が枕橋から、業平橋、押上、さらに少し、南に下がりながら
西、柳島の妙見様、亀戸の北、明治通りもくぐって、中川まで
続いている。


江戸、明治の頃は、業平橋までが源森川で、北十間川
押上からで、この間は、地図では小川のような
小さな堀であったことがわかる。


そもそもは、江戸初期、大横川が先に掘られ、


大横川と大川(隅田川)をつなぐために源森川は、掘られた、
という順序のようである。
そして、正式名称は、源兵衛堀といったようである。
しかし、源森、というそれ以前からの土地の名前があったらしく、
源森川と呼ばれていた、ともいう。(御府内備考)
業平橋と、押上の間が、いつ掘られたのかは、
今、正確な情報を持っていない。戦後すぐの地図では、
既にあるので、震災後、であろうか。


北十間川(源森川)の南の地域名は、本所中之郷。
中之郷という呼び名は、町名というよりは、江戸の頃でも、
本所の北部、東部の、広い地域を指す名前であったようである。
今、中之郷はこのあたりが地盤の信用組合の名前に残っている。


瓦町などの町名がみえる。これは、川の北の小梅側にも
小梅瓦町というのがあるが、このあたりには、
文字通り、瓦を焼く家々があったようである。


同じ瓦町という町の名前は、今の浅草橋あたりにもあった。
江戸も初期の頃は浅草橋(浅草御門)の外は江戸郊外で
瓦を焼いていたのだが、段々に都市化し、本所北部の
このあたりに、移転したともいう。


三つ目通りと浅草通りの交差点を渡ると
少し坂になっている。この坂は今は堀が埋められ、
形はなくなっている、業平橋への坂。


業平橋東武の駅名にもなっているが、下を流れる堀の
名前は大横川。今は親水公園になっている。


本所は南に東西に竪川が流れ、南北には横川が流れている。


縦(竪、立)と横で、命名方法とすれば、とても簡便である。


ちなみに、この竪(縦)、横、は北を上にした、
現代の地図では反対のようだが、江戸城(西)に向かって、
直角に地図を回すと竪川は縦、横川は横になり、
命名の由来が頷ける。


(大横川は、もう少し調べたい。この業平の南側の
町名にもなっており、江戸の頃は単に横川と呼ばれることの方が
多かったのではなかろうか。また、今は、ここから、
竪川までは暗渠だが、埋められたのは、いつ頃であったか。
最近のような気もするのだが。)


業平の由来は、名にしおわば、の、これは、以前に少し書いた。
これは、以前に少し書いた。


また、押上、曳舟曳舟川通りについても
ご参照されたい。


で、その大横川は、業平橋の北で東西に流れる、
北十間川につながっていたわけである。


このあたりにくると、スカイツリー


建設現場はもう間近。


北十間川の北側、東武業平橋駅と京成、都営浅草、半蔵門線
押上駅のちょうど間。


こんな広い空間は、元はなにかというと、
車両基地など東武の敷地。


東武線は、今は浅草が始発駅だが、当初は、この業平橋が始発で
(正確には、明治32年、最初に北千住から久喜が開業し、その後、
明治35年にここまで伸びている。
ちなみに当時の駅名は業平橋ではなく、吾妻橋といったようである。)
そんなことからここは、彼らの本拠といういい方もできよう。
東武鉄道の本社は今、やはりこの少し北にある。


北十間川の直近、工事現場の間近まできてみる。





スカイツリーは十間の川の幅を隔てて向う側だが、
真下から、真上まで、ファインダーに入りきらない。


このスカイツリーをはさんで、二本の橋があるが、
名前がおもしろい。いや、そのまんま。
東武業平橋駅側が、東武橋。押上側が京成橋。


京成橋までくる。
橋の上には、私のように見物にきている人が
たくさん。携帯などのカメラで撮っている。
私も、橋の上から撮ってみた。





このくらい離れて、やっと上まで入る。
だが、これも完成すれば高さはこの倍になるという。
全く入らないくらいのものになりそうである。


橋から真っ直ぐに押上の商店街を北へいき、
今度は左に折れる。


東武の踏切。





向う側に、狭くなったが東武車両基地の線路がなん本か見える。


業平橋駅まで線路脇の路地を通って戻り、
ここから、帰路。


言問通り言問橋を渡って、花川戸、
路地を抜けて、馬道通りも越え、浅草寺の二天門。


この二天門は重要文化財で、長らく修理をしていたが
ほぼ終わっている。
古ぼけた木の色から、真新しい朱塗りになっている。
しかし、こうなると、なんだか有難味がなくなるものである。


浅草寺の裏を回り、西参道、場外馬券場も抜けて、
国際通りも渡る。
本願寺の裏を通り、合羽橋道具街も突っ切って、
左に曲がって、浅草通りを渡り、元浅草到着、で、ある。


自転車とはいえ、これだけうろうろと走り回ると、
そこそこ、よい運動にはなった。


東京スカイツリーは11年末竣工、12年春の開業の予定だそうな。
まだまだ、2年はある。
ニョキッとした風景にも慣れるのであろうか。