浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



五反田・とんかつ・とん金

dancyotei2009-07-26


7月22日(水)昼


昨年の今頃もそうだった、のであるが、
今週は、弊社の五反田のビルで社内イベント。
3日ほどは、五反田詰め。


13時まで、五反田にいて、市谷に戻る。
昼飯は?


久しぶりに、城南信金の裏の定食や、というのか、
とんかつや、の、とん金、へ、いってみようか。


今日は、連れ、も、ある。


このところ、西日本では大荒れの天候が続いているよう。
関東地方は14日の梅雨明け後、一度暑くなったが、
また少し、ぐずつきぎみ。
今日は薄曇り、蒸し暑い。


高速下(この通りは、外苑西通り、か)を下り、
谷山橋で目黒川を渡る。


大崎郵便局の角、山手通りを左に曲がる。


ここ、前から、疑問に思っていたのだが、
なぜ、五反田なのに、大崎郵便局なのか。
大崎とは随分離れている。


ここ以外にもこの近所だが、品川区の施設で、
大崎第一地域センターというのもある。


調べてみると、これは以前の行政区分名が残っている、ということ。


同じような例では、やっぱり、郵便局だが、京橋郵便局。
京橋郵便局はなぜか、京橋とは随分離れた東銀座、松竹の先にある。
これは、ここは、今は中央区だが、以前は京橋区であったことに
関係しているのではないかと、思っている。


現在、五反田は品川区であるが、明治の頃、
このあたりの行政区分は、荏原郡大崎町。


(その後は、大崎町は、昭和7年に同じく荏原郡品川町、
大井町三町を合わせて、品川区になった。そして、戦後、
南側の荏原町から区になっていた荏原区と合併し、
今の品川区が出来上がっている。)


(やはりご近所の、カレーの店うどん


江戸の地図





五反田の地名は、江戸の頃
文字通り現在の駅付近の小字(こあざ)名に顔を出す程度で、
あたりは、下大崎村、上大崎村(あるいは、谷山村)と
呼ばれていた。そして、明治に入り、先に書いたように、
荏原郡大崎町になった。


山手線大崎駅の開業は明治34年五反田駅はそれから遅れること
10年後の明治44年で、やはり大崎駅の方が先にできている。


というわけで、五反田は、基本的には、
駅ができてから一般的になった地名、で、あろう。


ともあれ。


大崎郵便局の前を通って、先の信号で山手通りを渡り、
城南信金の向かって左側の路地に入る。


とん金は、この路地を入った右側。


入ってみると、13時をすぎているが、店は一杯。


さすがにこの時刻であれば出る人もおり、あいた
カウンターの席に座る。


ここには、なん度めであろうか。
昼に数回、夜にもきたことがある。


界隈では有名な、量が多くて、うまい、とんかつや、あるいは、
揚げ物中心の定食や、で、ある。


カウンターの中は、ガタイのいい兄んちゃん(ご主人か)
と、おかあさん、そして、外は若いお姐さんの3人。


今日のランチの定食は、焼肉に名物のメンチ、
それから、メンチカツカレーの2種。


焼肉とメンチのランチを頼む。


数分で、でき、カウンターの向こう側から
渡される。





この写真では、縮尺がよくわからぬかもしれぬ。


丼飯が、通常の大きさの丼。
味噌汁のお椀もデカイ。


特大のボール型メンチカツと得盛の焼肉。
マカロニサラダ、キャベツ。


この年齢で、丼飯と、これだけのものを食べるのは、
どうかと思うが、まあ、たまにはよいであろう。


まさに、ガッツリ、の、昼飯。


むろん、味もうまい。


ガツ、ガツ、ハフ、ハフ。



あー、食った、食った。



勘定をして、出る。



うまかった、うまかった。



東急目黒線不動前駅まで歩き、
市ヶ谷まで。







とん金
TEL:03-3493-0340
住所:品川区西五反田7丁目5−3