浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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私的考察・北海道の食。お取り寄せ?

dancyotei2006-09-11

この週末、妻の実家のある北海道へいってきた。


東京の生まれ育ちである筆者、
自分のふるさとというものは東京であると思っている。


しかし、まったく地方に関係がないかというと、そうでもない。
母親は長野県の諏訪の出身である。
小さい頃には夏休みなど、あるいは、有名な御柱祭りなどには
いっていたし、今でも伯母さんや従兄弟は、かの地にいる。
(ここ何年も訪問はしていないが。)


そして、北海道出身の妻と結婚したため、北海道は筆者にとっては
かなり縁の深い土地ということになっている。


北海道の食い物の話を、少ししようと思うのだが、
その前にそもそも、筆者にとって、地方の食い物というものの存在
から書きたい。


最近、「お取り寄せ」なるものがブームである。
ネットやカタログで、地方の生鮮品から、米、酒、お菓子、漬物、乾物、
その他なんでも、老舗やら、
最近有名になったところやら、なんでも取り寄せる。


しかし、これ、筆者は、しないことにしている。


なにか、イサギワルイ、ような気がするのである。


東京にいるのであれば、東京で手に入るものを食えばよかろう。
もし、その地方へ行かなければ食えないものがあるのであれば、
行けばよい。そうでなければ、本当のうまさはわからない。
本来そうしたものである。


しかし、これは、一方で、タテマエであることも、承知はしている。


筆者の場合、食は「地産地消」、で、あるべきだ、
というような、強い信念があるかといわれれば、そうではない。
あくまで、心持ち、程度である。


東京で「地産地消」の生活を送ることなど、ありえない。
米などそもそも東京都では、ほとんど作っていなかろうし、東京の野菜、
江戸前の魚だけで生活はできない。
太助寿司で、利尻の馬糞うにを食う、など、
もっての他、ということになる。


そこで、せめて、自ら積極的に、取り寄せる、という行為は、しない。
その程度では、ある。


その土地へいって、その土地の空気を吸い、そこで獲れた(採れた)、
新鮮でうまい魚介類や野菜、または、
伝統的な加工品や独特な料理を食うのはうれしいことである。
やはり、いって、食うのが、誰がどう考えても、ベストではある。


さて、北海道の食い物、で、ある。
筆者が思うに、北海道は、日本の他のどの地方と比べても、
ちょっと、事情が違っているように思う。


そもそも北海道の食文化、を考えた場合、
アイヌの方を除いて、歴史学民俗学民族学的な意味の、伝統的な
食文化、というものは、ほとんど存在しないといってよかろう。


基本的に今、北海道に住み暮らしている皆さんは
明治以降、東北を中心に、内地から移住した方々をルーツとしている。
(私の妻も父方、母方とも、然り。東北地方の出身で、あるという。)


ご存知のように戊辰戦争明治新政府に反旗を翻した
会津などを中心にした東北諸藩の方々が移住させられ、
寒冷の地で、開拓、に励んでこられた歴史がある。


あるいは、積極的に、小樽の鰊(にしん)御殿ではないが、一旗揚げよう、と、
東北、新潟などから、移住していった人々も少なくはなかった。


民俗・民族学的な意味では、北海道には
伝統文化は、明治以降のものしかない。
神社も寺もほとんどが、明治以降に作られたものである。


食文化も当然同様である。
基本的には、東北の食文化をベースにし、明治以降に
始まったもので、その厚みとしては、薄い。


そして、基本的に普通の北海道の家庭の食は質素である。
これには、食べたくとも食べられなかったという、
開拓という歴史的背景もあるのだろう。


むろん家庭によって異なってもいようが、
正月でも内地のような手の込んだ、おせち料理は作らない、
作る習慣がない、というのが、今でも一般的ではなかろうか。
妻の実家はそうである。


北海道といえば、魚介類でも農産物でも豊富である、との
イメージが、私などにもあったが、実際にはそうではなかった。
広い大地である。流通が発達する以前は、海辺でなければ
新鮮な魚介類は、内陸部では食べられない。


あるいは、習慣の問題もあろうが、妻の子供の頃、30年前でも
肉やには、牛肉は売っていなかったという。
価格が高く、育ててはいても、牛肉は内地へ売られるもの
であり、すき焼きは、豚が普通であったという。
その代り、安い羊であり、ジンギスカンというメニューが
できた、ともいう。


現代では、むろん流通が発達し、内陸部でも冬でも
そこそこ、新鮮な魚も手に入り、当然牛肉も販売されているが、
そもそも、習慣として、北海道にはそういうものを
積極的に食べる、ということが、内地に比べれば、今でも少ない。
我々の眼から見れば、普通の家庭の食は、十分に質素である。


利尻の馬糞うにやら、鮭児など
超高級魚介類は、北海道民の口には、ほとんど入ることなく、
東京へ運ばれていく。


それが北海道の普通の家庭の食、である。


しかし、一方で、内地には運ばれないが、北海道で普通に売られている
普通の野菜は驚くほど、うまい。そういうものもある。


東京では見たこともないが、ささげ、と呼ばれる少し大ぶりな
いんげんのような豆がある。
茹でて、しょうゆをかけて食べるのだが、甘みが豊富で
内地の野菜にはない、生のままの大地の味を、感じることができる。


その土地でしか食べられない、しかし、その土地では、
普通に安く食べられているもの。
そうしたものが、本当は一番うまいものだと、思う。
そして、それを、そこへいって食う。それが最もよい。