浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鮨、考察 その4

dancyotei2009-03-23

またまた、引き続いて、鮨、考察、その4


昨日は、にぎり鮨の発祥のあたりを、考えてみた。


今から200年ほど前、江戸時代の化政期に、にぎり鮨は
江戸で生まれ、瞬く間に広がった。
それは、当時の商品経済の進展、町人達の消費社会、


あるいはグルメの風潮といった、時代背景の中で、
半ば偶然、半ば必然的であった。


また、それ以前の押し寿司から、にぎり鮨が、考えられたことにより、
簡便化に加え、いろんなねたが食えるという、バラエティー化、
にぎり鮨が持っている大きな魅力要素も生まれた。


まとめると、こんなことになろう。


この続き。
もう一度、歴史に戻ろう。


現代に劣らぬ、成熟した町人消費社会、時間に追われたり、
忙しい(むろん現代とは質的には違うのだろうが)社会。
そして金持ちは金持ちで存在する、グルメ社会。


こうした社会に、にぎり鮨は、受け入れられていった。


もう一度、Wikipedia江戸前寿司をみてみる。


生まれたにぎり鮨は、その後、


「屋台で廉価なすしを売る「屋台店」が市中にあふれる一方で、
「内店」とよばれる固定店をかまえるすし屋では、
比較的高価なすしを売った。」(Wikipedia江戸前寿司


やはり、発生からすぐに、こういう高級店も存在していたのである。


「贅沢を禁じた天保の改革では、200軒あまりのすし屋が手鎖の刑に
処せられることになった。」(同)


文化文政の頃生まれたにぎり鮨は、既に、数年後の天保の頃には
屋台だけではなく、店も現れ、グルメ化も進んだ。


先(昨日)の、八百善の、一両二分の茶漬けからすれば、
さもありなん、で、ある。
庶民の間で流行り始めたにぎり鮨だって、
化政期のグルメ達が放っておくわけはない。
グルメ化はあっという間、で、あったろう。


前回、鮨の定義で、普遍的に、うまい、ということと、
『文化的な背景』からできている、とした。


既に、にぎり鮨は、生まれた頃から『文化的な背景』(=グルメ化)を
持っていたということ。
また、この『文化的な背景』の中には、
高級なものから、安いものまで同時にある、という鮨(店)の
ヒエラルヒー構造も、現代同様、最初から持っていた、ということも
指摘しておかなければならない。


うーむ、なるほど。


やはり、恐るべし、江戸の化政期。


市場規模や、調理設備、調理技術、流通、ねたの種類、
などなどは、現代とは随分違うのだろうが、
鮨のコンセプト自体は、生まれた頃から、ほとんどかわっていない。


結局、それだけ、この時代が成熟していた
ということになるのであろうか。
ある意味では、それも真実だと思う。


また、逆にこの頃から、今まで、江戸人、東京人、日本人は、
ほとんど進歩していない?
ということが、いえるのかもしれない。


時代は、この後、江戸も幕末の動乱、その後の新政府、
東京になり、明治、大正、大震災、第二次世界大戦とその後の敗戦、
焼け跡、復活、高度経済成長、バブル、同崩壊、、、と、
ご存じの流れを取って、現在に至っている。


この間に、社会の浮き沈みによって、時々で鮨も様々な変転を
たどったのであろう。それこそ、戦争中などは、米も魚もなく、
そこそこの贅沢品でもある鮨は、とても鮨やとして、営業できる
状態ではなかったという。


にぎり鮨が生まれて、戦後に冷蔵流通が一般化するまで、
百数十年の間に、いわゆる、仕事をした“江戸前鮨”は
様々な鮨職人達の苦心、工夫によって、改善が続けられ、
一先ずの完成をみたと、いってよいのだろう。


しかし、そんな道をたどってきた、鮨も、
現代と文化文政当時と比べて、グルメだったり、鮨やの
ヒエラルヒー構造だったり、というものは、なにも変わっていない。
結局、東京人(日本人)は、世の中が太平になると、
同じことになる、という、ことなのであろう。


きっと、昔も(私のような?)、うまいのまずいの、
ぐずぐずいう人間がいた、のであろう。


やれやれ。
安心するような、がっかりするような、、。


やはり、鮨の考察をする、と、いうことは、
東京人、日本人を考えることであった、のか、、。
そういうところにも、思い至る。


文化文政の頃から、我々のある面の本質は変わっていない、
というのは、喜ぶべきことなのか、悲観すべきことなのか。


金があれば、うまいものが食いたい。
さらに、人の食べていない、珍しいものが食いたい。
こういう欲求。
これが王侯貴族ではなく、町人大衆、にも太平であれば、
存在する。
ある意味、これは、我々の持っている、業(ごう)、の、
ようなものとしか、いいようがないのかもしれない。


(ある意味、この業は、日本人に特有のものなのかもしれぬ。
毎度書いているが、我々には、まったく理解できないが、
うまいものに興味のない民族、というのか、
文化、というのも世界には存在する。
アングロサクソンアメリカ、イギリス人などは、そうであろう。
これに対して、フランス人、イタリア人、中国人は、
うまいものを食いたい、と、いう文化を持っている。
フランス料理、イタリア料理、中華料理は、うまいが、
イギリス料理、アメリカ料理など、我々から見れば、
これという料理すら存在していないではないか。)


むろん、うまいものを食いたい、という業にも、いい面はあろう。


そういう人々の欲求が大きければ、
経済も活性化するだろうし、調理技術も進むであろう。
また、うまいものを食う、ということは、人にとって、
本来的には、幸せなこと、で、あるはずである。


結局、なんでもそうであろうが、本質を見失った、行き過ぎ、が、
いけないということなのであろう。
(「金儲け、いけないことですか?」と村上世彰氏がいっていたが、
サブプライムからの、金融危機を例に引くまでもなく、
やっぱり、行き過ぎれば、金儲けはいけないこと、
なのであると、私は思う。)


段々、次の話題、現代の東京において、鮨はどういうものか、
そして、これから、鮨はどうなっていくのか、に、
近付いてきたようである。


では、この場合、鮨の本質とはなんであろうか、で、ある。


これは、やはり、うまいかどうか。
この一点に、尽きてしまう、のだろう。


先日来、書いているように、
いや、皆様、先刻ご承知の通り、鮨は、東京(江戸)発祥。
うなぎのかば焼き同様、東京の名物、と、いってよいだろう。
そして、やっぱり東京人として、これは誇るべきこと、
であると思う。


それから、これも先日来書いているが、築地市場は世界一の
魚市場で、影響力も大きく、その中でも、鮨種は最高峰。
従って、むろんのことであるが、世界の鮨やの中で、
東京の鮨やが、最高峰、と、いうことになる。


鮨の生まれ故郷でもあるので、
美家古系を例に出すまでもなく、昔ながらの正しい(?)
江戸前仕事、を、受け継いでいるのか、いないのか、
そんなことが、東京では大きな話題になったりする。


こういう様々な背景の上に、今の東京の鮨やがある。


お客である我々は、それぞれが、自分の出せる金額の範囲で、
好きな鮨やを見つけ、いけばよい。
あたりまえの話である。
誰かに強制されるわけでもなかろうし、で、ある。


その中で、今思うことは、
先の、本質、うまいかどうか、を、やはり
お客は、マスコミや、誰かさんの言葉ではなく、
自分の眼で、舌できちんと判断すべきである、ということ。
(まあ、これは、鮨やに限らなかろうが。)


毎度書いているが、魚のブランド化の問題。
私が思うに、やはり、今、これは行き過ぎているだろう。
前に、そんなに、大間が食いたいですか?、と、書いたが、
私は、最近、鮨やで、できるだけ産地を聞かぬことにした。


産地ブランドが独り歩きし、実際の価値以上の値段が付く。
結局、近海マグロの値が上がり、これにつられ、
冷凍、蓄養などなど、世界中のマグロが値上がりし、
数も減り、いいことはなかろう。


ブランドを食うのではなく、最終的に鮨職人によって握られた
鮨、だけが、そこにあるだけではないか。
職人も、大間だから、というのを自慢するのではなく、
それをどう処理し、どう握って、最終的にお客の口に入れてもらうのか、
そこを競うべきではなかろうか。


これは、また、江戸前仕事、にもいえる。
手抜き、は、論外だろうが、必要以上に、
江戸前仕事をありがたがるのも、なにか、違うように思う。


もちろん江戸前仕事を、否定はしてはいない。
それを貫きたい職人は認めるし、それを支持している
お客もむろん必要である。


しかし、今まで、述べている通り、現代においては、
冷蔵設備がなかった時代の江戸前仕事で、実質的には
いらなくなったものも多かろうし、
江戸前仕事とは違う仕事をすることで、新しい、
うまい鮨も、たくさん生まれているのもまた事実、で、あろう。


でき得れば、過去の重要なものはきちんと踏襲しつつ、
現代において、どうすればうまい鮨ができるのか、
これを考え、技を磨くのが、鮨職人であってほしいし、
こういう職人の鮨を食いたい、と、思うのである。


それがやはり、鮨発祥の地、であり、
世界の鮨をリードする、東京、の鮨職人の矜持(きょうじ)であろう。
(矜持、よい言葉である。今はあまり使われなくなっている
言葉かも知れない。例の「鶴八鮨ばなし」で師岡親方も使われてた。
意味とすれば、プライド、というところだろうが、
そういってしまうと、やっぱり、なにか、違うだろう。
職人が紺の着物を着て、静かに真っ直ぐに立っている、ような
そんな感じがする。)


そして、我々東京の鮨やの客もそういう目で見る必要が
あるのではなかろうか。


つまり、いろんな雑音、蘊蓄を抜きに、
目の前に置かれた、にぎりが、虚心坦懐、うまいのかどうか、
これに集中するべきであると、考える。
(まあ、完全に、他のことを考えないで、というのも
不可能であろう。でき得れば、そういう気持でいたい、
ということである。)


先に、我々は文化文政の頃の江戸人から変わっていない、と書いた。
彼(か)の時代であれば、どんなにグルメでも、ある種の循環型社会が
できあがっており、地球の漁獲資源だったり、他の国だったりに、
迷惑は掛けていなかったのかもしれない。
しかし、現代においては、もはやそんなことはいってられない。
考えるべきところは考え、変わるべきところは、
変わらねばいけないのでは、なかろうか。
それこそ、私達はもう一段、成熟すべきではなかろうか。
そして、虚心坦懐、うまい鮨に向かい合いたい。


それこそ、鮨を生んだ都市の人間の矜持として。
未来の鮨のために。






一先ず、鮨考察、これで終了。
長々、お付き合いいただいた方に感謝したい。



自分なりには、好きな鮨というものを、少しは、分解はできたように思う。
現状では、このように考える、と、ご理解をいただきたい。
まだまだ、他の鮨やにも、いってみたいし、
まあ、あと、5年ぐらいすれば、考えも変わるような気もしてはいるが、、。