2月12日(月)祝日、夜。拙亭のある元浅草から、
両国の猪鍋や、ももんじやまで、歩く。
昨日は、裏路地を通り、南下、蔵前通りを渡り、
浅草橋の北詰を柳橋の方に入ったところまで。
****************************
向こうに、橋が見える。
柳橋である。
神田川が隅田川に注ぐ、直前。最後の橋である。
江戸通りこと、“蔵前通り”の東側は柳橋一丁目。
柳橋は二丁目まで。
柳橋という地名は、ほとんどの方がご存知であろう。
旧花街、で、ある。
1922年、大正8年の数字で、料理屋16軒、待合101軒、芸妓屋206軒。
(毎度引用させていただいている。「花街」加藤正洋氏より)
この頃、東京花柳界でも新橋、葭町、下谷本郷、に次いで
芸妓屋の数では四番目。
先日の根岸なども然(しか)り、であるが、歴史がありそうで、
意外に新しいという、東京の花街の中でも、
ここは、深川などと同様に、江戸からある。
『明和・安永期(1764-1781)に整理したという《柳橋》は、
「江戸第一の芸妓本位の花街」と称される一流の花街であり、
ここも天保期の水野忠邦による取り締まりによって《深川》を
追われた芸妓が流れ込み活況を呈した。』
(前出)
ということである。
現代では、料亭で残っているのは、亀清楼、というところ。
幕末、安政の創業。
亀清楼は、柳橋北詰、隅田川との角地。
南向き、二方が水辺で、まあ、一等地、といったところであろう。
この眺めのよい角部屋で、昼下がり、ごろごろできたら、
幸せであろう。
(現代の、でも悪くはないが、往時、であればなおよい。
しかしまあ、それはかなわぬ夢、であることよ、、。)
柳橋の旧町名は“蔵前通り”沿いが、茅町。
隅田川側が、下平右衛門町。
そうなのである、柳橋は、古そうだが、
震災後できた、比較的新しい町名なのである。
“蔵前通り”は、古くは、ここから浅草、山谷、
小千住(小塚原、今の南千住)を通り、千住大橋に向かう、
奥州街道の本街道であった。
(徐々に、街道は現代と同様の、先週触れた、上野から、坂本、金杉を
通るルートになっていったと、思われる。)
江戸の初めは、ここから北、浅草も
まったくの郊外で、このあたりでも、瓦など焼いていた
ようである。しかし、街道筋であったため、
このあたりから、徐々に商店が建ちはじめていった。
神田川沿いの河岸道から、柳橋を渡る。
風情がありそうな名前だが、黄緑に塗られた、アーチ型の鉄橋である。
柳橋南詰めから、隅田川縁にまわり、両国橋の袂に出る。
この通りは、ここまでが、靖国通り。両国橋を渡ると、京葉道路となる。
現代、両国といえば、この橋を渡った向こう側であるが、
昔は、こちら側が両国。向こう側は、東両国と呼ばれていた。
(正確な呼び方としては、西両国、東両国であるが、西側の方が
近くに柳橋もあり、両国広小路と呼ばれたように、
道も広く、見世物小屋などが林立する場所で栄えていたため、
ただ両国といえば、西両国を指したようである。)
両国橋を渡る。
今日は、川風も妙にあたたかい。
この橋の上でも落語の稽古は続いている。
ここまで、元浅草の拙亭から、20分ほどであったろうか。
噺はもう少しで終わる。
ももんじやは、東詰め、道の向こう(南側)である。
キリが悪いので、一つ信号をいきすぎ、向こう側に渡り、
戻る。
この店は、江戸の頃からある。享保3年(1718年)創業という。
この頃は、豊田屋、というのが屋号であったようである。
ももんじ、とは、元々は、猪に限らず、牛、馬、鹿、はもとより、
犬、猿まで、獣の肉を扱う料理屋の一般名称で、
ももんじ、と、いう看板を掲げるものだったという。
やはり少なからず、江戸期にもこうしたものが好きな人は
いたのであろう。
落語にも、猪鍋は出てくる。「二番煎じ」という噺だが、
冬、町内の夜回りをする旦那衆が、寒さしのぎに、
番小屋で、みんなで猪鍋を囲んで、酒を呑む。
上の絵は、この店のマッチ箱から撮ったものである。
広重、江戸名所、東両国豊田屋、とある。
(これは、有名な、初代歌川広重の「名所江戸百景」シリーズとは
別のもののようである。宣伝用に書かせたのであろうか。)
山くじらは、猪では外聞が悪いので、くじら、で、ある、と、称した。
まあ、洒落、であろう。
(ちなみに、くじらは、魚、で、ある!
さらに、どうでもよいが、蛙も昔は、虫、であった。)
店の前、猪がぶら下げられている。
夜見ると、気味のいいものではない。
(昔は本物であったようだが今は剥製らしい。)
店に入り、通されたのは二階の座敷。
電話でいわれていた通り、店はまだ、混雑と、混乱を極めているようだ。
12年に一度、亥年のこの時期、1〜2月には、
大量に客が押しかける、らしい。
まあ、皆、考えることは同じなのである。
ビールに、猪鍋、ご飯、味噌汁のついた、定食、¥4500を頼む。
30分ほど待たされて、出てきた。
この写真、実際の見た目と、色が少し違っている。
これは豚肉と似たような色だが、豚肉よりも、
もっと赤みが強いように思われた。
肉以外には、しらたき、焼豆腐、芹、ねぎ。
鍋は、すき焼きような、浅い鉄鍋。
つゆは、味噌味。赤味噌(八丁味噌)ベースだという。
仲居さんが、どかどかと、入れてくれる。
かなり待たされたので、腹が減っている。
煮えたそばから、食べ始める。
七味と、山椒が用意されてる。
つゆはかなり、甘めである。
脂身が多いが、見た目ほど、脂っこくは感じない。
また、豚肉よりも、少し堅めに感ずる。
くさみ、などは、ほとんどないようである。
腹も落ち着いて、少しゆっくり食べる。
ん?、、この肉は、煮ていると、
段々柔らかくなってなってくるような気がする。
最初に仲居さんから、よく煮ると柔らかくなる、と、
いわれたような気がするが、かまわず、食べ始めた。
いっていた通りである。
たいていの肉は、煮れば煮るほど、硬くなるが、
猪肉の場合は、違うのであった。
明らかに、食感が変わってくる。
後悔しても遅いが、甘めのつゆとよい相性で、かなり、うまい。
このつゆで、おじや、うどんを入れる、のもあるようだが
定食にしたので、そのまま飯を食う。
待たされたのは、こんな時期に来た我々自身を呪うべきである。
(3月になると、空くようだ。)
ともあれ、なかなかうまいものであった。
12年後といわず、空いているときに、また来よう。
帰りは、タクシーで、帰宅。(ワンメーター)
*************************
両国橋を渡って、本所側、この店のあるところは、
尾上町。近くには、坊主しゃも(しゃもや)、
忠臣蔵で有名な、吉良邸のあった、松坂町、などあり(あった)、
このあたりも少し書こうと思ったのであるが、またの機会にしよう。