浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



筑前煮、の、ようなもの。(筑前煮について、考える。)

dancyotei2007-01-18

1月16日(火)夜


さて、今日はなにを食べようか。


どうしても、温かいもの。
煮物、の、ようなものに、頭がいってしまう。


オフィスを出て、牛込神楽坂の駅に向かう間、考える。


冷蔵庫に、里芋が残っている。
鶏肉と煮ようか。
鶏肉も、冷凍庫に凍っている。


里芋、鶏肉、、甘辛く煮ると、、筑前煮?
の、ようなものに、なる、のか、、。
で、あれば、たけのこ、などもいいかも知れない。
確か、暮れに、水煮を買ったのが余っている、はず。


帰宅。


今日は、遅いので、火鉢はなし。


着替え、すぐに、料理にかかる。


まずは、里芋、残っていたのは、二個。
皮をむき、厚さ、1〜1.5cm、火が通りやすい
大きさに切る。


鶏肉を解凍。


冷蔵庫の、たけのこ水煮、、は、もうだめ、で、あった。
考えてみれば、もう1月も15日。一月(ひとつき)はたっている。


里芋だけではさびしい。
コンニャク、などでもよいのだろうが、今日は、ない。
にんじんがあった。


にんじんでもよいだろう。
子供のようだが、筆者、根本的には、
にんじんは嫌い、で、ある。


積極的には、作らないし、食べない。
正月のなますでも、にんじんは入るが、できれば、にんじんだけは
食べたくない。


唯一、と、いっていい例外は、甘く煮たもの。
グラッセ、そして、筑前煮のにんじんは、OKなのである。


にんじんは、半分ほど。
皮をむき、乱切り、というのであろうか。
これも煮えやすく、小さめに切る。


鶏肉も一口に切っておく。


里芋は、ぬめりが出るので、下煮をした方が、よかろう。
水に里芋、にんじんを入れ、加熱。


煮立てて数分。
一度、ゆで汁を捨てる。


ここに鶏肉を入れ、酒、しょうゆ、砂糖、少しの水。
ひたひた、程度がよかろう。


煮立てて、落としぶた。
弱火。


この間に、お燗用に鉄瓶を熱くする。
火鉢を使わない時でも、お燗はやはり鉄瓶がよい。


時間がない場合には、やむなく、
レンジを使う場合も、なくはない。
この場合も、熱くなりすぎるため、直にお銚子を
レンジに入れることはしない。
大きめの湯飲みに湯を少し入れ、一度レンジにかけ
沸騰させ、湯飲み自体を温め、その後にお銚子を入れ、
もう一度20秒ほどかける。
こうすると、熱くなりすぎず、ちょうど上燗になり、呑む時にも、
そのまま、湯飲みに入れたままにしておくと
冷めにくい、という利点もある。


なべ、に戻る。


時折、落としぶたをあげて、様子を見る。
多少、煮詰まってきたのが目安であろうか。
芋にも色が付いてきた。


串で指してみる。
OK。煮えている。


盛り付ける。





鉄瓶で、お燗もつける。


筑前煮、の、ようなもの。
まあ、びっくりするほどのことはないが、短時間にしては
よく煮えており、うまい。


甘辛の濃い味にしたので、酒にも合う。


本来の筑前煮であれば、シイタケ、こんにゃく、レンコン
なども入るのだろう。


しかし、はた、と、考えたのであるが、
そもそも筑前煮、とはなんであろうか。


筑前は、福岡県。あちらでは、がめ煮、と、いい、秀吉の朝鮮出兵やら
様々な“いわれ”、が、あるらしい。
そして、鶏肉は骨付き、というのが本当らしい。


よくよく考えてみると、鶏が入るか、入らぬか、の違いはあるかもしれぬが、
ようは、これ、少なめのつゆで里芋など根菜類を、煮ふくめた、もの。
お節料理にも入る、煮しめ、と同じものではなかろうか。


煮しめは、高野豆腐なども入るし、葬式の精進にもなる。
東京はむろんのこと、昔から全国にあった料理で、であろう。


民俗学的には、儀礼食とまではいかなかろうが、祭りや、節句
冠婚葬祭、なにか行事のあるとき、人の集まるときに作られる、
ご馳走、という位置付けで、あろう。
(福岡では、それを、がめ煮、といっていた、ということだろう。)


筆者などの世代の者には、筑前煮、と、いうと、
給食のメニューではなかろうか。やたらによく出てきたように思うし、
筑前煮、と、いう言葉自体も、給食で覚えた、と、思う。


また、筑前煮は、料亭メニューでもないような気がする。
なにか、画一化されたにおいのする、
メニュー名だと思われまいか?


仮説、で、ある。
戦後、我々子供達の栄養改善を目的に、給食が全国的に始められ、
その中で、煮しめに、鶏肉を入れたものを、筑前煮、と称して
広められた。
また、さらに、同時代、国民食の普及というような使命を帯びていた、
NHKの「今日の料理」などでも、
筑前煮を紹介していたのではなかろうか。
あるいは、同様の意図であろう、学校の家庭科の教科書にも
載っていた記憶もある。


多くの推測を含むが、今の筑前煮の由来は、
そんな国策(?)が絡んでいた、そんなところではなかろうか。


今、盛んにいわれている、地産地消、地域の食文化を大切に、といった
論調、政策(?)とは、180度違っている。


今、当時の政策の功罪を問うてはいないが、
筆者は、現代において、筑前煮という料理の、おさまりの悪さを、
感じるのである。
伝統食のようでそうでもない、氏素性がよくわからない。


鶏肉の入った、煮しめ、でも、いいじゃないか、で、ある。
戦後、東京の町名が、どんどん変えられてしまったのと、
なにか、同じようなにおい、生活文化をお上によって、
変えられてしまった、そんなおさまりの悪さ、なのである。


当時、煮しめ、という古くさい言い方よりは、多少は、うまそう、
に、聞こえ、肉が入り、子供も喜ぶ。
そんなところから、メニュー名としての筑前煮は
一般家庭に、定着していったのかもしれない。