4月9日(水)夜
今日は、大久保の出先から、直帰。
総武線に乗りながら、少し早いので、
どこかでちょいと、一杯、などど考える。
せっかく早いのであるから、このまま、お茶の水までいって、
須田町のそばや、まつや、は、どうであろうか。
少し時間が遅くなると、座ることもできないほど、
混んでしまう。
お茶の水駅で降りて、聖橋口。
本郷通りを下り、右にニコライ堂。
向こう側に渡って、斜めに下る、新坂。
外濠通りに出る。
渡って、須田町、旧連雀町。
路地を入ると、左側に洋食の松栄亭。
さらに、次を右に曲がると、もう靖国通り。
左側が、まつや、である。
実は、お茶の水駅から歩いても、すぐ、なのである。
並んでいる人はいない。
右側の入口、暖簾をくぐって、入る。
空いている席はあるが、八割方、埋まっている。
さすがなもの、で、ある。
むろんのこと、相席で座る。
まずは、酒、お燗を頼む。
品書きを見ながら、つまみはなににしようか、考える。
焼き鳥、というのがあった。
考えてみれば、ここでは、そばだけで、
呑んだことはなかったのかもしれない。
そばやで、焼き鳥、というのは、珍しいかもしれない。
頼んでみようか。
考えている間に、酒がきた。
ここは、酒だけだと、お盆はなし。
黒い塗りの机に真白(まっしろ)な銚子、真白な猪口。
そばみそ。
真白の銚子と、真白の猪口というのは、
やはり、よいものである。
最近読んだ、池波先生のエッセイにこんなのがあった。
「江戸風味の酒の肴」というタイトルの短いものである。
江戸風の肴とは
『 ともかくも、さっぱりと手早く調理をして
出す。これを味わう方も「待ってました」とばかりに箸をつける。
だらだらとのみ、長々と食べていたのでは、これまた
江戸前の魚介が泣いてしまうことになる。』
と、書かれている。
そして、酒器について、
『 徳利も盃も白一色のがよい。民芸風の厚ぼったい器物では、
江戸前の肴が死んでしまう。』
やはり、白一色。
実のところ、これは初めて読んだエッセイである。
真似をしていたわけではなかったのだが、
深く頷いてしまった。
(さっと食って、さっと帰る、のも同様である。)
なぜ白一色がよいのか?と聞かれても、いま一つ、
きちんと説明することはできない。
しかし、あえて表現してみると、白一色の酒器は、
なにか、気持ちがよいのである。
焼き鳥、が、きた。
焼きねぎがあり、レモンのスライスと、パセリ、
そして、溶き辛子が添えられている。
レモンとパセリというのは、庶民派、神田まつや、
たるところかもしれない。
酒をもう一本もらう。
つまみながら、呑みながら、まわりのお客を
見るともなく、見る。
二人で並んで、肩を寄せ合うようにして、
天ぷらそばを静かに食べる、老夫婦。
それから、正面に相席で座った、
ごま塩頭の作業着を着たお爺さん。
なにかの職人さんであろうか。
一人で入ってきて、天もりを頼んで、さっと食べて、
さっと、帰っていく。
まつやには、いろんなお客がくる。
さて、そば、で、ある。
これは決めていた。
カレー南ばん。
再び、先のエッセイ集の「蕎麦」という項。
ここ、“まつや”について書かれている。
カレー南ばんが、うまい、とは書いてないのだが、
『 手打ちのもりもかけも、むろん、うまいけれど、
カレー南ばんもあれば、カレー丼も玉子丼もある。
丼ものがうまいのは、米がうまい。炊き方がうまいからだ。』
(前出)
という一文が、妙に頭に残っていたからであった。
カレー南ばん。
肉は脂のない鶏肉。
どちらかといえば、さっぱりとした、
東京の一般的な、カレー南ばん、であろう。
うまかった。
席で勘定をして、店を出る。
神田まつや、よいそばや、である。