2月15日(日)第二食
さて。
昨日は、着物を着て、新橋の鮨や、しみづへいった。
ついでである。今日は、そばを食いにいこうか。
(なにがついでかよくわからぬが。)
着物を着て、そばやへいく、というのはよいもの、で、ある。
はたまた、西浅草のおざわ。
観音裏の大黒屋は日曜休み。
池の端でもなく、おざわ、ではなく、
上野、と、思ったが、やっぱり、今日は並木の気分。
天ぬきで一杯、やりたい。
池の端の天ぬきは、澄んだつゆだが、並木の天ぬきは
しょうゆで、やはり、天ぬきには、このつゆがうまいだろう。
2時過ぎ、着替えて、出る。
この時間であれば、列にもなってはいまい。
土日はといえば、昼時は随分と列になっている。
今日は、曇りだが、昨日に続いて、比較的暖かい。
元浅草から東へ、新堀通りを渡り、真っ直ぐに。
寿、国際通りも渡って、寿四丁目。
消防署の角を左に折れる。右側が駒形一丁目。
鮨や松波を右に見て、浅草通りを渡る。
ここから町名は雷門。
左が一丁目で、右が二丁目。
一本目の路地を右に入り、並木の広小路に出る。
左に曲がると、並木藪。
さて、江戸の地図。
このあたり、今は雷門だが、この地図のように
江戸の頃は、いくつかの町に分かれていた。
今の田原町の交差点から、東にかけて、三間町。
その北が、東西の仲町、雷門前から真っ直ぐ南に
下がっている通りの両側が、並木町。
また、雷門門前の両側が茶屋町。
今、雷門通りと呼んでいる雷門前の東西の通りが
広小路、これに対して、並木の通りを雷門前広小路、
といったようである。
仲町の由来は、古く、ここがまだ町になる前、仲畑村と
いわれていたという。これが町屋になり、仲町に
なったということである。
並木町の由来は、文字通り並木であったから、とのこと。
この並木がなんであったのかは、松、あるいは、桜、と
諸説あるらしい。
ちなみに、三間町の由来は不詳のよう。
しかしまあ、仲畑村から考えるに、
三軒の家があった、というようなことではなかろうか。
ともあれ、これらの町名が今の雷門になったのは、
比較的早く、戦前の昭和九年のようである。
(参考:下谷・浅草町名由来考 台東区)
どうでもよい話なのだが、この町名のなかで、落語がらみ、なのだが、
最近ちょっとおもしろいことに気が付いた。
今の、浅草通り側にあたる、三間町のこと、で、ある。
三間町といえば、富久(とみきゅう)という落語。
富久は、談志家元もやったが、やはり文楽、志ん生両師で
聞きたい噺、で、ある。
幇間(たいこもち)の久蔵というのが主人公で、
冬、浅草の自分の長屋で寝ていると新橋の方で火事だ
というので起こされる。
新橋にはこ奴(やつ)のしくじった旦那がおり、こういう時に
駆け付けると、詫びが叶うかもしれぬ、というのである。
そこから、久蔵は、寒い中、駆け出しで、新橋久保町
(今の西新橋一丁目)の旦那の店へ駆け付け、案の定、詫びがかなう。
この後、またまた今度は浅草で火事。
あわてて、久蔵は浅草に駆け戻ると、既に自分の長屋は
燃えてしまっている。意気消沈した久蔵は再び、新橋の
旦那の店に戻り、しばらく厄介になることになる、、。
と、まあ、久蔵は、浅草と新橋を一晩のうちに
行ったり来たりする。浅草と新橋である、
(私は銀座から元浅草まで歩いたことはあるが。)
普通に歩けば、二時間くらいは、かかるのではなかろうか。
(7km超である。)
それはともかく、そうとう、どうでもいい話であるが、
落語ファンの方で、お気付きの方がどれだけおられるだろうか。
こ奴の住んでいたのが、同じ浅草なのだが
文楽、志ん生で違っている、のである。
文楽師は、今の元浅草四丁目、阿部川町。
志ん生師は、この三間町で、やっていた。
私は、ずっと、阿部川町だと思っていたのだが、
志ん生師の富久のテープを最近聞き直し、三間町といっているのに
気が付いた、のであった。
まあ、三間町でも、阿部川町でも実際は大差はない。
どちらも江戸の頃、町屋であったところであるし、
特に町としてその特色に大きな違いはないと思われ、
また、噺の筋にも関係はない。
新橋までの距離も三間町の方がわずかに遠かろうが、
まあ、誤差の範囲である。
ではなぜ二人で違っていたのか、こちらの方が
むしろ、問題ではある。
(実際には、派(柳派と三遊)の違いではなかろうか。
こうした例は、他にも多少例がある。)
閑話休題。
並木藪、で、あった。
店の前に着くと、列はない。
開けて入ると、中は、そこそこ混んでいるが、
小上がりも、テーブルも相席だが、どちらでも
座れる。
着物で座敷に上がるのは、ちょいと、手間なので、
テーブルに、相席で座る。
お酒お燗、天ぬき、それから、もりそば、と、
一気に頼んでしまう。
お酒は、熱燗ですか?と、
聞き返された。
いや。
と、答えると、中に注文を通す声を聞いていると、
お酒ぬる燗〜〜、と、聞こえた。
う〜む。
熱燗でもぬる燗でもない、普通。
上燗、と、いうのは、ないのだろうか、、
最近、日本橋のおでんや、お多幸でもそんなことが
あったのだが、そんなもの、か。
思うに、やはり、今、燗酒といえば、まずは、
熱燗、を、頼む人が圧倒的に多いのであろう。
で、熱燗はやめてくれ、という人がいる。
そういう人の、多くが、ぬる燗、ということに
なるのか。
いや、私は、そうではなくて、熱すぎもせず、ぬるくもない、
ちょうどいい加減で出してほしい、のである。
なにもいわなければ、普通の温度、ではないのだろうか。
微調整が利かぬ世というのは、不便なもの、で、あるし、
また、いつから、燗酒といえば、熱燗になってしまったのか、、。
お酒がきた。
菊正宗だが、ここは樽酒。
だが、やはり、ぬる燗。
湯気が出る、熱燗よりは、よいだろう。
そして、さほど時間が経たずに、天ぬき、も、くる。
やはり、天ぬきは、この濃いつゆが、合っていよう。
うまいし、身体が温まる。
そして、ざる。
これは、食べている、呑んでいるタイミングを見て、
出してくれる。
さっと、たぐって、蕎麦湯も飲んで、席で勘定。
うまかった。
色々いうようなものの、やっぱり、
並木藪で、天ぬきで一杯。
仕上げはざる。
これ以上のものは、なかろうか、とは、思われる。