浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭、モロッコへ行く その7

dancyotei2009-08-24

回を重ねて、断腸亭の夏休み、モロッコへ行く、その7。


今日は、マラケシュですごす二日目。


ホテルは、LES JARDINS DE LA KOUTOUBIA。
五つ星でなかなか、落ち着ける。


だが、朝食は、カサブランカのホテルと
似たようなもの。








生野菜はなく、パンと数種のハム、チーズ。
それにフルーツ。やはり、これはふんだんにある。


コーヒーは、フランス式にカフェオレが頼める。





朝食用のレストランはプールも近い、一階。


前にも書いたが、ここのホテルは外の喧騒と比べて、
驚くほど静かで、落ち着いている。


鳥の声などが聞こえ、部屋の窓辺には食べ物を置いておくと、
なんの鳥だかわからぬが寄ってくる。





朝のうちは、内陸のせいであろう、半袖では、
肌寒いくらい。


それでも日が昇ってくると、段々と気温が上がる。


気温が上がってくると、プールサイドに降りてみる。
真っ白いデッキチェア、真っ白い大きなパラソル。
寝そべってのんびり、読書。


10時頃には既に日差しは強くなっている。
寝そべっていて、暑くなると、ひと泳ぎ。


このホテルは、部屋数もそれほど多くはなく、
また、ほとんどがフランス人でこういうところにくる
人達だからであろうが、子供連れでも静かで、
マナーもよく、いたってみなさん大人。
(セレブ、とまではいかなかろうが、まあ、
お金に余裕のある人達、で、あろう。)


まったく贅沢なモロッコマラケシュのリゾート、
で、ある。


2時すぎ、昼飯方々、また、フナ広場に出る。
一番暑い盛り。


ここ、帽子ぐらいはかぶっていた方がよい。
また、夏、マラケシュで炎天下、歩くならば、水は必要不可欠、で、ある。
大きなペットボトルのミネラルウォーターを買い
持ち歩きながら、飲む。
(この旧市街にはスーパーマーケットのような量販店、
あるいは、コンビニ、というものはないのだが、
水や清涼飲料などを、土産物、菓子などとともに、
売っている小さな商店はある。まあ、こういうところでは、
さすがに、言い値、ではなく、定価で商売をしているので、
まだ気楽、で、ある。)


フナ広場を見て歩いていたら、
ちょっと、おもしろい、出店(でみせ)を見つけた。





なんであろうか、これは。


鹿の角のようなもの、蛇の皮、オイルのようなもの、
お香のようなもの、鉱物?植物?の干したもの?その他、
なにかわからないアヤシゲなもの、あげのく果て、
手前の籠には、生きたトカゲのような生き物もいる。


これは漢方薬のような、アラブの薬の類、で、あろうか。
民族・部族社会では、マジナイで病気を治す、
呪術医というようなものもあるが、中にはそういったことに
使うようなものも、あるのかもしれない。
生きたトカゲなど、見るからにそんな趣である。
(むろん、想像であるが。)
どのくらいこういうものがこの社会で生きているのか
わからないが、売られている、と、いう事実だけでも、
なるほど、これは、世界無形遺産である。


昼飯は、広場に面し全体が見渡せる、カフェに入ってみる。


二階にも席があり、そちらへ上がる。





お客さんのほとんどが観光客であろう。
にぎわっている。


店の中だが、エアコンなどはなく、風が通らず、暑い。


なににしようか。メニューを眺める。
やっぱり、いい加減、タジンにケバブも飽きている。


見ていると、マッシュルームピラフ、というのがあった。
これはなんであろうか、頼んでみよう。


内儀(かみ)さんはチーズバーガー。
観光客相手の店だから、で、あろうか。
こんなものも、メニューにあった。
それから、お馴染みのミントティー。


マッシュルームピラフ、なるものがきた。





はて?これは、なんであろうか。


なにがしたかったのであろうか。
まん丸に盛り付けている。これはチャーハン?


こういう料理が、こちら、モロッコ?あるいは、
フランスにあるのだろうか?


米は、どこで採れたものかはわからぬが、長い米、で、ある。
そして、、どうも、緑色の野菜のようなものが一緒に入っている。


食べてみる。


うーむ。


ピラフ、と、いいながら、塩味もなく、味がほとんどしないし、
油っけもなく、その上、長粒米なのでパサパサ。


それから、緑の野菜。
これは、味も見た目も、まず、長ねぎ。
長ねぎが、こんなマラケシュにあるのかどうか、わからぬ。
似たような、ポロねぎ、というものがあるが、それかもしれぬ。
(調べると、ポロねぎは地中海原産というので、モロッコにも
あるのかもしれぬ。)


これでは食べられないので、塩と胡椒をかけて、
一応は、食べられるものにする。


内儀さんのチーズバーガー。
これがまた、妙。





(おわかりになるだろうか、この写真。)
なにが、と、いって、パンがない。


そうではないか。
バーガーといえば、パンにはさんだもの、ではないか。


肉と、スライスしたトマトとレタスのような葉物野菜。
それから、粉チーズのようなものがまぶしてある。


これでチーズバーガーの材料になるのはわかるが、はさんでなければ
ハンバーガーとはいえないであろう。


まあ、パンは、既に最初に籠に入れて、モロッコパンが出てきている
(下の写真のように)ので、自分でパンを切って作ればよいのだし、
そうしろ、と、いうこと?。いや、こちらでは、それが
あたりまえ、と、いうことかもしれぬ。
きっと、クレームをつければ、パンはあるじゃないか?!
と、いうに違いない。


ところ変われば考え方も変わる、ということ
なのであろう。


そして、この、肉のパテが、また、妙。
随分とぼそぼそしている、のである。


考えた、のであるが、これはこちらの流儀なのでは
なかろうか。
今回は食べなかったが、こちらでは、挽肉の料理も多い。
串に刺したケバブを出す店でも串刺しの肉とともに、
つくねのようにして焼くのか、挽肉も見かけた。


また、今、これを書きながら、思い出したのだが、
「その4」で書いた、ラムのタジン
これも、確か、ラムのミンス(mince、ミンチのこと)、
つまり、ラムの肉団子、と、店の親父さんがいっていた。


まあ、どこの国にも、挽肉料理はあるので、
別段、珍しいこともなかろうが、きっと、この
チーズバーガー用の挽肉の焼いたものは、
こちらに、近いものがあるのだろう。
そして、それは、練っていないものなのかもしれぬ。
だから、ぼそぼそしている?
ロッコで挽肉を焼いたものは、こういうもの
と、いうことか。


ともあれ、ぼそぼその上に、やっぱり
味がほとんどついていないので、これも食えない。
山盛りのフレンチフライにもつけるので、ケチャップをもらう。


ちなみに、余談だが、トマトケチャップというものも、こちらでは、
あまり見かけなかった。


この時も、瓶ではなく、皿に取って、持ってきてくれた。
あまり見かけないのは、ホテルでも同じであった。
(と、いうことは、影響の大きいフランスでも、ケチャップは、
そのへんに出しておくものではないのか。前にも書いたが、私は、
フランスに行ったこともないのでわからないが。)


ケチャップを多用する、と、いうのはアメリカ流なのかもしれぬ。
そういえば、ケチャップで作る、例の日本のスパゲティーナポリタンも
起源は、占領軍が横浜のホテルニューグランドに持ち込んだもの
というのを、聞いたような気がする。(これはうろ覚え)
今の我々の味覚は、我々自身でも意識しなくなってしまっているが、
アメリカの影響というのが思いの外、大きいのかもしれぬ。
世界でも、米国圏でないところにくると、そういうことも
あぶり出される、ということ、で、あろう。


ミントティー。






これも、ポットに生のミントの葉を入れたもの。


それも、既に砂糖が入っており、随分と甘い。
ロッコでミントティーはなん度も飲んだが、
甘いのが多かった。


暑いところで、甘くて、熱いミントティー。
これはこれで、やっぱり、合うように思う。


そういえば、暑いときに、熱いもの、というのは、昔の
日本でも、あたりまえ、で、あったことを思い出す。
(熱い甘酒というのは、今は冬のものだが、
昔は、暑い夏に飲むもので、あった。)


暑さに熱さと、甘さ、さらに、ミントの爽やかさ。
これがモロッコ流、と、いうことであろう。



今日は、なにか、考えることが多くなってしまった。
食の違いは、取りも直さず文化の違い、価値観の違いにもなる。


米国中心のグローバルスタンダード、なるものが、
世界を席巻をしたが、果たしてそれでよかったのか。


もちろんのこと、世界には様々な民族があり、それぞれの文化があり、
文化自身には優劣はない。これは大原則である。
それぞれの文化を知り、尊重する。
一つの価値観で塗りつぶさなければならない理由はどこにもない。
どう実現するのかが大きな問題だが、多様性こそが今の行き止まりの
世界に解答を与えるような気もする。


その種のことは頭ではわかっている。
しかし、日本で生活をしていれば、多様性などを
肌で意識することはまず、ない。
文化人類学や、民俗学などでは、参与観察というが、
そこへいって、そこの人と同じことをして初めてわかることも多い。


例えば、タクシーの運転手との価格バトルも、ここへこなければ
経験できなかったこと。よいわるい、好き嫌いではなく、
そういう文化も存在するのだ、ということを知る、と、いうこと自体は
私にとっては、たのしいことだし、なぜそうなのか、など、
もっと知りたくなってくるのである。


だが、知る、にも、それなりに時間が必要なことも
また事実、で、ある。(最初はカルチャーショック、で、ある。
だが、段々に、おもしろくなってくる、のである。)




そんなことで、今日はおしまい。


明日も続く。