浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



三社祭考察と、路麺・千束ねぎどん

5月17日(土)第一食


さて、土曜日になった。


先週の下谷神社から、下町は、祭りの季節に入った。
そして、今週は、問題の、三社。


ご存じの方々も多かろうが、今年の浅草神社三社祭は、
本社(ほんしゃ、あるいは、ほんじゃ、などともいう)
神輿の氏子町内の渡御(とぎょ)は、ない。


私の住む元浅草などの祭りである、鳥越祭もそうであるが、
東京下町の多くが、先日の京都の祇園祭のような山車祭りではなく、
お神輿の出る祭り、で、ある。
そして、この神輿には、今、二種類ある。


一つは、町毎に持っている、町内神輿。
そして、もう一つは、神社にある、本社神輿と呼ばれる、
ものである。


多くは、日曜日に、この神社にある本社神輿の
氏子町内渡御、ということになっている。


朝、神社から出す、宮出し、から、始まり、
各氏子町内を継いで、かつぎ、夜になって
また神社に帰ってくる、宮入り、まで、で、ある。


この本社神輿を各町内毎にかつぐのが、
どこの祭りでも、やはり、最も大切なハイライトであり、
皆が、遠方からかつぎにくる目当て、でもある。


三社祭では、一之宮から三之宮まで、三社の名の通り、
三基の本社神輿があり、この三基が、三つの区域に
分けられた、浅草界隈の氏子町内を別々に、かつがれる。
そして、報道によれば、昨年、その内の二之宮に
人が乗り、逮捕者も出る騒ぎにまでなった。


それで、今年は、本社神輿の渡御は中止、
ということになった。


先に書いたように、私は
三社祭の氏子町内に住んでいるわけではない。
このため、細かい事情を知るわけではないのを
最初にお断りしなくてはならないが、
推測も含めて、この周辺のことを少し考えてみたい。


実際のところ、三社祭で本社神輿に乗る、というのは、
これまでも珍しいことではなかったと思われる。
(宮入りに、鳶頭(かしら、鳶の頭のこと)が乗るのは、
むしろ呼び物で、美しい、という声すら
私も聞いたことはある。)


一昨年、二之宮に人が乗りが神輿が破損する、ということがあり、
昨年は厳重に、してはいけない、というお達しがあった。
しかし、にも関わらず、乗った者があり、
警察と、祭りの運営母体、氏子の連合体などで、
じゃあ、やめにしよう、と、いうことになった、のである。


結局のところ、秩序を持って、あるいは、整然と、
きれいに、乗るだけであるならば、警察などから見れば、
治安維持の観点からは、さほどの問題ではない、はずである。
では、なにが問題かというと、それに乗じて
または、それを真似して、騒ぎたい人々がおり、
喧嘩やら、大騒ぎの元になる、ということであろう。


こちらの鳥越祭の宮入りなどでも毎年のことだが、
どうにも、騒ぎたい人が、いる、のである。
こうした人々が必要以上に暴れ、かついでいる、あるいは、
見ている一般の氏子にも、無用なトラブルを振りまくことが
少なからずあるのである。


だが一方で、私などもこんな風にも思う。
祭りである、ある程度、荒っぽいのは、
むしろ、悪いことではない、と。


祭りとは、私の学んだ民俗学では、ハレの行事。
非日常であり、日常生活(ケ)でたまったエントロピー発散の場。
これがあって、再び日常生活に帰っていくことができる。
民俗学ではこのような考え方をしている。


先ほどまでは、近所の住人、見物の者としての
意見であったが、ここからは、多少、民俗学的に
神輿乗りを、考えてみよう。


まず、多少横道にそれるが、警察をはじめ、神様に失礼だから、
神輿に乗ってはいけないということが、いわれているということ。
これは神道上の、それも一部の考えなのではないかと思われる。


民俗学的な(あるいは文化論のような)立場では、
いい悪いといった、評価のようなことはしない。
「乗る」のは民俗学的には、文化的、芸能的な、なんらかの必然性
があるから乗る、と、解釈するのが妥当だと思われる。


また、祭りは、地域社会、あるいは参加するメンバーの
自発的なダイナミズム中で生まれ、育ち、伝承されてきたもので、
民俗学では、そこで行われる内容は、宗教として体系化された
神道とは、別のものとして、むろん無関係ではないが、
考えるのが一般的である。
(神社にやらされているわけではないからである。)


また、いつ頃から乗っているのかなど
歴史的にも見てみる必要があろう。


従って、神様に失礼で、それは文化を破壊する行為だから、
悪いことである、という言い方にも、私とすれば賛成はできない。
むろん神道も文化であるが、同様に、乗る習慣というのも、
「鳶頭が乗るのはうつくしい」といわれるように、
見物も含めて、祭りに参加する一般氏子の、立派な伝統文化である、
と考えるのである。


また、山車には乗っていいが、神輿はダメ、
などともいうが、山車は乗るように
設計されている、というだけではなかろうか。
同じような荒っぽさでは有名な、死者まで出る、信州諏訪の
御柱(おんばしら)祭は、ご神木(御柱)に乗る。


しかし、繰り返しになるが、そうはいっても、
普通に参加している人々にも、無用なわざわいが及ぶのは、
やはり、どう考えても困ることである。
また、それが平常許容されてきたものではなく、
正規の祭りの参加メンバー以外の、ただ「暴れたい人」が流入し、
年々エスカレートしているとすれば考えねばならなかろう。
(ここのところが、私は舞台裏を知らないので
なんとも言えないところなのだが。)


先に述べたように、私の立場は、基本的には一律禁止には、
同意できない。しかし、こういう乗り方はいいが、
こういうのはダメ、という区別が付かないし、こういう人はいい
こういう人はダメ、という、人による区別もしにくい。
そうなると、一律ダメ、も、いたしかたのない判断なのであろうか。
個人的には、残念な気もするが。


長々と、三社祭の、神輿に乗る件の考察、に、なってしまった。


閑話休題



土曜、第一食は、千束のねぎどんへ、
いってみようかと、思い立った。


自転車で、出る。


赤札堂の脇の道を北上。
知っている人は、知っていようが、
実のところ、このあたりが、一番危ない区域。
今年はどんなものか、怖いもの見たさで、出てきてみた
というのも、あった。


土曜日の、それも早い時間であるが、
既に、半纏を着た、目付き鋭い人々が、
整然と並んで座っていたり、もろ肌脱いだ、
紋々の兄ぃが歩いていたり。
さらに、もう機動隊まで出ている。


ちょっとこわいが、すっと、自転車で走り抜ける。


しかし、まあ、彼らはプロ、で、ある。
堅気には、無用なトラブルを
仕掛けたりはしないもの、で、ある。


また本当のところ、彼らも祭りは楽しみにしている、
のであろうし、やはり、見せ場、なのでもあろう。
そして、いろいろいっても、昔からここに居を構え、
町内の構成員といっても、おそらく、よいのである。
(本当に、こわいのは、先に述べたような、プロではない
中途半端な人々であろう。)


ともあれ。


ねぎどん。





店の中も、にぎわっている。



食べるのは、毎度お馴染み、
冷しの、おろしそばに、桜海老天。





うまかった、うまかった。



店を出て、同じ道を通り、帰る。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



三社祭、おまけ。


翌、日曜。
本来なら、本社神輿の渡御のある日。


稽古ついでに、寿から駒形、雷門、六区、
西浅草と下駄をはいて、歩いてみた。
やはり、本社神輿の渡御のない三社祭は、
まったくのところ、気の抜けたものであった。



さて、来年はどうなるのであろうか。






ねぎどん
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