今日は昨日の続き。
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引き続いて、つまみ。
一口に切った、かますの焼いたもの。
大きめの角切りの蒸しあわび。
蒸しあわびは、肝、らしきものも添えてあり、これが真っ青。
これは肝かと聞くと、食べている海藻の色で、そういう色に、
なるんですよ、とのこと。
あわびは、薄切りが多いと思うが、
角切り、というのはおもしろい。
むろん柔らかいが、より食感をたのしめて、
うまい。
つまみ、はここまで。
(確か、である。ひょっとすると、もう一品ぐらい
あったかも知れない。今回はメモも取らず、完全に記憶のみで
書いている。)
ここから、にぎり。
これも、おまかせで。
にぎりに入る前に、ビールから、酒(冷酒、れいしゅ)に換えていた。
銘柄を聞くと、一升瓶を出して、これです、と、ご主人。
その名も、まつもと。
伏見の地酒であるという。
純米と書いてあったが、呑みやすい辛口系で
鮨に合っていた。
にぎりは、いか、あるいは、白身からであったか。
このあたりから、酒の酔いもあって、既に怪しい。
白身は、二種だったと思われる。
いかはすみいか(甲いか)。
白身は、鯛と平目、いや、炙ったぐじだったかもしれない。
にぎりは、基本的にニキリを塗ってから出す、という
古い江戸前の形。
(塩をまぶすものもあったが。)
これらも、昨日の刺身同様に温度を合わせている、と思われる。
そして、もう一つ、気が付いたこと。
ここのにぎりは、酢飯が大きい、ということ。
魚は比較的、薄めに切られており、
にぎり、そのものの大きさとしてはむしろ、
小さめだと思われる。
つまり、酢飯と種のバランスである。
私が思う、今の東京の標準的なものよりも酢飯が種に比べて、
大きいということ。
このバランスにも、いろいろある。
たとえば、種の下に、ちょこん、とある、程のものから、
おにぎりのような、というと極端であるが、
押し寿司を切ったような、大きさのものまで、いろいろあるが、
ここのものは、種よりも少し小さいくらいの大きさ。
元来、古い江戸前のにぎりの形は、酢飯の量が多かった。
私の知っている範囲でも、その形を伝えている、という、
湯島天神下の一心の酢飯はずっしり大きい。
普通に食べると、すぐに腹が一杯になってしまう。
してみると、ここは、古い江戸前式に近いのかもしれない。
むろん、意図していることなのであろう。
結局、どういうバランスがうまいのか、ということであろう。
にぎり鮨というものの中で、酢飯は、
刺身を食べるための添え物、ではない。
バランスとは少し別な話になるが、種と酢飯をともに握ると、
一瞬の内に、魚のアミノ酸が増える、ということも事実のようである。
とすると、全体としては、小さめだが、
酢飯は少し大きめ、というここの形も、あり、
なのかもしれない。
(昔のまま、をそのまま続けているのがよい、と
いっているのではなく、どういう形がうまいのかを
常に追及することが大切であろう、ということである。)
中トロ。
これは、下北。
柔らかく、あまくうまかった。
それから、小肌。
光りものは、よく覚えていない。
鯵であったか、鯖であったか、、。
車海老。
大きなもので、あった。
これも浅草駒形の松波、あるいは、観音裏の一新と同じ形である。
身を頭まで使い、半分に切って出てきた。
味は、、、微妙なところだが、ちょっと、冷たかったか。
昨日から書いているが、鮨は、温度や湿度が大事。
なかでも車海老、のうまさは(むろん素材自体の品質もあろうが)
温度で大きく左右されるのではなかろうか。
一新などは、茹で置きの冷えたものではなく、
前のものを握っている間に、茹ではじめ、
ゆで上がったらざるにのせて、俎板の上、客の見えるところで
しばらく常温に置いておく。
ほどよいところで、むいて、握る。
冷たくてはいけないし、ほかほかの茹でたて、もまた違うのであろう。
この少し前から、テーブル席に、グループの客などが入り、
店は、三人しかいないので、てんてこ舞い。
鮨を握るご主人と、若い衆の一人は、右の方で
焼きものなどを担当。一番若いお兄ちゃんは、裏方。
ちょっと、手が回らなかったのかもしれない。
うに。
これはうまかった。
長崎の五島、といっていた。
軍艦ではなく、にぎりにたっぷりとのせて出てきた。
むらさきなのか、馬糞なのか、聞かなかったので
わからないが、白っぽいので、もしかしたら、
馬糞かもしれない。
ひょっとすると、利尻と双璧ではなかろうか。
(これは技ではなく、素材の勝負ということであろうか。)
穴子。
玉子 薄焼。
ここまでで終了。
(巻物があったかどうか、、これもよく覚えていない。
おそらく、なかったと思われるが。)
他になにか、ご希望はありますか、というが、
素直に、勘定。
16000円也。
まあ、安くはないが、京都祇園という場所と、
この品質を考えると、順当ではあろう。
この街並みの中で、この鮨を食える、というのは
なんにしても、うれしいことではある。
勘定を済ませ、
再び、ちょっと暗い祇園の街の細い路地に出る。
若い活きのいい、ご主人、で、あった。
おそらく、本格の修行をされた方なのであろう。
近所にあれば、間違いなく、通う。
こういう若い鮨職人が、もっと東京にも
出てきてくれないだろうか。
みてくれや、ブランドだけではない、あるいはまた、
伝統だけがすべてでもない。どうしたら、
うまい鮨ができるのかを、きちんと考えられる。
路地から、帰りは、一度、四条通に出てみる。
時刻は9時を過ぎている。
四条の表通りは、観光客相手のみやげものや、
和菓子や、などであるが、皆、既にシャッターを下ろし、
静かなものである。
このあたり、私のホームタウンの浅草を思い出す。
浅草も観音様の界隈は、夜は早い。
9時には、店は閉められ、人通りも少ない。
京都市ではコンビニエンスストアの終夜営業の禁止、
なども話題に登っているようである。
夜の暗さ、を大切にしたい、ということであろう。
出張できている、私などはまだしも、京都の
地元の、特に若い人などは、こういう観光客相手のところは
そうそうおもしろいところでは、ないのかもしれない。
私が、浅草観音様界隈に対して、ちょっと観点は違うが、
ある種思っているように。
いや待て、もう少し考えてみよう。
便利さや、進歩、発展を取るのか、文化や歴史、伝統を取るのか、
という二項対立の議論のようでもある。
それであれば、京都は後者を選択するのであろう。
しかし、さきほどの、鮨、ではないが、
単純な二項対立ではない解決策もあるのではないか、とも思う。
伝統を踏まえつつ、未来に向けて、そうした伝統を持っている
我々日本人だからこそ生み出せる最良の社会の方向なり、
文化なりを考えていく、という方向もあるのではないか、と。
(もう少し、我々一人一人に落としていえば、
文化、などと大上段に振りかぶらずとも、普段の心の有り様、
というようなことになるのかもしれない。)
こういうことを、欧米が倒れつつある今こそ、
我々は、考える時なのかも知れぬ。
そのためには、京都はともかく、東京や日本全体として見れば、
私達大人は、歴史や伝統をもっともっと学ばねばならぬし、
それを若い人々に伝える努力をせねばならない。
静かな夜の祇園の街を歩きながら、そんなことも考えつつ、
ホテルに戻る。
鮨 まつもと
京都市東山区祇園町南側570-123
075-531-2031