浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座・九月・千穐楽 その壱

dancyotei2009-09-29

9月28日(土)第三食


今日は、昨日のつづき。


上野、井泉本店で、とんかつを食べて、
予定通り、銀座線で銀座へ。


銀座で降りて、地上へあがり、晴海通り。
昭和通りを越えて、歌舞伎座


着いたのは四時前。


まだ、開演までは30分はあるが、歌舞伎座の前は
もうごった返している。





少し前まで、歌舞伎なんぞ観たこともなく、
関係なく通りかかると、なんだこの人達は、
と、迷惑にも思ったものではある。
その人混みの一員になっているとは、、。
我ながら、不思議なもの、では、ある。


お、そうだ。


弁当を、買わねば。


芝居というのは、私などがいうまでもないが、
昼も夜も、昼は12時、夜は6時をまたぐので、
30分の休憩があり、弁当やら、食事やらを
摂る。
昔から、幕の内弁当、というのは、これである。


弁当もあるが、歌舞伎座には食堂があり、
予約をしておいて、食べる、こともできる。
幕の内はむろん、鮨もあれば、うなぎ(宮川)、そば、
(あの)東京吉兆まで入っている。


と、思い出したのが、辨(弁)松





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当時の歌舞伎座の袖の席には薄緑が敷いてあり、


座ふとんに座ってみたものだ。


年が明けて見物の当日、母と共に歌舞伎座に入ると、


先ず[辨松]の五十銭の弁当を予約しておく。その


うれしさというものは少年にとって、まったく


「こたえられない・・・」ものだったといえよう。


(「日曜日の万年筆」池波正太郎新潮文庫



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これは、初芝居と題された、池波先生の
エッセイの一篇で、ある。
先生が子供の頃、正月、お母様と歌舞伎見物へいった
思い出、で、ある。


今、辨松は、歌舞伎座の中には入っていない。
晴海通りをはさんで、ちょうど歌舞伎座の正面
ビルの一階、に、ある。





交差点を渡って、店に入り、選ぶ。


基本的に、辨松の弁当というのは、安い。
1000円以下がほとんどである。
(このあたりが、3000円なんというものも
扱っている、現在の歌舞伎座の中の弁当やと、
違うところかもしれない。
しかし、一方で、上に引用した、池波先生の
子供の頃の五十銭の辨松の弁当は、この頃の
庶民の買う、弁当の値段とすれば、決して
安いものではなく、池波家とすれば、
初芝居だからこそのもの、だったのであろう。)


そこそこよさそうな、懐石弁当1115円、
これにしてみようか。



(辨松から見た、歌舞伎座



再び、歌舞伎座前に戻り、開場を待つ。


まあ、ここで見ても、お客さんの八割以上、
いや九割以上であろうか、女性、で、ある。
おば様ばかりかといえば、そうでもない。
さすがに、ギャル、というような女の子はいないが、
30代、20代という感じの女性もいなくはない。


昼の回がはね、続々とお客さんが出てくる。
待っているお客と、さらなる、ごった返し、で、ある。


むろん、指定席なので、急ぐこともないのだが、
それでも、私の場合、早く入りたくなってしまうのは、
生来のもの、なのであろう。


一階10列28番。
右側、中央よりは前の方。
ここならば、顔もよく見えそうである。


ここで、夜の部の演目、配役を書き出しておく。



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一、浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)


  


  鞘當


不破伴左衛門  松 緑


 名古屋山三  染五郎


 茶屋女お京  芝 雀


  鈴ヶ森


幡随院長兵衛  吉右衛門


  飛脚早助  家 橘


 北海の熊六  桂 三


 東海の勘蔵  由次郎


  白井権八  梅 玉



二、七代目松本幸四郎没後六十年


  歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)



 武蔵坊弁慶  幸四郎


   源義経  染五郎             


  亀井六郎  友右衛門


  片岡八郎  高麗蔵


  駿河次郎  松 江


 常陸海尊  錦 吾


 富樫左衛門  吉右衛門



三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)


  吉祥院お土砂


  櫓のお七



 紅屋長兵衛  吉右衛門


 八百屋お七  福 助


 小姓吉三郎  錦之助


  丁稚長太  玉太郎


  下女お杉  歌 江


  長沼六郎  桂 三


  月和上人  由次郎


  若党十内  歌 昇


 釜屋武兵衛  歌 六


  母おたけ  東 蔵



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ビールを買って、再び席に戻ると、
もうすぐに、開演。


一つ目、浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)
が始まる。


あらすじを書いても、この芝居の場合、意味がないようである。
作は、四世鶴屋南北
文政6年(1823年)3月、中村座初演、だ、そうである。
文政というので、いわゆる文化文政、化政期。
幕末の少し前。
江戸の文字通り、江戸発の文化が花開いた頃。


作者の鶴屋南北は、四世、というが、最も
有名で、鶴屋南北といえば、普通、この四世を指すという。
代表作は、東海道四谷怪談盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
これは、観たことがあったのだった、、。(忘れていた。)


この作品は、長い話の一部分。
まったくつながらない、二幕を合わせ,
上演する、と、いうもの。
それも、この二幕は、前後関係は、逆のようである。


一幕目は、鞘当(さやあて)と呼ばれている幕。


吉原仲之町が舞台。
ここで、武士二人が、刀の鞘(さや)が当たった、という
いわゆる鞘当で、喧嘩になる、という、、。
(なんだかこれだけでは、よくわからぬが、、。
まあ、実際、ねむくなってしまった。)


二幕目。


鈴ヶ森。


これは、私にもわかった。


有名かもしれぬ。
幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)と、
白井権八の、出会いの場面。
幡随院長兵衛が、吉右衛門先生。


「お若ぇの〜。お待ちなせぇ〜〜。」


ストーリーなどはまったくわからないが、
これだけは、聞いたことがあった。


(そういえば、幡随院長兵衛は、池波先生も、
「侠客」で、書かれていたっけ。)


実際に、この幕も、ほとんど、話を知らなくとも
たのしめる。雲助にからまれている若侍、白井権八
ここに、幡随院長兵衛が通りかかる、という、
まあ、言ってしまえば、それだけの話。


それだけなのに、楽しめる、と、いうのは、
日本の芝居、歌舞伎というものの、すごいところ
なのかもしれぬ。
また、吉右衛門先生の、幡随院長兵衛というのも
はまっていたように思われた。


ちょっと武ばっていて、
酸いも甘いも噛み分けた、大人の男。
まあ、鬼平のイメージが、強いのかもしれぬが。


といったところで一つ目終了。


次の、勧進帳の前に、30分の休憩。




きりがよいので、こちらも、明日につづく。