浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
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東京の“坂”、考察

さて、実のところ、昨日のつづき、で、ある。
いや、つづいているのは、坂の話。





麻布谷町界隈をホテルオークラ、米国大使館、
六本木通りを渡って、赤坂、氷川神社あたりまで
歩いてみたわけだが、やはり、坂、というものが
この界隈では、まず、中心に思われたのである。
(まあ、だれでもそう思うだろうが。)


実際のところ、この界隈も坂は多いのだが、
ご存知の通り、これはなにも、このあたりだけの
話ではない。
私が仕事をしているオフィスのある、市谷界隈でも
同様、大小、緩急、取り混ぜて、坂はいたることろにあるし、
東京全般にどこもそんなもの、で、ある。


いや、もう少し、細かく書こう。


東京というところは、洪積層の台地と年代的には、
それ以降に海岸線が下がり、その下に広がって現れた、
沖積層である平地にまたがって、できている都市である、と
地質学的には定義ができるのだろう。
(面積比とすれば、平地(下町)の方が広いかもしれない。)


これは、後からそうなったのではなく、
家康が武蔵国の寒村、江戸に居を定め、城を築き、城下町を
構築した当初から、台地と平地(足らないところは江戸湾
埋め立て、平地にした)にまたがっていた。


台地は山手と呼ばれお屋敷町に。
海岸に近い平地は町人を住まわせ、下町と呼ばれている。
まあ、一般には、そのようにいってよいと思われる。
(例外はいくらもあるが。)


で、その台地と平地の境目に道があると、
あたり前だが、坂、に、なる。
よって、下町と山手の間は、すべてのところに
坂ができている。それで江戸東京にはいたるところに
坂がある、と、いうことになっているのである。


で、その、東京の坂、さらには日本人にとっての坂とはなんなのか。
これを、今日は考えてみたい。


改めて気付いたのだが、今回歩いた麻布谷町もそうだが、
東京の大小数多くの坂には、必ず、名前が付いている、
と、いうこと。


ポイントは、必ず、漏れなく、と、いうところ
なのである。


これは、江戸時代からあるから、名前が付いたのか、と、思うと、
必ずしもそんなことはない。


東京で、明治以降にできた坂にも
名前が付いている例はある。


例えば、文京区小石川の桜の名所、播磨坂


いかにも由緒ありそうだが、これは戦後だそうである。


あるいは、近年の例だが、渋谷のスペイン坂なども
そうであろう。この他に、若者の街渋谷には、オルガン坂
間坂(まさか、ロフトの間の坂、一般公募で付けられた、
のだそうである。)などある。


坂に名前がある、と、いうのは、我々にはあたり前のこと、
で、ある。しかし、ほんとうは、あたり前ではない
のではないだろうか、と考えたのである。


例えば、欧米ではどうなのだろうか。


欧米では、道には、○○ストリート、△△アベニューなど、
名前は付けている。
これはむしろ、日本などよりは、道の名前は、
住居表示の基本でもあり、京都などもそうだが、
名前のない道路は、欧米では
おそらく存在しないのではないだろうか。


東京であれば、名前のない道、というのは、ざらにある。
(これは行政などが付けている名前はむろん別の話で、
普通の地図に載っていて、一般に使われている道の名前、
で、ある。)


欧米の道には漏れなく名前が付いているのに、
坂だけ別格に、名前をつける、というのは、
あまり聞いたことはないような気がするのである。


どうであろうか。


例えば、サンフランシスコ。
サンフランシスコなどは、坂の街で有名だが、
通りの名前以外に、坂だけ別の名前をつけて
いる例はあったであろうか。
実際にサンフランシスコに学生時代いったことはあるが、
そんなものは目にしなかった。


もう一つ、香港。
ここも、香港島の方は、山が迫り、坂は多い。
ここでも、道には名前が付いているが、坂だけ
別に名前が付いている、ということはなかったと思われる。
(今、グーグルマップで、サンフランシスコ、香港を見ても、
坂だけの名前というのは、見当たらないようである。)
(海外の例、ご存じの方はおられようか。)


これはひょっとすると、我国独特の文化ではなかろうか。
日本人は、坂に名前を付けたがる民族なのでは?
と、いう仮説が生まれてくる。


では、東京はわかったが、
日本国内、他の地域ではどうか。


しかし、だいたいにおいて、江戸東京のような、
台地と平地にまたがって、造られた大都市、
というのは、まず、他にはない。


京都にしても大阪にしても、どちらも古い都市だが、
基本的には平地に造られており、東京ほどの坂はない。
名古屋もそうである。


しかし、一方、東京以外でも坂に名前の付いている
ところはある。
京都の清水寺付近の清水坂(そのままだ。)、
同じく産寧坂(三年坂)。


昨日の、汐見坂で検索すると、浜名湖のそばの湖西市にも、
潮見坂というのがある。中央高速には、談合坂、と、いうのも
ある。(まあ、こんな例を引かなくとも、日本中に
坂に名前を付けているものは、数多くあるだろう。
今、手元にまとまったものはないが、、。)


まあ、結局、東京は地形の関係で、坂が多く、
日本人の性癖(文化)が顕著に表れやすいところであった
と、いうことかもしれない。


東京では、坂というものは、まずは、山手と下町、
お屋敷と町屋を分けるものである、と、先ほど書いた。
これは人文地理学的な見方、といってよいのだろう。


一方、私の学んだ民俗学では、坂は、
ある種の境界として、考えられることがある。


例えば、峠、橋、トンネル、などなどは、
自分の住んでいる空間と、外界とを分ける、境界、で、ある。


なんとなく、おわかりになろうか。


私も経験があるが、民俗学でムラの基本的な調査をするとき、
特に、お化けの出る場所、というようなところに
焦点を当てることがある。
これは、よく村はずれの橋だったり、トンネル、峠道、
などというところだったりするわけである。自分達の
テリトリーと、外界との境界に、お化けはよく出現する、
のである。(それで、そのムラの意識上の境界がどこにあるのか、を、
簡易に知ることができるというわけである。)


実際には、日本人の境界感というものは、家、ムラ、田畑、山、
の間に、なん重にも層をなして、広がっている、と、考えられている。
この説明は詳細にしようとすると、そうとうに長くなるので、
今日はやめておく。


そういった境界の一つとして、坂、をとらえると、
重要な意味のあるものだから、坂に名前をつける、という
発想が生まれてくる、と考えられる。


実際に、東京の坂には、様々な伝承があるところも
存在する。昨日の、元禄忠臣蔵の、南部坂雪の別れ、も、
ある種そうした伝承の一つとも位置付けられるかもしれない。
坂、というのは日本人にとって、意味のあるもので、
別れの場面をドラマチックに演出する芝居の舞台装置として
ぴたりとはまる。琴線に触れやすい場所、なのかもしれない。


欧米人などにも、むろん多少はそういう境としての意識が
あるのだろうが、ことさら日本人は、そうした境界に関して
強く意識する、ということがあるのではなかろうか。


さらに、こういうこともある。


坂に限らず、現代において交差点にも私達は名前をつけている。
(こちらは、もとは警察がつけているのがほとんどだが、
後付けとしても一般市民もこの名前を使っている。)


名前をつけて呼ぶ、ということは、意味があるもの
(より近しいもの、あるいは、同じような他の場所と
明解に区別したい、などなど)という意思の表れと考えられる。
また、交差点も境界の一種ではあろう。


これらをみても、我々日本人は、現代でも身近な生活空間を、
例えば、欧米文化に比べて、きめ細かく認識したい、という
文化を持っている、といえるのだろう。


先ほどの、お化けの話し、ではないが、
古来から、日本人は木や、石などの自然物からはじまって、
田んぼの稲、家の中の竈(かまど)、便所、その他、
身近なもの、自分達を取り巻くものすべてに
なんらか、神として扱う文化を持ってきた。
これは、むろん、キリスト教やら仏教、イスラム教などの
世界の宗教の扱う神とは、種類の違うもの、で、ある。
水木しげる先生の妖怪などは、神といっても
よいものかもしれない。時に親しみの持てる
隣にいる存在でもある。


江戸、明治以降、現代にいたるまで、生活は変わっても、
あるいは、生活空間が、ムラから町、あるいは街に、さらに、
近代都市にかわっても、我々日本人の外界をとらえるメンタルは、
本質的には変わっていないのではなかろうか。


そんな文脈のなかで、坂に我々は、今でも名前をつけ、
様々な思いを込めて、呼んでいると、思われるのである。




P.S.


この件、まだまだ、考察の切り口はあるような気がする。
日本国内、坂の多い街は大都市でなければ、思い付くだけでも、
長崎、尾道、など、有名である。
これ長崎の坂には、名前がついているところが多いが、
尾道の方は、名前のない方が多いという情報もある。
つける理由があるのなら、つけない理由もあるだろう、、。




むろん、今回で、結論が出たとは思っていない。
日本人、東京人が、坂に名前をつけてきた、
いや、今でもつけ続けているメンタルの本質とは
なんなのか。引続き、考えてみたい。