浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
断腸亭料理日記本店
 

5.東京はいいところ、であろうか?

いきなりであるが、


「東京はいいところ、であろうか?」。


いつもこういうことを考えながら、
この断腸亭料理日記も書いているのだが、
大上段に振りかぶってこの問いをしてみる、というのは、
今さら、のような気もするが、あらためて、そんなことを考えた。


2〜3日前に、内儀(かみ)さんと、ニューヨークのファッション雑誌が
舞台の、NHKの海外ドラマ、アグリーベティーを見ていると、
こんなセリフがあった。
「ニューヨーク、って、人が多くて、渋滞ばっかりで、髪の毛に
変な臭いがつくし、、」という。


これはNYに生まれ育ち、働いている主人公の若い女性が
田舎から出てきた同年代の女性にいう。
この後に、「でも、いいところよ!」と続く。
アイロニカルであり、ちょっとお洒落な、セリフ、ともいえよう。


これを見て、ふと、東京でこういう言い方ができるであろうか、
と、考えてみた。


いろいろ考えたのだが、なかなか思い付かない。


いや、その前に、東京は「いいところよ!」といえるだろうか?
ということが疑問になったのである。
いいところ、と、思っていなければ、アイロニーでもなんでもなく、
ただの悪いところを挙げただけで、終わってしまう。


筆者の場合は、東京が故郷であり、いろんな意味で“東京”を守るのは
ある種、自分の“仕事”である、と、勝手に思い込んでいるので
「いいところ!」であると、主張なければならないのではある。


しかし、同じように、東京に生まれ育った人でも、あるいは、
地方からきて、今、東京に住んだり、働いている人でもよいのだが、
東京が「いいところ!」(あるいは、「好き」)と、
いえる人はどれだけいるだろうか。


推測であるが、おそらく、公平に見て、半分もいないのではなかろうか。


きっと、「いいところ!」かどうかはどうでもよくて、仕事上、
生活上、仕方なく住んでいる、通っている、というのが本当のところ、
なのではなかろうか


だから、筆者は、より大きな声で、
「東京は、いいところ!」といわなければならない、
と、思っている、そういうことなのではある。


なにか、話が、回ってしまったが、
では、なぜ、みんな「東京はいいところ!」と、
思えないのであろうか。


筆者が、この日記でいつも書いていることは、
明治以来、東京という都市は、一種、征服され、
東京以外から(主として、薩長)きた人々の構成する新政府や、
東京都(東京府)によって、江戸から続いた
歴史や文化が破壊された。
そして、日本の首都として急速に近代化しなければならない、
という使命の中で、破壊はより加速し、戦後、東京オリンピックのあった
昭和30年代を境に、完全に江戸は東京からなくなり、
どこでもよい、根無し草のような街になっていった。


これは、筆者の極論であることは承知している。
だが、これを100%否定できる人もまた、いないだろう。


こんな、根無し草のような街を「いいところ!」と思える人は
いるはずがない。


一方、当たり前の話だが、本来、「いい街」「愛せる街」は
誰かが作ってくれるのではなく、そこにいる一人一人が
作っていくものである。


東京に対して、そんな風に思っている人も少なかろう。
地方からきた人々の多くがそうではなかろうか。
つまり、自分達の街であるという意識があまりない。


これは、先のように時間をかけて、
根無し草の街に東京がされてしまったから。


地方からきた人々は、よく、
「東京って、田舎者の街でしょ!?」という。
これは、東京根無し草説の一つの証拠、で、あろう。
皆、自分同様通りすがり、だから、なにをしてもよい、
東京など、どうなってもよい。


これは、悲しい。


地方からきた人々も、もともと東京で生まれ育った我々と
同様に、「東京はいいところ!」と言ってほしいし、
そうするための努力は、皆でしていかなければならない。
地方からきた人々にも、努力しようと思ってほしい。


東京という都市は先に述べたように、どんどん変わってきた。
今また、日本橋、大手町、汐留、六本木、等々、再々開発が進み、
より大きなきれいなビル群に建て替わっている。
それも、どこも、似たような顔をした。


もはや、変わっていくのは
どうしようもないことであろうとは思う、


日本の首都として、東京は、日本という国を支え、
リードする役割を放棄することはできない。
そういう街である、という誇りも、東京人には、確かにある。
筆者もそう思ってもいる。


しかし、東京が江戸開府からから続いている街として、固有の、価値ある
有形無形の歴史と文化遺産をたくさんもっている。


そして、もともと、江戸・東京に住んできた、江戸人、東京人の
持つ、生活文化も確かにあった。
食い物もその一つである。
それが、筆者も書いている、池波先生が鬼平などの作品に書かれた、
『池波レシピ』の一つ一つで、あるし、毎度書いているとおり、
300年以上も歴史がある、街暮らしのスローライフでもある。


また、江戸人、東京人の固有の人気(じんき)というのもある。
(昔の、落語などに出てくる、
江戸っ子風(かぜ)というようなものではない。)
池波先生は、真摯であること、というような表現をされている。
または、「他者に対する遠慮と気遣い」、という表現もある。


筆者は、こうした古くからある東京らしさと、
最先端で、日本を代表し、日本をリードする首都としての
東京は、必ずしも対立しないし、共存するものであると
思ってもいる。


ただ、完全になくなってしまったら、共存もヘチマもない。
空中にふわふわと浮いている、空しい、文字通り、
根無し草の街には、自分の眼の黒いうちには、
断じてしたくないと、筆者は思う。


だから、毎日、筆者はこの日記を書いているのだろうし、
「東京はいいところです!」と、発言し続ける。
少しでも多くの人に、「東京」を伝えるために。