浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



麻布谷町界隈 その1

dancyotei2010-02-16

2月13日(土)


夕方、5時頃から、赤坂のアークヒルズ
同僚の結婚披露パーティー(二次会)。
この年齢になると、こういうパーティーに出るのは
そうとうに珍しいことになっている。


赤坂、六本木界隈も、ご存じの通り、再開発が目覚ましい。
六本木ヒルズ、ミッドタウン、TBS界隈、
六本木一丁目の泉ガーデン、あるいは、溜池山王付近等々、、
再開発がどんどんと終わって、アークヒルズなどは、
もう既に古株になっている。


考えてみれば、20数年前、我々が結婚した頃には、
もう既にできていた。ちょうどこの時、アークにある
ANAホテルに泊まったのであった。
バブル華やかなりし頃、である。


あのあたり、と、いうのは、最近は滅多にいかなくなった。


久しぶりに、少し歩いてみようか。



事前に、現代の地図と、江戸の地図を見ておく。







より大きな地図で 断腸亭料理日記/麻布谷町界隈 を表示





(現代の地図も見ていただきたい。)



江戸の地図の赤い星印、今のアークヒルズの周辺が昔の麻布谷町
(正確には、坂の下の方は、明治以降、溜池榎坂町である。)


現代、溜池から、六本木通りが始まり、坂道になっている。


アークヒルズの先で、二股に分かれ、これが首都高では
谷町ジャンクション坂上に向かって、右が六本木通り
左は、飯倉片町、麻布永坂へいっている通り。
(そういえば、この左の通り、名前はなんというのであろうか。
聞いたことがない。)


江戸の地図をみると、六本木通りの方は、
前身らしき通りはあるが、もう一本は、まったく見当たらない。


明治の頃の地図を見ると、六本木通りは、できている。
もう一本は、いつ頃できたのであろうか。
首都高と一緒にできていそうである。
であれば、東京オリンピック、あたりであろうか。


六本木通りとそのもう一本の通りが、
六本木を貫いている外苑東通りに向かって、坂道。


このあたり、ほんとうに、地形が複雑、で、ある。
(いや、別段、ここに限らない、私のオフィスのある市谷でも
東京の山手と下町の間、いたるところが坂道だらけ、で、ある。)


外苑東通りに向かって坂道だが、この二本の通り自身も
両側が台地で谷筋、で、ある。
それで、谷町、と、いうことになる。


六本木通りの北側は、赤坂、氷川神社の方に
向かって、崖ともいえるような地形。


そういえば、勝海舟が住んでいたのも、氷川清話、
と、いうくらいで(勝邸は氷川神社よりも、
もう少し外濠寄りだったようだが)このへん。


アークヒルズの裏側も台地で、一本の通りがある。
これは尾根道、で、ある。
この通りは、上の、江戸の地図にもある。
麻布市兵衛町、と、書き入れたが、この通り。)
アメリカ大使館脇の霊南坂、東側がホテルオークラ
スペイン、スウェーデン両大使館、泉ガーデンの裏を通っている。


上の地図を見てもわかる通り、ほとんどが武家屋敷。
地形が凸凹しているからか、あまり大きな大名屋敷、
上屋敷の類、というのは、多くはない。


先ほど、勝海舟の氷川の屋敷に触れたが、
明治になり、多くがやはり、華族、新政府関係の役人、
三井などの財界人などなどの、お屋敷になっている。


溜池の近くに、松平ミノ、と、ある区域は、近衛家、黒田家の
お屋敷。また、もう一軒。霊南坂上の西側、上の地図では、
定火消とあるところ。
ここが、なんと初代首相、伊藤博文邸。
錚々(そうそう)たるもの、で、あろう。


それから。
お屋敷町、と、同様に、この界隈で、
はずすことができないのは、各国の大使館。


中でも、アメリカ大使館は肝(きも)、で、あろう。
上の地図で、榎坂、霊南坂の角の一画が、
現代のアメリカ大使館の場所であるが、明治の頃、
既にこの場所にできている。


今、伊藤博文邸の場所は、大使公邸になっているようである。
米国大使館は明治の頃は、今よりも
もっと小さな区画であったわけである。


また、アメリカ関係では大使館の宿舎が、今、
氷川神社の前、上の地図で、真田信ノ、相馬大ゼン、の
両大名屋敷のあった広大な場所にある。
(ちなみに、ここは、明治の地図には、三井邸、と、ある。)


それ以外にも、大使館では、先に述べたスウェーデン
スペイン、それから、ちょっと探しただけでも、ミクロネシア連邦
レバノンバーレーン、など、見つかり、まさに大使館密集地帯である。


ま、ま、そんなところが、予習であろう。


三時すぎ、みぞれ交じりで寒い。


着込んで、出かける。
拙亭からは、大江戸線、春日乗り換えで、
南北線、六本木一丁目下車。


六本木一丁目は、ご存知の通り、降りると
住友不動産が開発した、泉ガーデン。


なぜ、“泉”ガーデンかというと、今の住友グループ
住友財閥の、江戸の頃の屋号が、泉屋、で、あったから。
(だと思われる。)ちなみにここは、再開発前は、
住友会館というものであったよう。
住友グループのサロンか?)


この泉ガーデンを山側にエスカレーターで上がり、
エスカレーターが終わると、傘を広げ、階段を上がり、
裏の通りまで、出る。


出たところが、スウェーデン大使館の前。


左に曲がり、霊南坂方向に歩くと、すぐに左側が、
スペイン大使館。


と、右には、すぐに、ホテルオークラの別館。
このあたりから、もうゆるい、下り坂が始まり、
霊南坂上の信号。




といったところで、だいぶ長くなった。
今日はここまで、つづきは真明日。