浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



箱根・塔ノ沢・福住楼 その3

dancyotei2009-12-23

12月19日(日)〜20日(月)


引き続き、箱根塔ノ沢の福住楼。


年賀状書きを終わらせて、4時頃、
風呂へ。


ここの風呂は、丸い銅の縁のある風呂と、
岩風呂、があり、時間によって男湯と女湯が
入れ替わる。


昨日、着いてすぐに入ったのが丸風呂であったが、
ちょうど同じ時刻なので、今日も、丸風呂。


やはり、他には人はいない。
のんびりと、入浴。


風呂から上がって、一杯。


そのまま、転寝(うたたね)。


夕飯は、やはり、6時半から。


昨日は、印刷された献立が出てきたが、二日目は出ない。
やはり、圧倒的に、一泊の人が多いのであろう。


しかし、同じ人間に、二日続けて、
同じものを出すことはむろん、ない。
で、二日目にどんなものが出るのか、
たのしみ、で、ある。





手前、なまこ酢、向う側、とこぶしとさざえ。
その左、鴨肉のロースト。
この三皿で、昨夜の、先附、酒菜、に、あたる、のであろう。





鍋は豚しゃぶ。





お造りは、平目、まぐろ、甘えび(ぼたんえび?)。


ここまでが、最初に運ばれるもの。


鍋の豚しゃぶは、ちょっと目先がかわっている。
むろん、うまい、のであるが、しゃぶしゃぶ、と、いう
料理は、せわしないもの、で、ある。
こうした旅館の鍋は、ご存知のように固形燃料を
使っているので、ある程度の消えてしまう。
普通の鍋であれば、煮えてしまえば、消えてしまっても
そうそうすぐに冷めはしないので、なんら問題はない。
しかし、しゃぶしゃぶだと、煮立っていないと、
しゃぶしゃぶにはならない。
よって、煮立っているうちに、食べ切ろう、
と、いうことになってしまい、せわしない。


焼き物。





鰤照焼。


煮魚。





きんめ、まるまる、一匹、で、ある。
これはそうとうに、ボリューム感がある。
小田原にあがるもの、で、あろうか。
味もむろん、よい。


揚げもの。





わかさぎ。オレンジ色のものは、くわい、を
揚げたもの、と、いう。


煮物と、ご飯。





海老芋の揚げびたし。
出汁には、なめこ
これは、うまい。


最初の日が、規定問題。
二日目が、自由課題、といったところであろうか。


うまかったし、そうとうなボリュームであった。


さて、さて。
翌、朝飯。


やはり、昨日の朝とは別のもの。





湯豆腐はなし。


おろし生姜ののせられた、細く造った、
いかの刺身。
蒲鉾、焼きたらこ、おろし、昆布の佃煮、
わさび漬け。





右側の丸い小鉢は、きんめの刺身。
細く切って、わさびをのせている。


これはそうとうに、うまい。


いかと、きんめ、朝から刺身二品というのは
豪勢、で、ある。


それから、オムレツと、
干物は、えぼだいの開き。
むろんのことどちらも、温かい、


うまいので、飯も二膳、食べてしまった。


二回目の夕飯と、朝飯。
なぜだか、どちらも前日よりも、
力が入っているように思われる。


これで、三日泊ったら、どんなことになるのか、
と、思ってしまう。


ともあれ。


食べ終わり、出発前に、最後の風呂。


朝は、もう一つの、岩風呂。


あがって、着替え、9時半頃、部屋で勘定。


10時、出発。


年に一回、旅館にとっては、さほどよい客でも
ないと思われるが、同じ部屋になん回か泊っているので、
担当のお姐さんも、憶えていて、
色々と気を使ってくれていた。


よいサービスに寛げた。飯もうまかった。
むろん風呂もよい。


そして、なにより、文化財でもある落ち着いた、
数寄屋造りの和室で、手足を伸ばせた二日間。


年に一回だが、かけがえのない、
とてもよい時間である。





福住楼






ちょっと、蛇足。



今回、あらためて、気がついた、と、いうのか、
認識し直したことがあった。
それは、なにかというと、和室というのは、光と影、
あるいは明と暗、をとてもよく考えた建築、
で、あるということ。


それがとても落ち着いた気分にさせてくれる。


意匠を、デザインを考えるのも大工の仕事であろう。
そして、ここの部屋を造った、大工達の技量が
卓越していたことはいうまでもない。


下に、いくつか写真を並べてみた。


欄間だったり、飾り窓だったり、障子だったり。


明と暗、を様々な直線や曲線を組合せ、シンプルだが、
くっきりと切り取っている。


現代、我々は、煌々(こうこう)とライトをつけないと、
気が済まない。


むろん、すべての人々、ではなかったろうが、
電気、電灯のなかった頃の日本人の生活に流れていた
豊かな感性というものがしのばれる。