浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



四谷・しんみち・支那そば屋・こうや

dancyotei2007-03-15

3月14日(水)昼


今日は午後イチ、麹町。
麹町といっても、半蔵門の方ではなく、四谷駅寄り。


昼は四谷で食べることにする。
オフィスのある牛込から四谷までは歩いて、20分ほど。


歩く。


日は出ているが、今日も少し寒い。
急な左内坂を降りて、外濠へ出、市谷見付前で外濠通りを渡り、
外濠沿いに歩く。
ここはY字路。右に行く靖国通りと、左へ行く外濠通り。
靖国通りの北側には、庁から省になった、防衛省


外濠の向こう側には、JR総武・中央線が走っている。


お濠には鴨の類であろうか、小さな水鳥や、
白く足の長い、鷺(さぎ)の類であろうか、少し大きいのも、いる。


水面を泳いでいたり、ひなたになっているこちら側の土手の石の上で
丸くなって寝ているのもいる。
水は緑色に濁り、夏などには匂いを発することもある。
こんなところでも、えさが獲れるのが不思議なくらいである。
もっとも、たまに、釣りをしている人もいるので、
なにか、魚はいるのであろう。


ここの濠はすぐに終わり、四谷寄りは、テニスコートなどのある、
外濠公園いう名前の、公園になる。
江戸の頃は、四谷(見附)まで濠は続いていたが、
明治になり埋められている。


江戸城の外濠の中でもこのあたりが完成したのは、
最も遅く、家光の頃であったようである。
外濠の中でも、この四谷あたりは最も高い位置にあり、
大分に深く掘らねばならなかった。


外濠通りをはずれ、その公園の中を歩く。
もうじき、このあたりも桜がきれいになるであろう。
飯田橋から、市谷、四谷、赤坂見附まで、外濠沿いには、
ずっと桜が続いている。


公園を抜け、再び、階段で、外濠通りに上がる。


さて、江戸の地図、で、ある。



四谷は、今の市谷の防衛省尾張家、
元赤坂の迎賓館・東宮御所が、紀伊家。
広大な二つの武家屋敷にはさまれた外濠の外。
甲州街道への入り口の町、そんな風にいえるだろう。


四谷御門(見附)があり、その前四谷側が、
灰色の町屋になっている。
まず気が付くのが、ここに、コウジ丁、と書いてあること。
今、麹町といえば、外濠の内側だが、明治まで、四谷側にも
麹町があったのである。麹町は十三丁目まであり、
通り沿いに、今の四谷二丁目の交差点あたりまでが、
麹町であったようである。


この通りは、今は新宿通り、ということが多いかも知れぬが、
ご存知の通り、甲州街道でもある。
三遊亭圓生師がいっていたが、「四谷新宿馬の糞」などという
言葉もあったらしく、圓生師の頃でも、四谷を出ると馬もおり、
街道の趣であったようだ。


麹町以外の町名では、今でも名前は残っている四谷塩町、
今はないが四谷伝馬町というのが見える。
町としてはどちらも古いらしく、江戸初期からあり、
塩町は塩問屋が多くあったから。伝馬町は名前の通り、甲州街道
「伝馬」(宿場ごとに置かれた幕府公用の馬とその管理など。)に
従事する人々が住んだ。


近くに武家屋敷が多かったことから、
このあたりには、弓師、鎗(やり)師といった、武具関係の職人も
多く住んでいたという。
また、「ヲサキテグミ」の文字も見えるが、
近くの四谷坂町の御先手組屋敷は、鬼平の作品中、
与力や同心達の住む組屋敷として設定されていた。
駅前の灰吹屋薬局は、江戸の頃からある、と、いう。





さて。


外濠通りを渡り、しんみち通りの一本右側の通りに入る。
しんみちは、甲州街道(新宿通り)に平行した、一本目の
細い路地である。


落語の稽古をしている都合もあり、少し路地を奥までいく。
(例によって、キリが悪いのである。
ウイークデーも歩く機会があれば、稽古はしている。)


適当なところで左に折れ、しんみち通りに出る。


ちょうど、こうやの少し先に出た。
覗いてみると、空いているようである。
少し前であれば、昼も列ができていた記憶がある。


この日記では書いていないが、
しんみちの駅寄りに、政吉そば、という路麺(個人営業の立ち喰そば店)
でそこそこ有名なところがあり、そちらにいこうかとも思っていたのだが、
久しぶりに、入ってみようか。


支那そば屋・こうや。
昔から来ていたが、列ができ、なかなか入れなくなり、
いつしか足が遠のいていた。


なん回か書いているが、飯田橋の高はし、ここの流れ、であるという。


いわば、元祖、といったところだが、
こちらは、むろん、麺類もあるが、ラーメン屋ではなく、
夜はつまみもうまく、酒も呑める、中華屋。


やはり、雲呑麺。





ここは、昔からファンが多かった店なので、
やれ「スープの味が変わった」「麺が変わった」だの、色々なことを
いわれる。確かに、昔の味とも違うし、飯田橋の高はしの味とも違う。


飯田橋の高はしの味が、昔のこうや、の味である、というのが、
正しい評価であろうか。


しかし、今日食べた印象では、雲呑は、高はしよりも、
うまいのではなかろうか。プリプリ、で、ある。
ボリュームもある。


うまかった、うまかった。



午後の仕事だ。





ぐるなび